第34話 蒼の帰還――止まらぬ災害
遊撃隊は、
黒一色の戦場を裂くように疾走していた。
三十騎の騎馬が、一直線に――投石器へ向かう。
蹄が、大地を叩き割る音が連なった。
その動きを、黒帝軍前線から見下ろす巨影がある。
「……あれは?」
ドルグ=ハルザードの問いに、
レッドバルムが即座に答えた。
「砦の遊撃隊です」
ドルグは、わずかに口角を上げた。
「投石器か。
――俺が止める」
巨体が向きを変える。
三メートルの怪物が、投石器の方角へ歩き出した。
◆◆◆
「突っ込めッ!!」
投石器の前方――
ニコルの号令とともに、遊撃隊が黒帝兵へなだれ込む。
剣が走る。
盾が砕ける。
投石器前を守っていた黒帝兵が、次々に斬り伏せられた。
疾走する白馬の後ろ――
アズが続く。
マクレブと遊撃隊が続く。
――その時だった。
「……ドルグッ!」
ニコルが、馬上から視線を上げる。
来る。
黒帝兵をかき分けて、
巨鎚を担いだ“災害”が、こちらへ向かっていた。
ニコルとドルグ。
一瞬だけ、視線が噛み合う。
――最悪の距離。
ニコルが視線を戻した、その瞬間だった。
音が、消えた。
投石の轟音も、
剣がぶつかる金属音も、
兵士たちの怒号も――
すべてが、一拍だけ遠のいた。
違和感。
戦場の奥――
投石器の後方、林の縁。
一頭の栗毛が、静かに飛び出してくる。
――時間だけが、彼女の周囲で遅れていた。
蒼の軽鎧。
風に舞う栗色の長い髪。
そして――
血の気を失った、蒼白な顔。
そこにいつもの冷静さはない。
全身から、張りつめた悲壮感が滲み出ていた。
「……ロザリーナ……?」
ニコルの喉から、音にならない声が零れた。
彼女の左手は、
胸の前の布を大切に抱え込んでいる。
右手だけで、手綱を握り、
一直線に砦へ向かっている。
だが、その進路の先には――
長槍を構えた黒帝兵。
「……あれじゃ、剣が振るえない」
ニコルは、即座に怒鳴った。
「マクレブ!!
ここを頼む!!
俺は――ロザリーナを!!」
ニコルは馬首を返す。
「えっ、……ロザリーナさん?」
アズが、
少し先を駆け抜けていく栗毛を見つける。
「アズ!
マクレブの後ろにいろ!
いいな!!」
「う、うん……!」
ニコルは剣を構え、
アズの横を抜けてロザリーナへ向かう。
マクレブの怒号が遠ざかる。
置いてきた戦場が、ニコルの背中で膨らんだ。
――ニコルとロザリーナ。
二頭の馬が、戦場を並走する。
走りながら、
一瞬、
青銀の瞳が、
横目でニコルを見た。
――笑顔はない。
あるのは、
焦点の定まらない目と、
今にも、馬からずり落ちそうな姿だった。
「……劇的な、
英雄登場って顔じゃないねぇ~♪」
ニコルは一気に前へ出る。
剣を振るい、 槍兵を薙ぎ払う。
「こっちだ!!」
ロザリーナが、無言で続く。
◆◆◆
「門を開けろッ!!」
城門が、軋みながら開く。
二頭の馬が、黒帝兵の列を割り、
瓦礫と血の匂いを引き連れて、砦内へ滑り込んだ。
ロザリーナは――
止まらなかった。
いや、止まれなかった。
民兵の中へ突っ込み、
馬から降りようとして、
足が、縺れる。
そのまま――
崩れるように、地面へ。
だが、胸の前の布を、離さない。
四つん這いになりながらも、離さない。
布の中から、
幼い少女の顔が覗いた。
不安に揺れる瞳。
ロザリーナは、無理に口角を上げた。
「……大丈夫……」
だが、声が、続かない。
背の布を緩め、
少女を外へ出した、その瞬間――
身体が、限界を思い出した。
「……っ、オエェ……!」
吐瀉。
胃の中のものだけではない。
毒と、疲労と、
張り詰めていたものすべてを吐き出すように。
ニコルが、肩を掴む。
「ロザリーナ!!
何があった!?」
一拍置いて。
「……毒を、盛られた。
……大丈夫だ」
――とても、大丈夫には見えない。
浅い呼吸。
霞む視界。
額から、冷たい汗が滴る。
ロザリーナは顔を上げ、ニコルを見る。
「この子を……
安全な場所へ……」
「その子は?」
「……この先の崖下。
川沿いの村に捕らわれていた」
「……下の村――
グラの村か?」
「……そうだ」
ニコルは即座に振り返る。
「クレセント!
