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第56話 夜を越える馬車――失われた城の記憶

夜半。


黒く塗られた馬車は、すべて灯を落としていた。


護衛隊の列の先頭を進むのは、

負傷したガルデンに代わり、訓練教官ソルディオ。

ニコル、マクレブなどの主力を欠いた遊撃隊を、

クレセントが率い、馬車列の側面を静かに覆っていた。


道の両側には、

馬上の兵が掲げた松明が等間隔に並び、

その中央を――

音を殺すように、連なる馬車がゆっくりと進んでいった。


崖を越え、

林の中へと分け入る。


車輪には布が巻かれ、

御者(ぎょしゃ)は鞭を振るわない。

馬も、人も――

夜に溶けるための速度だった。


木枠が、きし、と鳴る。


揺れの中、

延々と続く馬車列の中程。

その一台の大型馬車に、七名が乗っていた。


王、老将、軍神、内政官、天才少女、若者、そして剣姫。


ヴァレンティスは、

車内の先頭に腰を下ろし、

何かを見通すように、静かに微笑んでいる。

正面には、内政担当のオルフェンが座っている。


ベニバラは、

目を閉じたまま背を壁に預け、

馬車に合わせて揺れていた。

呼吸だけが、浅く、規則正しく続いていた。


ロザリーナは、

俯いたまま、

左手をゆっくりと――開いては、閉じる。


毒が、完全に抜けたかを

確かめるように。


沈黙は、重すぎず、軽すぎず。

誰も眠ってはいない。

だが、

無理に言葉を探すほどの余裕もなかった。



その沈黙を、

ほんの少しだけ破ったのは、ポコランだった。


「……殿下のお父様の、

 ブラストリア城って……どんなところだったんですか?」


問いには、

怖いもの見たさと、

純粋な好奇心が混ざっていた。

どこか――子供じみた声音。


視線を向けられ、

ガルデンは、ゆっくりと息を吐く。


「そうじゃな……」


肩を負傷し、鎧を脱いだ老将は、

馬車の壁にもたれ、静かに目を閉じた。


「平地に立つ、巨大な城じゃ。

 崖に守られとるわけでも、

 山に籠っとるわけでもない。

 だからこそ――」


一拍。


「人が、四方から集まるための城だった」


さらに、ゆっくりと言葉を重ねる。


「城壁の高さも、規模も、

 ルドグラッド砦の三倍以上はある。

 だがな……

 本当に誇るべきは、城の中じゃない」


内政担当のオルフェンが、静かに視線を向けた。


「……美しい城下町、ですね」


「ああ」


ガルデンは、ほんのわずかに口角を上げる。


「城の東側にな、

 大きな市場があった。

 朝になると――

 職人も、商人も、農民も、

 皆が同じ場所に集まる」


その言葉に――

アズが、はっと顔を上げた。


「……覚えてる」


ぽつり、と零れた声。

小さかったが、

馬車の中では、やけにはっきりと響いた。


「私は十歳だったけど……

 城壁の上から、よく見てた」


一拍。

記憶を掬い上げるように、続ける。


「朝になると……

 パンを焼く煙が上がって、

 その匂いが、

 城の中まで流れてきてた」


ポコランが、思わず目を瞬かせる。


「城の中まで……?」


「うん」


アズは、小さく頷いた。


「市場は城の外だったけど、

 東側は、いつも人でいっぱいで……

 朝は特に、賑やかだった」


「……城の中は、静かだったがの」


ガルデンが、目を閉じたまま続ける。


「平時、城内に暮らしておったのは、

 城主と常駐兵が五百ほどじゃ」


「……それに側近と、給仕、職人、文官ですね」


オルフェンが、淡々と補足する。

その横顔を、車内の弱いランプが照らしている。


「警備と統治の最低限。

 あの城は――

 普段は空けておくことを前提に、造られていました」


ポコランが、首を傾げる。


「え?

