第24話 門前の紅盾――刃の砦と破砕の巨鎚
陽が沈むより早く、戦場が沈んでいく。
風も、土も、兵の心さえ――今から訪れる死を知っていた。
前線の黒鎧兵が矢の雨に沈む。
退けず、散開もできず、ただ押し進む――
それが突撃隊の宿命だった。
「第一突撃隊、半壊! 列が乱れています!」
伝令の声が響く。
レッドバルムの瞳が細くなる。
「……まだだ。
第二突撃隊、前進!!」
号令とともに、
別の五十が第一の屍を踏み越え進む。
その群れは、下層身分の兵士で構成された波だ。
盾列は新しく組み直され、
割れた空間を埋めるように、前へ――。
だが。
ヒュッ……ヒュンッ……!
城壁から降り注ぐ矢は止まらない。
城壁前の盛り土の勾配を利用した射撃は、
盾の上からでも鎧の隙をえぐり取る。
「敵の矢が……止まらねぇ!」
第二突撃隊が悲鳴を上げる。
城壁上のガルデンが咆哮。
「焦るな!
敵が詰まるほど狙いは増える!
射角をさらに下げろ――肩を抜け!」
矢が角度を変え、盾の裏へつき刺さる。
地面に梯子が落ち、
押し手が倒れ、
盾列が崩れかけ……そのたびに、
――ドォン!
バリスタの巨矢が隊列の先頭を吹き飛ばし、
後方の兵が巻き込まれ泥に沈む。
「第二突撃隊も……止まりました!」
伝令の声が震える。
レッドバルムは歯を噛み、
「ちっ……砦を甘く見たな。
ならば――第三陣、第四陣、突撃!」
今度は五十だけではない。
第三陣、第四陣を合わせた百の波が前へ進んだ。
それは黒帝軍の中でも 経験を積んだ熟練部隊。
囚人兵や下層兵ではなく、
城を落とすための“本命”だった。
盾が三重となり、梯子が増える。
重槌兵が城門への通路を確保するため、 屍の上を踏みしめて前進する。
だが、砦は揺るがなかった。
「釜を倒せ!」
ガルデンの指示と共に、
城壁上の黒鉄の大釜が傾けられる。
ジュゥゥゥゥゥ――ッ!!
焼け石と沸騰した塩水が、
雨ではなく刃のように落ちかかる。
釜の角度は計算され、盾列の膠着点へ確実に流れ落ちる。
第三突撃隊の盾列が、
その瞬間――崩れた。
盾の上に降った熱が皮膚を焼き、
赤熱した石は盾を弾き、指や顎を砕きながら跳ね、
鎧の継ぎ目へ塩が入り、筋肉を痙攣させる。
塩は熱を抱えたまま内側へ噛み込み、兵を立つだけの肉塊へ変える。
いかなる熟練兵といえど――
手足を封じられ、剣を振れねば、ただの肉に等しい。
精鋭とは「技を発揮できる場があってこそ」。
その場を奪われた兵は、赤子より無防備だった。
悲鳴と怒号が立ち上り、
焦げた布の臭いと、人の焼けた脂の匂いが――風を裂く。
「立て直せ! 押し上げろ!
まだ梯子が届いていないのだ!」
レッドバルムは喉を裂くが、
砦の咆哮がその上から叩き潰した。
「慌てるな!
敵が登る前に叩き落とせ――
城壁は断崖、梯子を掛けた瞬間が死地だ!」
射撃とぬかるみに足を取られて、
押し上げる足場が崩れ、隊列が停滞する。
レッドバルムの拳が震えた。
(……砦を突破するまでに、
すでに百近くが戦闘不能か……)
焦り。苛立ち。
その視線が――背後の将軍へ戻る。
その頃――城壁上のガルデンが
薄く笑った。
「これで二百か……
なら、この砦はまだ揺らがん」
紅の軍神ベニバラも、
金盾を構え囁く。
「地を利用し、質で戦うとは――こういうことだ」
黒帝軍の第三波が息を呑む中、
砦は一つの巨大な牙として――
まだ悠然と立っていた。
*
隊の後方――
この戦いの総大将・グラ=シャルンが舌打ちする。
(……この砦はただの壁じゃない。
地形そのものが敵の牙かよ)
その横の老樫の幹に、
気怠そうに寄りかかる影。
「グラ、手こずってるな」
魔翼の処刑者・ヴァルザークが腕を組み、
愉快げに笑う。
「だったら――お前も行け」
グラの声には苛立ちが滲む。
「やだね」
「――なっ!?」
「俺が動く?
