第26話 死線の砦 ――命令と誓いのあいだ
砦の中心――王館。
その最奥にある王室は、分厚い石壁に囲まれ、
外の轟音だけが鈍く伝わってくる。
王室の両開きの大扉の前には、
王を守る四名の近衛――その一人にロートもいた。
彼らは無言で槍を構え、
扉の外から押し寄せる不安の気配を、ただ鋭く見据えていた。
その――
薄暗い王室の中央では、ヴァレンティスが玉座に座している。
重い王鎧をまといながらも、その威厳は揺るがない。
その横に――アズがいた。
ポコランとニコルは出撃。
ガルデンは城壁へ。
そしてベニバラは中央戦線へ向かった。
王とアズだけが残された王館は、
皮肉なくらい “静かすぎた”。
ヴァレンティスは玉座にありながら、
握る剣の柄は白くなるほど力がこもっている。
アズは、王の横で落ち着かず歩き回っていた。
砦を揺らす轟音のたびに肩が跳ねる。
石床が揺れて、壁の粉が落ちる。
「……陛下。
外の音がしだいに……」
大扉の前の兵が、振り返り声を上げる。
アズは強く見せようとしていた。
だが震えは隠せなかった。
ヴァレンティスは静かに彼女を見る。
「アズ。
聞いてほしいことがある」
その声音の緊張に、アズはぴたりと動きを止めた。
王の前で膝を折り、首を垂れる。
王は言葉を選ぶように、ゆっくりと告げた。
「この王館に敵が押し寄せた時――
お前は迷わず裏手の通路から脱出して、
民が避難している教会へ向かえ。
そして民を連れて北の山へ逃げるのだ」
アズは、反射的に顔を上げて叫んでいた。
「やだよ!!」
即答。
迷いも、臣下としての礼儀も、そこには欠片もなかった。
「私は、逃げない!!
だって……だってみんな戦ってるのに!
おじいちゃんも、ベニバラ将軍も、ニコルも、ポコランも……
なんで私だけ……!」
歯を食いしばり、
その声には幼い反発ではなく――
“私は、戦える者として認められていないの?”
そんな痛切な誇りが滲んでいた。
だが王は、首を横に振る。
「アズ。
これは命令だ」
「――嫌です!!」
アズは胸の奥全部で叫んだ。
普段は決して向けることのない怒りを、王に向けて。
「陛下こそ、ここで死ぬつもりなんですか!?
……そんなの許さない!!
私だって戦えるって、将軍たちも言ってたし……!」
王の表情がかすかに揺れた。
だが、その瞳には深い痛みが宿る。
そして――静かに口を開いた。
「……私がガルデンと約束をしたのだ」
アズの体が、ぴたりと止まる。
「約束……?」
「ああ。
お前を守ると。
“お前だけは、私が必ず未来へ繋ぐ”とな」
アズの瞳に、涙がふっと滲む。
「……おじいちゃんと……そんなことを……」
「ガルデンは分かっている。
自分がどこで戦い、どこで倒れるかを。
あの男は戦場を読みすぎるほど読む。
だからこそ――
お前を任せていったのだ」
アズの指先が震える。
「おじいちゃんたちが、負ける筈は……」
王はゆっくり立ち上がり、アズの前に歩み寄った。
「アズ、立ちなさい」
アズは静かに立ち上がった。
「お前はたしかに優秀な兵士だ。
だが同時に――
“抵抗軍が未来へ託す最後の希望”なのだ」
「最後の、希望……?」
「そうだ。
十五歳でここまで剣を扱える者など、他にいない。
お前はガルデンの血、王国最強の盾の後継だ。
だからこそ――
死んではならぬ」
その言葉は、アズの胸を真っ直ぐ突いた。
王は、アズを覗き込むように優しく続けた。
「この王館の四本の支柱には、崩れる仕掛けがしてある。
最後に、ここに出来るだけ沢山の敵を引き込み、
私の道連れにするつもりだ」
アズは俯いたまま、
大粒の涙がぽたり、ぽたりと床に落ちる。
「だから、お前は死んではダメだ」
拳は白くなるほど握りしめられ、
肩が震え、
噛みしめた唇が血の味を滲ませた。
そして――
次の瞬間。
アズは顔を上げた。
涙に濡れた灰青の瞳が、
真正面からヴァレンティスを射抜く。
「――未来なんかいらない!!」
裏返った叫びが、石壁を震わせた。
「だって……!」
涙が飛び散る。
揺らぎのない言葉が、
胸の奥で燃えるようにあふれてくる。
「王も、おじいちゃんもいない未来なんて、
そんなの……《《そんなのはいらない》》!!」
透明な涙を湛えたその瞳が、
まっすぐヴァレンティスを見つめていた。
王は、返すべき言葉を失った。
「みんなが死んじゃったあとに、
私になにをしろって言うの。
誰も居ないんだよ。……誰も……」
言葉と一緒にこぼれる悔しさは、
十五歳の少女が抱えるには重すぎた。
アズは、子供のように泣き出した。
「……そんなの、やだよ……」
ヴァレンティスは黙ってアズの肩に手を置き、
そっと抱き寄せた。
“生き延びろ”――その願いは、
彼女にとってはあまりにも残酷な孤独の宣告だった。
「……すまなかった」
王はアズの涙を見つめ、静かに告げる。
「分かった。
――最後まで、一緒に戦おう」
アズは涙を拭い、震える呼吸を整え、
その瞳に小さな炎を戻した。
「……うん……!」
その決意の声は、
揺れ動く王館に、まっすぐ響き渡った。
扉前に立つ近衛兵たちは、
誰一人、王にもアズにも視線を向けない。
しかし、その肩は小刻みに揺れていた。
◇
王館は、まだ持ちこたえている。
だが外では――
砦を囲む大地そのものが、
じわり、じわりと軋み始めていた。
次に砕けるのが、
門か、人か、約束か――
戦場の死は、もう待ってはいなかった。




