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第31話 戦争の歯車――崩れ始めた配置図

■■■■■■■

【黒帝軍本陣】

■■■■■■■


土嚢と黒布で組まれた指揮陣地の中央へ、

破砕の巨鎚・《ドルグ=ハルザード》が戻ってきた。


巨鎚を地面に突き立てる。

鈍い音とともに、周囲の兵が一斉に背筋を伸ばした。


――だが。


「……グラはどうした」


低く、短い問い。


――三眼の暴君・《グラ=シャルン》。


そこに、

“いるべき総大将の姿”はなかった。


一瞬の沈黙。

やがて、包帯を巻いた兵が、よろめくように前へ出る。


「はっ……!

 私は、投石器部隊の者です……」


泥と血にまみれた顔。

片脚を引きずり、声が震えている。


「投石器を運搬中……襲撃を受けました。

 敵は……一人……」


ドルグの眉が、わずかに動いた。


「一人?」


「は、はい……。

 ですが……あれは、人では……」


兵は喉を鳴らす。


「獣のような……凄まじい雄叫びを上げて……

 仲間が、次々に……」


言葉が、そこで途切れた。


「自分は……必死で、逃げてきました……」


ドルグは、ゆっくりと息を吐く。


――投石器。

――輸送路。

――そして、一人。


配置図の上で、

ありえない“穴”が開いていた。


「グラ将軍は……

 その投石器が襲われた地点へ向かいました」


兵は、それ以上言えず、口を閉じた。


ドルグは、即座に判断を下す。


「レッドバルム」


「はっ!」


黒帝隊統率官・レッドバルムが前へ出る。


「兵を率いて投石器を取り戻せ。

 そして――グラを連れて来い」


「了解!」


「投石器が到着次第、

 右側城壁へ集中攻撃だ」


レッドバルムが頷く。


ドルグは続けた。


「城壁からの矢が止まったら――

 魔翼の処刑者・《ヴァルザーク》に出撃を命じろ」


一瞬、空気が張り詰める。


だが、レッドバルムは迷わない。


「……承知しました!」


兵を引き連れ、走り去る。


ドルグは、

テントの中の将軍用の椅子にどっかりと腰を下ろし、

ベニバラに深く裂かれた左膝を見下ろした。


溢れる血を気にする様子もなく、

腰のポーチから取り出した赤黒く脈打つ魔獣の生肉を、

剥き出しの筋肉と骨の継ぎ目へ、強引にねじ込んだ。


――パチパチパチパチッ!


接合部から魔獣核の熱による白煙が上がり、

焼鉄で生身を焦がすような異音と、

鼻を突く焦げ臭さが指揮所を満たした。


だが、ドルグは眉一つ動かさない。


ただ、壊れた部品を調整するかのように、

踏み込んだ足の感触を無機質に確かめ、立ち上がる。


巨鎚を肩に担ぎ直す。


その瞳には、

痛みに対する怒りも、復讐心すらもない。


「……戦争は、予定通りには進まんな」


損壊箇所の処理を終えると、

彼は何事もなかったかのように、

再び絶望を振り撒くために前線へと歩み出した。


――◇―― 


■■■■■■■■■

【ルドグラッド砦】

■■■■■■■■■


閉じられた門の内側で、

兵たちは地面に座り込み、荒い息を吐いていた。


そこへ――


王ヴァレンティスが、王館から姿を現す。


戦場から飛び込んできた小馬車の荷台に。

血に濡れた紅髪。


「……ベニバラを」


王に呼ばれて、近衛のロートが即座に駆け寄る。


「王館へ。

 すぐに手当てを。

 命を最優先だ」


「はっ!」


ベニバラは意識が朦朧としながら、

何か言おうとして――声にならなかった。


ヴァレンティスは、その顔から目を逸らさない。

――言葉はいらない。

生きて戻った、それだけでいい。


二人の近衛が肩を貸し、

ベニバラの姿は人波に消えていく。


その様子を見届けてから、

ヴァレンティスは振り返り、

視線を砦の内へ移した。


倒れ込む兵。

壁にもたれ、肩で息をする者。

脚に刺さった矢を震える手で抜く者。

武器を足元に落としたまま、動けない者。


誰もが、

「もう一度立てるかどうか」ではなく、

「なぜ立つのか」を探している顔だった。


ヴァレンティスは、声を張らない。


「――兵糧係」


「はっ!」


「全兵へ、食糧を配給せよ」


その一言で、空気が止まる。


「腹がすいていては戦えない。

 通常の……二倍だ」


ざわめきが広がる。

それは驚きであり、

同時に、胸の奥に澱のように溜まっていた何かが、

ゆっくりと動き出す音だった。


そこへ、ガルデンが歩み出る。


「陛下。

 物資が乏しい。

 矢も、残りわずかで……」


老将の言葉は、現実だった。

だが――


ヴァレンティスは、穏やかに頷く。


「分かっている」


一拍。


「だが――今、腹を満たさねば、

 次の衝撃で、心が折れる」


それは叱責でも、理想論でもない。

戦場を知る者の、静かな判断だった。


「これは浪費ではない。

 生き残るための判断だ」


ガルデンは、しばらく黙り込む。

やがて、深く息を吐き、頷いた。


「……承知した」


ヴァレンティスは、兵たちの方を向く。


「……よく耐えてくれた」


一瞬の間。


「――皆、よくやっている」


その一言が、

倒れた背中を、ゆっくりと起こしていく。


「ガルデン、頼むぞ」


老将は、短く頷いた。


王は、それ以上、何も言わない。

励ましも、誓いも、口にしない。


ただ、

“ここにいる全員を、まだ戦える状態に戻す”

