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第38話 崩れる王館――退かぬ王と燃え残る紅

■■■■■■■

【王館・王室】

■■■■■■■


「ロート」


ヴァレンティスの声は、

低く、澄んでいた。


ロートは振り返らない。

視線はヴァルザークのまま――玉座の横へ下がる。


「ベニバラを連れて、

 ――逃げろ」


囁くような声。

だが、疑いようのない命令だった。


一瞬。

王室の空気が、凍りつく。


近衛兵たちが、

互いの呼吸を感じ取る。


ロートは視線だけを動かし、

薄暗い部屋の片隅――

横たわるベニバラを見た。


紅い髪が額に垂れ、

鎧を脱いだ身体は、

静かに横たわったまま、

微動だにしない。


「……陛下は?」


「この王館を――

 崩す」


短い言葉。

だが、重かった。


ロートの喉が、ひくりと鳴る。


「……しかし……!」


「命令だ」


それだけで、

迷いを許さない意志が伝わった。


「残る三名と、

 時間を稼ぐ」


王は視線を外さない。


「お前は――

 彼女を、生かして連れ出せ」


ロートは一瞬だけ目を閉じ、

次の瞬間、

深く、頭を下げた。


「……御意」


短い返答。


そして踵を返し、

部屋の隅へと駆け出す。


その動きを、

近衛兵三人が背中で受け止める。


無言で一歩、前へ出る。

王の前に、壁を作った。



ヴァルザークはロートの背を見て、片眉を上げた。

だが、追わない。


「外は……全滅したのか?」


ヴァレンティスは、

自分でも驚くほど低い声で、そう問いかけた。


怒号でもなく、叱責でもない。

ただ――

確かめずにはいられなかった。


外には、ガルデンがいる。

ニコルがいる。

そして――

ロザリーナも、戻ったと聞いている。


戦場の轟音と、地面の揺れは、

今も絶え間なく響き続けている。


ヴァルザークは、

喉の奥で、くつくつと笑った。


「残念だがな――」


一拍。


「まだ、崩せちゃいねぇよ」


その言い方が、

妙に軽い。


(……砦は、落ちていない?)


「ならば……

 どうやって、ここまで来た」


問いに答える代わりに、

ヴァルザークの背で、

赤褐色の大きな魔翼が、ゆらりと揺れた。


――「それが答えだ」と言わんばかりに。


◆◆◆


ヴァルザークが、

一歩、前へ出た。


床に垂れた血が、

靴裏で、ぬちりと鳴る。


「そろそろ――

 終わらせるか」


楽しげな声。

戦場に立つ者のものではない。


「なぁ、……王様」


その瞬間だった。


近衛兵三人が、

一斉に踏み込む。


「陛下を――

 守れッ!!」


叫びは重なり、

剣が走り、

槍が一直線に突き出された。


覚悟は本物だった。

迷いもない。


だが――


ヴァルザークは、

そのすべてを眺めながら、

まるで散歩の途中で道を譲るように、

半歩だけ、身体をずらした。


一人目。


喉。


刃が、触れた。


――それだけで終わった。


声は、出なかった。

息が漏れることすらなく、

男はその場に崩れ落ちる。


二人目。


腹。


踏み込みは正確だった。

だが、その間合いに入る前に――


双剣が、横一文字に走る。


鎧が裂け、

肉が開き、

赤が、音を立てて弾けた。


男は、

自分の内臓が落ちていく感触を、

理解する前に倒れた。


三人目。


歯を食いしばり、

声を殺し、

正面から、斬りかかる。


逃げない。

退かない。

ただ、王の前に立つために。


ヴァルザークは、

わざと剣を受け止めた。


金属が噛み合い、

火花が散る。


「気合は、いい」


愉快そうに、そう言って――


次の瞬間。


胸が、裂けた。


刃は、

鎧も骨もまとめて割り、

心臓の位置を、

正確に――なぞった。


近衛兵の身体は、

血を撒き散らしながら、

床を転がる。


砦でも屈指の精鋭、三人だった。


だが、誰一人、

時間を稼ぐことすらできていなかった。


ヴァルザークは、

赤に濡れた双剣を、

軽く振って血を払う。


「いいねぇ」


ぽつりと。


ヴァルザークにとって、

ここは“戦場”ではなく――


ただの、

退屈を紛らわすための、

遊び場だった。


◆◆◆


「……さ~て」


ヴァルザークが、

ゆっくりと玉座へ向き直った。


血に濡れた双剣を垂らし、

首を鳴らす。


「――次は、王様の番だな」


その瞬間。


ヴァレンティスは、

ためらいなく剣を抜いた。


華美ではない。

だが、刃は曇っていない。


それは、

“絶対に守らなければならぬ者”のために、

手入れされ続けてきた剣だった。


構えは、

教本通り。


無駄がない。

――だが、

戦場を生き抜く者のそれではない。


(勝てるとは、思っていない)


(だが――

 時間を、稼がねばならない)


ヴァルザークが跳ぶ。


――飛翔。


床を蹴る音より先に、

空気が、裂ける。


ヴァレンティスは、

壁際へと走った。


双剣を前に突き出し、

ヴァルザークが急降下する。


その刹那。


ヴァレンティスは、

壁に掛けられたタペストリーへ手を伸ばした。


引き落とす。


――バサリッ!


