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残響のロザリーナ ~兄を探す最強の剣姫は、守るべき小さな命と砦の絆のために剣を振るう~  作者: 霧原零時
第十一章 兄との再会――止まらない落胤

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第49話 反撃前夜――敵になる者たち

闇の底から、

激流の音だけが這い上がってくる。


崖の縁には、

もう――

獣の気配はなかった。


◇


「……よし」


ニコルは、

短く息を吐いた。


クレセントの肩を、

軽く叩く。


「しっかり生きてるな?」


「は……はい。

 心臓、まだ喉元にいますけど」


「十分」


それだけ言って、

ニコルは踵を返した。


二人は並んで歩き出す。

砦へ向かわず――

敵本陣跡へ。


まだ、

終わっていない仕事を、

進めるために。


沈黙の戦場。


土嚢は崩れ、

投石器は横倒しになり、


黒帝兵の死体が、

“撤退”という言葉の残骸のように、

無秩序に散らばっている。


その中央。


土嚢の陰に――

ロザリーナが凭れていた。


布で腹を押さえ、

血が、

指の隙間から地面へ落ちている。


「……ロザリーナ」


ニコルが声を掛ける。


彼女は静かに顔を上げた。


蒼銀の瞳は揺れていない。

だが、

呼吸は浅い。


「……大丈夫」


声は、

少し掠れていた。


「……まだ、立てる」


ニコルは、

それ以上、何も言わなかった。


ただ――

口笛を吹く。


高く、短く。


次の瞬間。


蹄の音。


白馬が、

瓦礫を跳ね越えて走って来る。


ニコルは手綱を掴み、

ロザリーナの肩を支えた。


「無理すんな」


「……分かった」


彼女は逆らわない。


白馬に押し上げられ、

背に回されたニコルの腕から、

確かに――

生きている温度が、

伝わってくる。


「砦に戻れ」


ニコルは、

馬の首を軽く叩いた。


「――治療所へ直行だ」


ロザリーナは、

一瞬だけ、彼を見た。


何か言いかけて――

やめる。


白馬の腹を蹴る。


夕闇の中へ、

蒼が遠ざかっていく。


◇


ニコルは、

その背を見送ると――


軽鎧の留め具を、

一つずつ外し始めた。


金属音。


鎧を脱ぎ、

剣を外す。


「……隊長――何を?」


クレセントが、

思わず声を上げる。


ニコルは振り向かず、

装備一式をまとめて――

彼の胸へ押し付けた。


「持って行け」


「え……?」


「砦に。――落とすなよ」


クレセントを向いた。


その顔には、

いつもの軽口はない。


「マクレブに、遊撃隊の中で、

 “精鋭”を十人選んで連れて来るように」


一拍。


「鎧も、武器も、

 持たせるな」


クレセントの喉が鳴る。


「……素手で、ですか」


「そう」


即答。


「それで、

 ここに来い」


理由は、

説明されなかった。


だが――

クレセントは、

それ以上、何も聞かなかった。


「……了解です!」


ニコルの鎧と剣を抱え、

走り出す。


◇


一人残されたニコルは、

足元へ視線を落とした。


「あれがいい」


少し先に転がる、

小柄な黒帝兵の死体。


裂けた鎧。

血に染みた布。

グラの三つ目の紋章。


「……悪いな」


誰にともなく、

そう呟く。


ニコルはしゃがみ込み、

その鎧を――

剥がし始めた。


留め具を外し、

血が固まった鉄を引き剥がす。


臭い。

ぬめり。

冷たい死。


それでも、

手は止まらない。


やがて――


黒帝兵の鎧を身に着けた、

ニコルが立ち上がった。


星月のマントはない。

純白の柄の細長い湾曲剣も、

白馬もいない。


そこにいるのは――


半獣でも、

遊撃隊長でもない。


ただ、

血濡れた黒い鎧を着る存在だった。

戦場の影へ溶け込むように。


ニコルは、

砦の方角を一度だけ見た。


(……殿下、

 次に会うのは夜明けだったよねぇ)


