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第35話 王と司祭――選ばれた終焉

■■■■■■■■

【王館・王室内】

■■■■■■■■


分厚い石壁に囲まれたその空間にも、

外の戦場の轟音は、もはや隠しきれなかった。


夕暮れの空を震わせるように、

低く、鈍く、絶え間なく響き続けている。


玉座に座すヴァレンティスの前に、

白い法衣をまとった老人が立っている。


深い皺に刻まれた年月。

雪のように白い髪と顎鬚。

胸には古い聖印を下げ、

杖を頼りにしても、その背は不思議と真っ直ぐだった。


老司祭――

バルノア・ベネス。


「……わしを呼ぶということは」


しわがれた声が、王室に静かに落ちる。


「落城が、間近ということじゃな」


ヴァレンティスは、ゆっくりと頷いた。


「最後は、私がここで

 できるだけ踏みとどまります。

 その間に、民を馬車で――逃がしてください」


「……終わりなのか」


老司祭は問い返した。


ヴァレンティスは答えなかった。

だが、その瞳を見れば十分だった。


――覚悟は、すでに固まっている。


バルノアが言葉を返そうとした、その時。


「――失礼します!!」


王室の扉が勢いよく開き、

近衛兵ロートの後ろから、小柄な老人が飛び込んできた。


老人――ダルパス。


ごつい手で、幼い少女の小さな手を、

しっかりと引いている。


「ロ、ロザリーナ様が……

 ――戻られましたじゃ!!」


声が震える。

息が上がり、言葉が追いつかない。


ダルパスは、そのまま王の前に膝を折り、

深く頭を下げた。


「――なに!?」


ヴァレンティスが、思わず声を上げた。


「ですが……毒を盛られております」


ロートが、低く続ける。


ヴァレンティスは玉座を立ち、

赤い絨毯を踏みしめて少女の前へ歩み寄った。


少女は、不安そうに王を見上げている。


その瞬間――


ゴォォン――!!


