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第48話 覚悟の餌――天はまだ終わりを告げない

薙ぎ倒された木々。

沈み込んだ大地。

砕けた土嚢。

引き裂かれた空の“縫い目”。


そして、

神すら、通じない。


戦場は――

終わったのではなく、

息の仕方を忘れていた。



城壁の上。


「……」


ニコルは、

言葉を失っていた。


喉が、

ひくりと鳴る。


(じょ……冗談だろ)


終焉の雷。

バルノアの命を懸けた、

最後の禁呪。


それを――

“受けた場所”から。


何事もなかったかのように、

立ち上がる存在。


「……っ」


誰かが、

短く息を呑んだ。


遊撃兵の一人が、

首を振りながら後ずさる。


「……効いてない。……何も」


呟きは、

風に溶ける前に――

砕けた。


獣は、

吠えない。


威嚇もしない。


ただ、

首をわずかに傾け――

空を、見上げている。



雷が、

落ちてきた場所。


裂けた空が、

世界の傷を隠すように閉じていく。


そこに――

もう、何もない。


獣は、

しばらくそれを眺め。


次に、

ゆっくりと――視線を下げた。


赤黒い瞳が、

戦場をなぞる。


死体。

血。

陥没した地面。


――そして。


――餌を探し。


城壁。


その上に立つ、

星月のマント。


ニコルと――

視線が、噛み合った。


一瞬。


獣の喉が、

低く――鳴った。


「……グルゥゥ……」


それは、

敵意でも、怒りでもない。


ただ“見つけた”

という、

捕食者の声だった。



ニコルは、

深く――息を吐いた。


笑みを作る。


いつものように。


軽口が、

舌の先に――乗りかける。


だが。


それを、

飲み込んだ。


(……やるか)


視線を、

左へ。


北側――

崖。


下に激流が流れる、

奈落。


「……クレセント!」


声は、低く。


だが、

はっきりと。


城壁の下、

遊撃隊最年少のクレセントが、

びくりと肩を揺らした。


「特大の丸太をつけて、馬車を持って来い」


「丸太馬車戦法――?」


クレセントが、声を張り上げた。


「違う」


否定。


「えっ?」


「――《恐怖の丸太ブーメラン騎兵隊》!」


「ながっ……」


「ちゃんと言え。

 それで俺に――ついて来い」


命令。


他に説明は、ない。


クレセントは、

一瞬だけ目を見開き――


(長いんだよなぁ……)


小声で呟くと、

馬屋へ走り出した。



ニコルは、口笛を鳴らすと、

走って来た白馬に飛び乗った。


「城門を開けろ!」


馬の腹を――蹴った。


城門が軋みながら開く。


外へ走りだす。


獣の視線は、

確かに――追ってきている。


ニコルは、

それから目を逸らさずに走った。


(……どこまで腹減ってんだよ?)


わざと――

近づくように速度を落とす。


そして、左手。


――崖へ。



獣は、

歩き出した。


走らない。

跳ばない。


確実に、

距離を――詰めてくる。


その足取りは、

焦りを知らない。


崖が近づく。


ニコルは、

馬を――止めた。


下りる。


崖の縁。

その向こうは、

奈落の闇。


馬の尻を叩いた。


走り去る馬を横目で見て、

獣は、

立ち止まった。


そしてまた歩き出す。


一歩。

また、一歩。


鼻先に、

餌の匂い。


崖ギリギリに立つ、ニコル。

首の付け根の留め具を外している。


それでも。

――生き残る算段なんて、最初から無かった。


ライザリオンは、

その手前まで歩いて来た。


一歩踏み出して手を伸ばせば届く位置。


だが、その時――

**“落ちたら喰えない”**という本能が、

わずかな――慎重さを生んだ。


一瞬の、

迷い。


その瞬間。



――ゴロゴロゴロ……!!


背後。


地鳴り。


丸太馬車。


全速。


クレセントが、

歯を食いしばり、

手綱を引いている。


ライザリオンは、

餌に集中していて気づかなかった。


ニコルは、

一歩踏み込んだ。


獣の頭上へ。


星月のマントを――

翻すと、頭に被せるように叩きつける。


視界を、奪う。


次の瞬間。


ニコル自身が、

マントの両角を掴んで、

背から崖の外へ――消える。


だが、獣が、

引きずられながらも、

踏ん張った。


崖縁の岩――足元が砕ける。


踏み留まった。


――耐えた、

その瞬間。



ドォン――ッ!!


巨大な丸太。


背を直撃。


衝撃。


骨に響く、鈍い重さ。


獣の身体が、

崖下――後方へ弾かれる。


だが。


宙に浮いたまま――

両手が、伸びた。


掴んだ。


丸太を。


掴み、

引いた。


馬車ごと。

車輪が岩を削る。


縄が、

軋む。


限界。


「――っ!!」


クレセントは、

剣を抜き――


断つ。


丸太の縄が、

弾けた。


彼は、

地面へ――転がる。


次の瞬間。


馬の嘶き。


馬車。


重さ。


止まらない。


勢い。


馬車から――

馬を引きずりながら奈落へ。



崖下は闇。


音が、

落ちていく。


何かが、

激流に落ちた音。


闇の底で、

“岩が砕ける音”が遅れて響いた。


それきり――

何も、返ってこなかった。


静寂。



「た……隊長……!?」


ニコルの姿は無い。


クレセントは、

這いつくばり――

崖の縁へ。


恐る恐る、

覗き込む。


闇。


――見えない。


その時。


岩の縁から。


――白い手が、伸びてきた。


鋭い爪をした、

指。


「……っ!」


クレセントは、

迷わず――掴んだ。


「隊長ッ!!」


引く。


全力で。


ニコルの身体が、

崖の上へ――転がり出る。


息を、

荒く吐きながら。


「……はぁ……はぁ」


ニコルは、

空を――見上げた。


陽はないが、

空は僅かにまだ赤い。


「マジ、……ネコ科で良かったわ。

 …………ザリガニ科とかだったら、

 終わってたなぁ」


かすれた声。

軽い身体。


爪を岩に立て、

辛うじてしがみついていた。


「さすが、隊長!」


と、その時。


「ぅあぁぁぁぁぁぁ!!!」


ニコルが声を上げた。


「一番、お気に入りのマント。

 あいつに持ってかれた!」


クレセントは、

膝をつき――

震える息で、笑った。



崖の下。


闇の底。


激流の音だけが、上がって来る。


だが、

終焉を阻んだ脅威は――遠ざかった。


世界は、

まだ――終わっていない。


今は、

そのことだけが、確かだった。

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