――◇――


◆大教会の聖堂◆


聖堂の扉が、

叩き割るような勢いで開いた。


「――陛下ッ!!」


荒い息。


飛び込んできたのは、

後ろを守るもの。

砦防衛副官――オルフェン・カーンだった。


彼の鎧は血に濡れていない。

刃を受けた傷もない。


ベニバラ、ガルデン。

二将軍の補佐として、

この砦の“壁と数字”を預かる男。


鍛え上げた肉体ではない。

短く刈り揃えた髪には、早くも白いものが混じり、

目の下には、連日の報告と計算で刻まれた、

薄い隈が残っている。


鼻梁には、細い金縁の眼鏡。

考える時に、眼鏡を押し上げる癖。


その双眸には、

城壁の亀裂、

減り続ける物資と食料。

そして積み上がる死者の数が、

消えない残像として焼き付いていた。


オルフェンは数歩進むと、

その場で膝を折り、

石床に拳をついた。


息を整える間もなく。

だが、声は崩れない。


ヴァレンティスは、

老司祭バルノアが横たわる祭壇から、

半歩離れて、ゆっくりと振り返った。


「報告せよ」


短い声。


オルフェンは、

一度だけ深く息を吸い――

歯を食いしばった。


「殿下。

 砦・守備隊の死者――

 二十七名」


声が、僅かに掠れる。


「民間から動員された兵――

 死者、十九名」


一拍。


「教会裏に退避していた民間人――

 被害者、なし」


その言葉だけが、

一瞬、聖堂に留まった。


だが、続く。


「重軽傷者――

 四十三名。

 うち数名は……

 今夜を越えられるか――」


言葉を切る。

続きを、飲み込んだ。


「そうか。

 時間は無いが、出来るだけ手厚く葬ってくれ」


ヴァレンティスはそれだけ言い、

祭壇の上の神の像へ視線を向けた。


磔(はりつけ)にされたその姿は、

救いを約束するものではなく、

ただ――そこに在るだけだった。


半歩だけ距離を保ったまま、

彼は目を閉じた。


二十七。

十九。

四十三。


その数字を、胸の奥に刻みつけた。


数字に何も感じなくなった瞬間、

王は、王でなくなる。


だから――

彼は、忘れなかった。


祈らない。

赦しも、求めない。


ゆっくりと、目を開ける。


磔にされた神は、

何も答えない。


それでいい。


ただ、

この戦争が終わるその日まで、

その数の重さを、

一人で持ち続けると――決めただけだった。


――◇――


◆敵本陣跡◆


しばらくして――。


ニコルの背に、

足音が、複数――近づいてきた。


鎧も剣もつけてない、軽い足取り。


一定の間隔。

息の揃い方。


「……来たな」


ニコルが振り返る。


闇の向こうから、

十の影が現れた。


先頭には――

中隊長マクレブ。


その後ろに、

選び抜かれた遊撃兵たち。


誰もが、

疲労と緊張で顔を硬くしながらも、

目だけは、死んでいない。


そして。


彼らは――

立ち止まった。


「……っ」


誰かが、

言葉を失った。


敵の血と泥にまみれた、

黒帝兵の鎧。


それを身に着けて立つ、

白銀髪のニコルの姿。


星月のマントはなく。

白馬もなく。


遊撃隊長の面影は、

どこにもなかった。


「……隊長……?」


誰かが声を上げる。


「隊長、それ間違ってますよ。

 ――敵の鎧です」


マクレブが、

戸惑いを隠さずに呟く。


ニコルは、

それに答えず――


短く、言った。


「お前たちも、着ろ」


一瞬。


誰も、

動けなかった。


「……は?」


誰かの喉から、

素の声が漏れる。


「これを……ですか?」


視線が、

足元へ落ちる。


転がる死体。

裂けた腹。

虚ろな目。


まだ温度の残る、

敵兵の亡骸。


その中の一人が、

思わず叫んだ。


「あ、本陣跡に、

 まだ予備の新品が――!」


言い終わる前に。


「ダメだ」


ニコルの声が、

鋭く落ちた。


全員が、

びくりと肩を揺らす。


「新品は使うな」


ニコルは、

一歩前へ出る。


「――死んでる奴らから、剥がせ」


空気が、

一段、冷えた。


「……なに、言って……」


誰かが、

顔を歪める。


「これ、着て……

 何をするんですか……?」


声は震えていた。

恐怖よりも、

理解できないことへの拒否。


ニコルは、

しばらく黙っていた。


そして――

ゆっくりと、言う。


「俺たちは、

 ――今から敵になる」


短い。

説明でも、

命令でもない。


ただの事実だった。


「……っ」


誰も、

それ以上は聞かなかった。


兵たちは、

互いに視線を交わし――


一人。

また一人。


歯を食いしばりながら、

死体の前に膝をつく。


留め具を外す。

黒い血。

肉片のこびりついた鎧を、

引き剥がす。


「……うっぷ……」


吐き気をこらえるような声。


「……冷てぇ……」


指が、

震える。


それでも。


遊撃隊は、

誰も逃げなかった。


――なぜなら、

隊長の無謀な無茶には、

慣れている。


やがて――


十人全員が、

黒帝兵の鎧を身に着けて立った。


遊撃隊の精鋭。

だが、

誰一人として、

誇らしげな顔はしていない。


そこにあるのは、

覚悟と嫌悪と、

取り返しのつかなさだけ。


ニコルは、

足元の重厚な兜を拾い上げた。


顔全体を覆う、

黒帝兵の兜。


無機質な鉄。

視界を狭める面当て。


それを――

ハーフマスクの上から、

ためらいなく、被る。


金属音。


――カン。

世界が、鉄の縁で切り取られた。


その瞬間。


兜の中で、

ニコルの表情は、

完全に消えた。


遊撃隊長ニコルは、

もうそこにいない。


いるのは――


敵の皮を被った、

“餌”でも“兵”でもない存在。


ニコルは、

低く、短く告げた。


「……馬で追いつくぞ」


行き先は、

まだ誰にも告げられていない。


だが、

全員が分かっていた。


ここから先は――

戻るための作戦じゃない。


夜の戦場に、

馬に乗る黒帝兵の影が、

十一体。


音もなく――

夜の闇へ溶け込んでいった。


✦✦✦ 【第3⃣幕終了】 ✦✦✦

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