轟音とともに、王館が揺れた。


柱が軋み、天井から小石が舞い落ちる。

黒帝軍の投石器から放たれた大石が、

城壁を越え、王館の上階――

どこかの回廊が、潰れたような音がした。


「――っ!」


ヴァレンティスは即座に膝をつき、

少女を抱き寄せ、その頭を胸で庇った。


背に、石片が降り注ぐ。

尖った石片が頬を掠め、血が一筋落ちる。


「陛下!!」


近衛兵たちが慌てて駆け寄る。


「……大丈夫だ」


ヴァレンティスは膝をついたまま、顔を上げた。

少女が、王の服の裾をぎゅっと握りしめている。


「この子は……?」


「ロザリーナ様が、

 グラの村から救い出してきた子ですじゃ」


ダルパスが答える。


ヴァレンティスは、

一瞬だけ、ふっと小さく笑った。


「……相変わらずだな。

 こんな時代でも、変わらない」


だが――

その笑みは、すぐに消えた。


少女の細い腕。

衣の隙間から覗く、手足に残る無数の痣。

まだ消えきらない紫と、黄色に変わりかけた跡。


王の瞳が、静かに曇る。


「……こんな幼い子にまで……」


言葉は、それ以上続かなかった。



ヴァレンティスは、少女に視線を戻し、

声を抑えて告げる。


「この子を、

 民が避難している教会へ――」


玉座の脇から、

バルノアが一歩、前へ出た。


「わしが連れて行こう」


少女は、無言で

ヴァレンティスとバルノアの顔を見比べている。


ヴァレンティスは少女の手を取り、

老司祭の前まで歩み寄ると、

その背を、そっと押した。


「バルノア。

 民が、いつでも逃げ出せるように……

 準備を頼みます」


「分かった」


老司祭は、静かに頷く。


「……じゃが、逃げても被害は甚大じゃ。

 二、三割……いや、半数は逃げられんかもしれん」


「……私の未熟さゆえに」


ヴァレンティスは、唇を噛みしめた。


「最初に飛び出す馬車は、

 確実に敵の集中砲火を浴びる。

 だが――選ばねばならんな」


その言葉を遮るように、声が上がった。


「わしが行きますじゃ!!」


ダルパスだった。


「皆が……皆が命を懸けて戦っておる。

 この老いぼれの命、

 子らの未来に使えるなら、

 安いもんですじゃ」


ダルパスの瞳には、

この少女の姿が、我が孫娘と重なっていた。


ヴァレンティスは一瞬、目を閉じ、

そしてダルパスに向き直る。


「……ダルパス殿でしたね」


王の声は静かだった。


大きく息を吸い、

一拍置いて――


「……申し訳ない」


深々と、頭を下げる。


それは、

死の宣告と同じ重さだった。


「と、とんでもない……」


ダルパスは慌てて跪く。


その肩に、

老司祭のしわだらけの手が、静かに置かれた。



「ダルパス殿」


バルノアの声は、淡々としていた。

揺らぎも、焦りもない。


「わしが、王館裏手の大教会――

 その最上部にある鐘楼(しょうろう)から、

 《終焉の雷》を城壁前へ落とす」


王室が、静まり返る。


「天が裂け、光が降り注ぎ、

 城壁前の敵は――消え去るじゃろう。

 それを合図に、飛び出してほしい」


《鐘楼の聖印》――それは天を引き裂く“導線”。

――代わりに、術者の心臓が焼き尽きる。


「バルノア……

 それでは、あなたが――」


「言うな」


老司祭は、静かにヴァレンティスを制した。


「……ヴァレンティス」


その名を、父のように呼んだ。


「おまえの父の時代から、

 わしはずっと見てきた。

 ……おまえの父は、

 民に慕われる、立派な王だった」


ヴァレンティスは、頭を垂れたまま動かない。


「だがな……

 おまえも、立派になった」


その声は、我が子に向けるように温かい。


「おまえの周りには、

 気持ちのいい者たちが集まる。

 それは偶然でも、奇跡でもない。

 ――おまえが、そうだからだ」


一拍。


「だからな」


バルノアは、穏やかに微笑んだ。


「わしも、

 おまえの傍にいると、

 いつも気分が良かった」


そして、最後に。


「最後まで、諦めるな。

 ヴァレンティス。


 おまえが思うより、

 おまえは――神に愛されている」



老司祭バルノアは、ゆっくりと背を向けた。


少女の手を引いたダルパスが、

その後を追う。


白い法衣が静かに揺れ、

杖の先が石床を叩く乾いた音だけが、王室に残る。


その背中は、

老いを帯びながらも、不思議と小さくは見えなかった。


――それは、

すでに「戻るつもりのない者」の歩き方だった。



王室の扉が、軋む音を立てて開く。


その瞬間。


「……っ」


玉座に戻りかけたヴァレンティスが、顔を向けた。


扉の向こうから、

二人の兵に両脇を支えられた女が、ゆっくりと入ってくる。


紅の軍神――

ベニバラ。


鎧はすでに外され、

胸と腹には応急の包帯が幾重にも巻かれていた。


折れた左腕は、肩から吊るされ、

歩みに合わせて、力なく揺れている。


――それでも。


残った逆の手は、

**剣の柄**を離さない。

手の甲に血管が浮き上がるほど、

ぎり、と強く握り締めていた。


歩くたび、

痛みを噛み殺すように、喉が小さく鳴る。


「……」


バルノアと、ベニバラ。


二人の視線が、

ほんの一瞬だけ、交わった。


言葉はない。


だが、

老司祭はその紅髪を見て、すべてを悟ったように、

わずかに目を伏せた。


ベニバラは、

何も言わず、ただ短く頭を下げた。


それだけで、

二人は理解し合っていた。


――どちらも、もう引き返せないと。


バルノアは、そのまま王室を後にする。


扉が閉まる音が、

まるで区切りの線のように、静かに響いた。



王室に残された空気が、

一段、重く沈む。


「……陛下」


ベニバラは、支えられながらも膝を折り、

深く頭を垂れようとした。


「無事でよかった」


ヴァレンティスは、すぐに歩み寄り、

その肩に手を置いて制した。


「……そのままで」


ベニバラは、かすれた声で答える。


「門前を……

 完全には、止めきれませんでした」


その言葉に、

王は首を横に振った。


「よくやってくれた。

 ドルグの異能が封じられなければ、

 とうに城門は持たなかった」


ベニバラは、わずかに笑った。


だがその笑みは、

勝者のものではない。


砕けた誇りを、胸の奥に抱いた者の笑みだった。


王館の外で、

再び、地を揺らす轟音が響く。


投石器の石弾が、

城壁内を叩き始めたのだ。


ヴァレンティスは、静かに告げた。


「……戦いは、ここからだ」


王室の中で、

誰も否定しなかった。


それぞれが、

自分の「終わり方」を、すでに選び始めていたから。


――◇――


大教会の鐘楼へ向かう老司祭と、

王館に辿り着いた紅の軍神。


二つの背中が、

同じ黄昏の中で、逆方向へ進んでいく。


それが――

ルドグラッド砦に残された、

最後の猶予だった。

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