この子を王館へ――」
その声を遮ったのは、
しわがれた声だった。
「わしが連れて行きますじゃ」
振り向くと、
そこに立っていたのは――ダルパス。
グラに襲われた村から、逃げてきた老人。
同じ年頃の孫娘がいる。
「クレセントさんは、
ここを守ってくだせぇ」
ニコルは一瞬だけ迷い――
頷いた。
「……頼みます」
ダルパスが、少女の手を取ろうとした、その時。
少女は一歩、後ずさりし――
四つん這いのロザリーナの首に、しがみついた。
「……大丈夫。
大丈夫だから」
ロザリーナは、かすれた声で言い、
少女の頭を、そっと撫でた。
少女は震えながら、
ダルパスの大きな皺だらけの手――その小指を、ぎゅっと握る。
ロザリーナは、それを見届けてから、
力尽きたように、前へ崩れかけた。
それをニコルが支えると、城壁を背に座らせた。
戦乱の世の中で。
またひとつ、
守られた命が、砦へ戻った。
――そして同時に。
新たな戦いが、
ここから始まろうとしていた。
◆◆◆
■■■■■■■■
【敵・投石器前】
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遊撃隊が、黒帝兵を押し込み――
その瞬間だった。
地面が、沈んだ。
――ドォン。
「……なに――」
次の瞬間。
ゴォォォンッ!!
破砕の巨鎚が、横薙ぎに振るわれる。
衝撃。
二頭、三頭――
馬ごと、兵が宙を舞った。
骨の砕ける音。
鎧の潰れる音。
悲鳴すら、途中で潰れる。
「――ッ!!」
アズの馬も、衝撃に呑み込まれた。
だが。
アズは、落ちない。
空中で身体を捻り、
馬の背を蹴り――
くるりと反転し、地面へ着地した。
「……ッ」
着地の衝撃を、足で殺す。
目の前に――
三メートルの怪物。
破砕の巨鎚・ドルグ=ハルザード。
少女へ向けられた視線が、
一瞬、わずかに細まる。
「ほう……」
低く、鈍い声。
「俺を見て、怯えないのか」
巨体が、ゆっくりと構えを取る。
アズは答えない。
ただ、
双短剣を低く構え――
次の瞬間。
巨鎚が、真上へ持ち上がった。
空が、遮られる。
「――砕けろ!」
ゴォォォン!!
真下へ、
世界ごと叩き割る一撃。
アズは――
後方へ跳んだ。
爆ぜる地面。
舞い上がる土砂。
だが、止まらない。
着地の刹那、
身体はすでに前へ。
一直線。
巨鎚の上へ――
飛び乗る。
「……!」
長い鉄の柄を、
小さな身体が、そのまま駆け上がる。
速い。
距離が、詰まる。
視界いっぱいに――
ドルグの顔。
アズは、
双短剣を突き出した。
狙いは――
両目。
「――ッ!」
だが。
ドルグが、柄を逆手に持ち、
一歩、踏み出す。
肩を入れて押し上げた。
地面が、沈む。
次の瞬間――
巨鎚の柄が、垂直に立った。
「……甘い」
重力が、裏返る。
アズの身体が、
宙へ放り出された。
「――ッ!」
それでも。
落ちながら、横へ回転。
十字架のように両腕を広げ、
――その右手の刃が、
ドルグの胸元を斬り裂く。
血が散る。
――だが、浅い。
アズは、
回転しながら、ドルグを背に着地。
「な……なんだ、今のは――」
「ベニバラの、再来か……?」
黒帝兵の声が、
悲鳴に近いざわめきとなって広がる。
それでも、
アズの目は――笑っていなかった。
巨体の動き。
踏み込みの癖。
一瞬だけ遅れる、重心。
(……これなら――)
巨影が、迫る。
影が、視界を覆う。
アズは、――ゆっくりと顔を上げた。
口元が、わずかに吊り上がる。
(――行ける)
止まる理由は、ない。
引くという選択も、ない。
あるのは――
今、この距離が、届くかどうか。
それだけ。
そして、
アズの灰青の瞳には――
勝利しか、映っていなかった。
◇
――蒼は戻った。
だが――
災害は、まだ“本気”を出していない。
戦争が、
才能が、
正義が、
覚悟が、
その全部が、もう止まれない。