 でも……城って、

 たくさん人が住む場所じゃ……」


「有事の時だけ、だ」


ヴァレンティスが、穏やかに答えた。


「戦が起きた時、

 城下町の民が、

 一斉に避難できるようにな」


その言葉に、

ロザリーナが、そこで初めて顔を上げる。


「……じゃあ、

 普段は……」


「皆、外で生きていた」


オルフェンが、彼女を見て言う。


「世界は、エルデンハート城に守られていました。

 だから――

 城は“守る場所”。

 町は“暮らす場所”。

 役割が、はっきり分かれていたんです」


ガルデンが、低く笑った。


「そうじゃな。

 平和な時代じゃった。

 城下町には、

 鍛冶屋も、織物屋も、酒場もあった。

 子どもが走り回って、

 商人が怒鳴って、

 夜になると……

 でかい歌が聞こえた」


「……お祭りもあったよ」


アズが、少しだけ声を弾ませる。


「年に何度か。

 城壁の傍まで、灯りが並んで……

 城の中からでも、

 音楽が聞こえた」


ポコランは、

その光景を頭の中で組み立てるように、黙り込む。


「……じゃあ、

 ブラストリア城って……」


言葉を選びながら、続けた。


「戦う場所、

 だけじゃなかったんですね」


「そうじゃ」


ガルデンが、短く肯いた。


「人が、人でいるための場所じゃった」


馬車が、きし、と揺れる。


ロザリーナは、

その言葉を、胸の奥で何度も反芻していた。


――自分は知らない。

その城を。

その町を。

この人たちが、生きていた場所を。


「……それで、ですか」


ふと、ロザリーナが口を開く。

皆が、彼女を見る。


「殿下は……

 それを見せたくて。

 また、その幸せを……

 みんなと一緒に」


ヴァレンティスは、少しだけ考え――

静かに答えた。


「……砦は、もうもたなかった」


一拍。


「我々の生き延びる選択肢は、限られていた。

 それでも――

 この私にとっても……

 ここにいる皆にとっても、

 “あの場所”なら、守ってくれると思えた」


オルフェンが、静かに頷く。


「外からは落ちない構造。

 長期の籠城に耐えうる備蓄。

 あれほどの

 “生き延びるための城”は、他にありません」


ガルデンが、ゆっくりと目を開けた。


「じゃが……

 五年前まではな」


その一言で――

再び、馬車の中に沈黙が落ちる。


だがそれは、

先ほどのものとは違っていた。


馬車が、

ごとん、と小さく揺れる。


その振動を受け止めるように、

ヴァレンティスが、静かに口を開いた。


「エルデンハート王国にとって、

 父のブラストリア城は――

 “西を守る盾”だった」


声は低く、淡々としている。


「だが同時に、

 王都からは遠かった。

 法も、税も、命令も……

 私が実感する前に、

 いつも“噂”として届いていた」


オルフェンが、静かに頷きながら補足する。


「そうですね。

 王都は、あまりにも遠かった。

 ですが……だからこそ、

 ブラストリア城は、

 ブラストリア城らしく在れたのです」


「らしく、いられた?」


ポコランが、首を傾げる。


ヴァレンティスは、

馬車の闇の向こう――

見えないはずの地平を見つめた。


「父は、

 城の中に民を集めて

 “管理するための拠点”にはしなかった」


一拍。


「その代わり、

 民が好きなように暮らせる

 “城下町”を、城の外に作った」


ガルデンが、低く喉を鳴らす。


「王のくせに、

 城下町の鍛冶屋で、

 値段交渉を始めおる男じゃったからの」


一瞬。


馬車の中に、

かすかな笑いが生まれた。


――だが。


その空気は、

ほんの一瞬で、引き戻された。


「そうじゃ……

 その“鍛冶屋”の話だがな」


ガルデンの声が、

わずかに低くなる。


「今回の戦いで、

 はっきりしたことがある」


ポコランが、思わず身を乗り出した。


「武器、ですか?」


「うむ」


老将は、

自分の掌を見下ろす。


「黒帝軍の武器は、

 明らかに質が違う。

 斬れ味、軽さ、耐久……」


一拍。


「――あれは、

 人間同士の戦だけを

 想定して打たれたものではない」


「魔獣用……とか、ですか」


オルフェンが、言葉を選ぶ。


「そうかもしれんな。

 だが……」


ガルデンは、

ちらりとロザリーナを見た。


「あんな代物を作れる鍛冶職人が、

 この荒廃(こうはい)した世界に、

 そう何人もおるとは思えん……」


その瞬間――


ロザリーナが、

ゆっくりと顔を上げた。


「……センサクさんなら」


短い。

だが、迷いはなかった。


馬車の中の視線が、

一斉に、彼女へ集まる。


ロザリーナは、そっと目を伏せる。

その瞳に映っているのは、

この馬車の内側ではない。


かつて立ち込めていた、

炉の熱。

鉄の匂い。

火花の向こうで、

黙々と槌を振るう背中。


外では、

松明の火が風に揺れ、

ひとつ、またひとつと

後方へ流れていく。


それでも、馬車列は止まらない。


答えのない闇へ向かって――

音を殺し、

静かに、進み続けていた。

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