重い布が、

宙を舞い――


ヴァルザークの身体――視界を覆い隠す。


その布へ、

ヴァレンティスは剣を突き立てた。


次の瞬間。


タペストリーの内側で、

剣が唸る。


読まれていたかのように。


白いかまいたちのような風が、

タペストリーを引き裂き、

空間そのものを、斬り払う。


避けた。


――だが。


ヴァレンティスの左肩の甲冑が、

吹き飛ぶ。


「――ッ!」


ヴァレンティスは床を転がり、

距離を取る。


背後で、

双剣が布ごと切り裂く音。


白い風の波紋が走り、

裂けた布片が、

粉雪のように舞い散った。


石片が弾け、

王室に、乾いた音が降り注ぐ。


「ほぉ」


楽しげな声。


暗紅の瞳を光らせ、

砕けた瓦礫と、舞い散る裂け布の中に立つ――

魔翼の処刑者。


「あれを避けたか」


ヴァルザークは、笑った。


「それでいい」


褒めている。

だが、それは――

“上質な玩具”に向けた声だった。


再び、跳ぶ。


今度は低く。

魔翼が、ばさりと音を立てる。


(……ここまでか)


ヴァレンティスは、

玉座へと走った。


影へ滑り込む。

息が荒れる。


それでも――

立ち止まらない。


(さあ王様よ……)


胸の奥で、

静かに告げる。


(終わりの時間だ)


赤褐色の魔翼が、

再び、大きく広がる。


ヴァルザークの双剣は、

完全に――

“追う者”の顔をしていた。


急降下。


その影が、

王を覆う。


ヴァレンティスは、

玉座の背後へ回り――


王館の支柱崩壊のレバーを、

強く、握った。


◆◆◆


――その刹那。


一直線に迫る、

赤褐色の翼。


――その時。


後方から、

一本の長槍が飛来した。


空気を裂く音。


「――なっ!?」


ヴァルザークが、

反射的に顔を逸らす。


槍は、

蝙蝠のような耳を掠め――

赤い血を、弧を描いて散らした。


次の瞬間、

標的を失った槍が、

王室の石壁へ深々と突き刺さる。


……沈黙。


レバーを倒しかけた

ヴァレンティスの手が、止まった。


王室の奥――


壁に手をつき、

体重を預けるようにして、

紅髪の女が、立っていた。


「……休ませても、

 もらえないのか」


かすれた声。

怒号でも、

威嚇でもない。


ただ――

微かに生き残った者の、吐息だった。


――ベニバラ。


自分を起こしたロートの槍を、

投げつけていた。


左腕は、

肩から吊られ、

力なく揺れている。


残る右手で、

床に突き立てていた剣を――

ぎし、と音を立てながら引き抜く。


刃先が、床を擦る。


「ロート、陛下を」


短い命令。


それだけで、

意味は十分だった。


ロートが剣を抜き、

迷いなく玉座へ駆け寄る。


胸の包帯の奥で、

血が、じわりと滲む。


鎧はない。

彼女を守るものは、何もない。


――だが。


その瞳だけは、

まだ燃えていた。


「ベニバラ……」


ヴァレンティスが、

思わず名を呼ぶ。


目が合う。


彼女は、

ほんの一瞬だけ首を振った。


――分かっている。

支柱が折れて、天井が落ちる。

玉座裏の仕掛けも。


王の覚悟も。


すべて。


紅い視線を、

ゆっくりとヴァルザークへ戻す。


「私の――この目が」


一歩。

耳鳴りに、眉根を寄せる。


「――まだ開き」


また、一歩。

視界の端が黒く欠ける。

引きずる剣が、床に紅い線を引いていく。


「この腕が――剣を握っているかぎり」


肺を焼くような荒い呼吸が、

静まり返った王室に響く。


「まだなにも――」


「――終わっちゃいない!!」


叩きつけられた声。

その圧に、ロートの肌に鳥肌が逆立ち、

一瞬、呼吸を忘れた。


ヴァルザークが、

心底楽しそうに、笑う。


「へぇ……」


低く。


「初めてだな。

 自分の血の匂いを、

 こうして嗅いだのは」


耳から流れる血を、

手の甲で拭い――


それを、

長い舌を伸ばして、

ぺろりと舐める。


一瞬、目を細めた。


「まだ、面白いのが

 残ってたじゃねぇか」


ベニバラは止まらない。


王の前へ、

身体を差し出すように――

一歩ずつ、進む。


ヴァルザークの視線が、

細く、鋭くなる。


「……お前、誰だ?」


一拍。


「……ああ」


唇が歪む。


「もしかして――

 俺たち八将の一人を倒した、

 赤毛か?」


答えはない。


ベニバラは、

剣を下げたまま、

ただ、立つ。


「いいだろ」


乾いた笑い。


「……お前も、

 同じ場所に

 行かせてやる」


視線が、

彼女の足元へ落ちる。


震える脚。

血に濡れた床。


彼女が吐き出す息は、

鉄の匂いが混じり、ひどく熱い。


「アハハ……

 貧血のゾンビみてぇだな」


顔を上げ、

楽しげに告げる。


「ふらふらだ。

 ――それに片腕かよ」


一拍。


「お前、

 それで俺と、戦えるのか?」


◆◆◆


「……どうかな」


ベニバラは、

右腕一本で剣を構えた。


「たしかめてみろよ」


声は低い。


そして――

ほんのわずか、笑った。


それはただ、

逃げないと決めた者の声だった。


「ベニバラ……!!」


ヴァレンティスが、

思わず声を上げる。


だが――


彼女は、

振り返らない。


ヴァルザークを見据え、

剣を、水平にまっすぐ前へ突き出す。


握る右手。

その人差し指が――立つ。


ちょい、ちょい、と。


ただ、

――こっちへ来いと誘った。

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