第27話 門前の死闘――紅雷と災害の衝突
城門前の戦場は、
すでに泥と血に沈んでいた。
黒帝軍の濁流が左右に裂けた。
その裂け目の中央を――
岩の災厄が歩んできた。
破砕の巨鎚
《ドルグ=ハルザード》。
ベニバラは門前の泥を踏み締め、
黒鎧兵の喉を斬り払いながらその影へ向かう。
背後には砦。
前には怪物。
周囲は黒帝兵。
退路も、味方も――ない。
ドルグが歩みを止めた。
兜の奥で、牙が嗤っていた。
「赤い髪、赤い目……
どこかで嗅いだと思ったが――思い出した」
巨鎚が肩から離れ、
地面にその影が落ちる。
「あのときだ。
村人を置いて逃げた女。
尻尾を巻いて、泣きながら――」
――戦場の音が止まった。
城壁上の弓兵も、黒帝兵も、
その一言に息を呑んだ。
ベニバラの瞳が、ほんのわずかに揺れる。
それは怒りではない。
――痛みだった。
だがドルグは、
その揺らぎさえ“弱さ”と断じる。
「砕かれた命は、弱者の証だ。
英雄を気取ったところで、
守る力がなかった――ただ、それだけだろう」
巨鎚が、ゆるやかに掲げられる。
それは威嚇ではない。
処刑の前段だった。
「村人を見捨てるような、
何の価値も無いものは――」
低く、重く、宣告する。
「即座に砕き、
あの時と同じ“無”へ戻してやる」
ベニバラは、答えた。
低く。
押し殺し、噛み砕くように。
「……そうか」
剣先が微かに震える。
それは恐怖ではない――
封じていた怒りが、息を吹き返した証だった。
城壁上から、ガルデンの怒号。
「弓兵! 狙いを逸らすな――
将軍を援護せよ!」
だがベニバラは片手を上げ、射手を止めた。
「撃つな……これは、私の戦いだ」
兵たちの喉が鳴る。
孤軍。
包囲陣の只中。
誰にも寄り掛かれない距離。
それでも――ベニバラは一歩前へ。
「逃げた背中の話をするなら――」
剣が低く鳴く。
「ここで、その“続きを終わらせる”」
ドルグが鼻で嗤う。
「証明できるか?
弱者が変わった――などという幻想を」
「ならば、お前が確かめてみろ」
*
黒帝兵の陣が蠢き、
包囲が、ゆっくりと閉じていく。
それを見やり、ドルグが吼えた。
岩盤の裂け目のような声で。
「手を出すな」
黒鎧兵が息を飲み、
二人の周囲に自然と円形の広場が出来た。
「――この女は、俺が砕く」
宣告。
ベニバラの紅瞳が、細くなる。
「……いいだろう。
だが――後悔するなよ」
◆◆◆
瞬間――紅が跳ねた。
「はッ!」
金剣が稲光を帯び、
巨大鎚の側面へ鋭い突きが滑り込む。
ドルグは鎚を捻って防ぐ――
だが重防御が裂けた。
ベニバラは息を吐かず、ただ斬る。
一撃。
二撃。
三撃。
金盾が鎚の腹を弾き、
金剣が継ぎ目へ火花を散らす。
ドルグは質量の獣。
踏めば地が沈む。
振れば肉が消し飛ぶ。
だが――
閃速を置き去りにする戦いを、
怪物は知らない。
さらにベニバラの剣筋は重く、
医術の縫合のように、正確で、痛烈だった。
「赤い……雷か……」
巨将の声に、初めて焦りが走る。
巨体が――半歩退いた。
(このままでは……
砦に届く前に、俺が殺られる)
*
城壁上で、弓兵がざわめいた。
「押してる……!?
あの怪物を止めてるぞ……!」
ベニバラの呼吸は荒い。
だが、表情は揺れない。
(私が負ければ――
砦が砕け、
民が死ぬ)
剣が、横に閃いた。
ドルグの胸を狙う。
――ガリィィィン!!
鎚を支点に受けられたが、
甲冑の隙が裂け、血が滲んだ。
ドルグの喉が、低く唸る。
(……強い。
――これが、人間の力か?)