そのための言葉と判断だけを残し、


ヴァレンティスは、再び王館へと歩き出した。


その背中は、

自らの覚悟を誰にも悟られず、

それでも先頭に立つ者の歩き方だった。


◆◆◆


少し離れた城壁の陰。


「……だいじょうぶ。

 もう、砦の中だよ」


アズは、泥だらけのポコランの顔を、布で拭っていた。


ポコランは壁を背に座り込み、

泣いた跡の残る目を伏せている。

指先は、まだ小刻みに震えていた。


そこへ――

足音も荒く、ニコルが歩み寄る。


「……アズ」


呼ばれても、アズは顔を上げない。


「聞いてるか」


「……今、忙しい」


短い返答。

それだけで、ニコルの眉が跳ねた。


「忙しいじゃねぇ。

 お前の、さっきの動きだ」


アズの手が、止まる。


「戦えるのは分かってる。

 いや……正直に言う。

 想像以上だった」


一拍。


「だがな――

 無茶はするな」


アズが、勢いよく顔を上げた。


「無茶するなって、何よ!!」


立ち上がり、ニコルを睨みつける。


「ベニバラ将軍も、命懸けで止めてた!

 ポコランだって、必死だった!

 私だけ……私だけ、ダメだって言うの!?」


その眼に、迷いはない。

恐怖もない。


「私はずっと、ベニバラ将軍の背中を見てきた。

 あの人が血を流してまで守ろうとした場所で、

 私だけが安全なところにいて……」


声が、わずかに震える。


「そんなんで、

 どうやって、民を守れるっていうのよ!」


彼女が求めているのは、生存ではない。

自分の中に流れているガルデンと同じ血、

――その誇りの完遂だった。


そしてその眼光は、

紅の軍神が戦場で放つものと、

残酷なほどよく似ていた。


――それが、ニコルには怖かった。


(この子は……

 止まることを、知らない)


「アズ。

 一人で突っ込むな」


声が、わずかに強くなる。


「お前が死んだら、

 ガルデンが折れる。


 それだけじゃない……」


一瞬、言葉を選び――


「俺だって、

 寝覚めが悪すぎてやってられねぇ」


ニコルは、震える指先を隠すように拳を握った。


「だから次は――

 必ず、俺の後ろにいろ。

 勝手な真似は、許さない」


アズは唇を噛み、


「……分かった」


とだけ答えた。


だが、その声は、

納得ではなく“飲み込んだ”ものだった。


感情で動く。

正義で踏み込む。

そして――戻れなくなる。


戦場で、いちばん危険な資質。


この少女は、

すでにそれを持っている。


ニコルは目を逸らし、


「……ドルグが来たら、

 次は俺が止める」


と、小さく呟いた。



その時だった。


砦の外から、

空気を押し潰すような低音が響く。


――グゴォォォ……ッ!!


「……っ」


ニコルが、反射的に振り返る。


空が、歪んだ。


左城壁(敵右翼)の上空に、

巨大な影が差し込む。


「――来るぞッ!!」


誰かの叫びが、途中で潰れた。


ドォォォンッ!!


大粒の石弾が、城壁を直撃する。


石が砕け、

衝撃が“壁そのもの”を揺さぶった。


「うわあああっ!!」


続けざまに――


二発目。

三発目。


巨大な石弾が、

狙い澄ましたように、同じ区画へ叩き込まれる。


城壁に――

はっきりと、亀裂が走った。


「ひ、ひびが……!!」


その瞬間だった。


城壁上に設置されていた、

熱せられた塩水の釜に――

石弾が直撃する。


――ガツァァァァン!!


ぐらり、と傾く。


「釜が――」


間に合わない。


衝撃に耐えきれず、

大釜は、そのまま――内側へ、ひっくり返った。


「うあああああッ!!」


煮えたぎる塩水と岩石が、

味方の兵へ降り注ぐ。


焼ける音。

肉の弾ける匂い。


砕けた石屑(いしつぶ)と熱湯が混じり、

城壁上は、一瞬で地獄に変わった。


兵たちはのたうち回り、

転がり、叫び、壁から落ちる。


「助けてくれッ!!」

「足が……足がぁぁ!!」


指揮も、統制も――消えた。


逆側の右城壁から、

必死の反撃が飛ぶ。


「弓兵! 射て!!」


――シュッ、シュッ。


矢の音は、まばらだった。


「……残り、十束もない……」


バリスタが、悲鳴のように軋む。


だが――


「届かない……!

 投石器が、遠すぎる……!」


反撃は、届かない。


その“隙”を、

黒帝軍が見逃すはずがなかった。


「梯子ッ!!」


砦の外側。


一斉に、

左城壁へ三基の攻城梯子が掛けられる。


「止めろ!!」

「登らせるなッ!!」


だが、混乱の中では――

統制を取ろうとする声さえ、潰れていく。


黒鎧兵が、

なだれのように城壁上へ流れ込んだ。


砦の中では、

まだ誰も折れていない。


だが――

もう誰も「守り切れる」とは思っていなかった。


戦線は、一本ではない。

左も、右も、内側も――

同時に、崩れ始めている。


倒しても、倒しても、

梯子の先から、黒い影が這い上がってくる。


崩れた城壁の亀裂は、

心臓の鼓動に合わせるかのように広がり、

一歩ずつ、確実に――

砦の寿命を削り取っていた。

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