それは、敗北の予感ではない。
“戦略の崩壊”だった。
「この距離で――
この精度か」
鎚を、構え直す。
防御の角度が、わずかに変わる。
質量の怪物が、
初めて“受け”を選んだ。
そして――
怪物は、誇りを捨てた。
それは敗北ではない。
理性を持つ半獣が、災害になる決断だった。
ドルグ=ハルザードの足元で、
大地が軋み、沈む。
――魔獣融合種だけが扱う禁断の一撃。
魔獣化異能術・《デモンビースト・アーツ》。
巨大鎚を低く構え、
ドルグの太い右足が地面を踏み割った。
ドン――――ッ!!
反動で砕けた岩盤の力ごと、
全身の筋肉が軋み、
胸の魔獣核が唸りを上げる。
理性を持つ半獣だけが行える――
“魔獣の力を、技へ圧縮する行為”。
鎚身が、紫黒に染まった。
光ではない。
衝撃そのものが可視化され、
空気が逃げ場を失い、悲鳴を上げる。
周囲の黒帝兵が、
理由も分からぬまま――
“立っていられず”膝をついた。
「……終わりだ!」
その声は、
祈りでも咆哮でもない。
災害の起動音だった。
◆◆◆◆◆
《破城轟砕・(バスティオン・ブレイカー)》
◆◆◆◆◆
振り抜かれた瞬間――
巨鎚の質量が、十倍に跳ね上がった。
ゴ……
ォォォォォォォォォン……ッ!!
鎚が通過した空間が潰れ、
遅れて空気が引き裂かれる。
衝撃は一点に落ちず、
大地を削りながら、横一線に“奔った”。
――ズギャァァァン!!
地面が裂け、
石畳が宙を舞い、
砦の基礎が悲鳴を上げる。
爆風は、もう逃げ場を残していない。
衝撃は、避けるものではなく――受け止めるものになった。
城門が、
獣のような低音で唸った。
鉄板が歪み、
鋲が弾け、
門柱の奥で“支え”が砕ける音がした。
ベニバラの紅瞳が揺れる。
(――なッ!? 一撃が……ここで!!)
本来は砦を――
城壁ごと、地図から消し飛ばすための一撃。
それを、
自分一人に叩き込むつもりだ。
「……嘘だろ……」
城壁上で、誰かが呻いた。
声にならない。
“理解”が、“恐怖”に追いつかない。
世界が壊れる音だけが、
言葉の代わりに降り注ぐ。
ベニバラは、踏みとどまる。
左手の金盾を前へ。
剣を地へ突き立て、
身体そのものを“支点”に変える。
「ぐぅっ……!」
ここで全てが終わる。
ドルグが吼えた。
「砕けろォォォォォォォォッ!!」
――世界が、沈んだ。
◆◆◆
――ズゴォォォォォォォォォン!!!!
爆発ではない。
“現実”そのものが、潰された。
衝撃が地を走り、
空を蹴り上げ、
瓦礫が雨のように降り注ぐ。
砦が爆風で――
ほんの一瞬、悲鳴を上げた。
――直撃。
紅の軍神は、
盾を握ったまま、
災害に、大きく叩き飛ばされた。
「ベニバラッ!!」
その瞬間――
ガルデンの僅かな躊躇が消えた。
『間に合え!』
老将は城壁を蹴った。
◆◆◆
その時だった。
王館の方から、
小さな足音が石段を叩きながら駆け上がってくる。
「……っ!」
城壁に姿を現したのは、
軽鎧を着けたアズだった。
乱れた息。
蒼ざめた顔。
彼女は、
無意識のまま戦場を見下ろし――
そして、
大きく吹き飛ばされ、地に伏す紅の影を見た。
「……え……?」
言葉が、喉で凍りつく。
盾を握ったまま、
泥と瓦礫に沈むその姿。
血に濡れた紅髪。
ぴくりとも動かない身体。
「……将軍……?」
信じられなかった。
膝が、かくりと崩れかける。
――違う。
倒れるはずがない。
負けるはずがない。
“誰よりも強いはずの人”が、
あんな無様な姿で――
「……うそ……」
それは、
アズが一度も見たことのないベニバラだった。
目から、止めどなく涙があふれる。
視界が――
ゆっくりと、歪んでいった。
そして外では、
確実に――
“死”が、距離を詰めていた。