そうだな……まず、あの矢を黙らせろ」
赤い瞳が城壁を指し示す。
そのとき、泥だらけのレッドバルムが前線から戻る。
「……将軍! 砦の守りが硬いです!」
グラの奥歯が軋む。
「レッドバルム、投石器はまだか?」
「はい、あと少しで到着します!」
黒帝軍は――遅れている巨大な投石器二基を、
喉から手が出るほど待っていた。
ヴァルザークは肩を竦める。
「俺はもう少し休む。
矢が止んだら呼びに来い」
軽い伸びとともに、
赤褐色の魔翼がゆらりと揺れた。
(――こいつが動くのは、“面白くなった”時だけだ)
グラの苛立ちが、
風ごと焦がすように揺らぐ。
*
「次だ、――次! 休ませるな! 第四波を押し込め!」
グラの号令に、レッドバルムが前線へ駆け戻る。
黒鎧兵の陣形が広がり、恐怖に駆られ、
岩影へ逃げる者さえ出ていた。
その瞬間、グラの怒号が戦場を裂いた。
「影に沈むな!
隊列を崩すな――盾を前だ!
もっと間を詰めろ!!」
同時に城壁上――
ガルデンが射手たちを操るように声を放つ。
「民兵は矢を運べ!
射線を乱すな――城壁上の矢筒を満たせ!」
逃げても射られる。
立ち止まっても射られる。
黒鎧兵は――
矢雨の中に“押し出されている” だけだった。
城壁前には、
黒い屍と折れた盾の山が静かに積もり始めている。
「兵の間を開けるな!
城門まで距離を詰めろォ!!」
グラの額に、珍しく汗が滲む。
そのとき――
まるで戦場が自重を変えたかのように、
空気が軋んだ。
「どいていろ、グラ。
――俺が行く」
岩盤が言葉を持ったかのような低音。
破砕の巨鎚・《ドルグ=ハルザード》が、
黒い濁流を押し分け歩み出た。
三メートルの巨躯。
一歩のたびに地が沈む。
戦列が自然と左右へ避け――
怪物の通り道が作られていく。
城壁上――ベニバラは即座にそれを射抜いた。
「奴が――来る!」
金剣が抜かれ、
目の前で恩人の砕かれた光景が胸に蘇る。
ガルデンも吠える。
「弓兵、狙い散らすな!
全矢――ドルグに集中!」
矢の嵐――しかし魔鎧に弾き返される。
ゴオオォォン……
巨大戦鎚・《ゴルゲイン》が地を削り、
ドルグが味方兵を吹き飛ばしながら前進する。
「奴の異能――破城轟砕を使われたら、この城門は持たん。
なんとしても、――ドルグを止めろ!!」
ガルデンの顎ひげが震えた。
(魔獣化異能術・《破城轟砕》――
巨大鎚の一撃を“十倍の質量衝撃”に変え、
城壁ごと粉砕する破壊技)
ベニバラは城壁の縁に片足を掛け、金剣を突き出す。
「バリスタ! 二号機――ドルグを狙え!!」
「――発射!」
巨矢が唸り、空を裂き――
ズゴォォォン!!
「――命中!!」
バリスタ兵が拳を突き上げる。
先端がドルグの胴を叩いた。
巨体が――わずかに揺らぐ。
だが。
魔鎧が衝撃を吐き戻し、
巨木はひしゃげ泥へ沈む。
戦場が、一瞬――呼吸を止める。
射手の顔が青ざめる。
「嘘だろ……」
「不死身なのか……!」
その沈黙を裂く敵の一矢が、
逆にベニバラの顔へ飛んだ。
――シュパーン!
ベニバラは顔を逸らし、
左手で矢柄を掴み取ると――
鼻先でくの字にへし折った。
「城門が砕かれたら終わりだ。――私が出る!」
ガルデンが制止の声を上げる前に、
紅のマントは城壁を蹴り――飛んだ。
風が裂け、兵たちが息を呑む。
紅の影が旗のように、黒一色の門前へ立ち降りる。
その瞬間――戦場の空気が変わった。
「将軍が……下へ……!」
「単騎で、ドルグを撃ちに行くのか!?」
恐怖と期待が同時に膨らみ、
砦兵の胸に火が灯る。
紅髪が舞い、
大地が鳴り、
金盾と剣が呪光を散らす。
――砦が、息を吹き返した。
◆◆◆ 止まらない巨影
黒鎧の群れを割って――
破砕の巨鎚・《ドルグ=ハルザード》は進む。
岩塊のような人の倍の姿が揺れ、
巨大な戦鎚が地を削るたび、
土煙と破片が縦に裂けて飛び散る。
ゴ……ゴオオォォン……
その一歩ごとに、大地が沈む。
矢が刺さろうが、
投石が砕けようが、
ただ前へ――
破城そのものが歩いてきていた。
砦の射手たちの喉が、
一瞬――鳴るのを忘れる。
そのわずかな揺らぎを、
ガルデンは即座に叩きつけた。
「弓兵、震えるな!
狙いは巨体!――継ぎ目を刺し砕け!」
矢が息を合わせ、
影を縫うように降り注ぐ。
だが巨大な怪物は止まらない。
味方の兵を押し潰しながら、
進軍の道そのものを切り開いていく。
――そのとき。
人、ひとり分の高い視点から、戦場を俯瞰していたドルグが、
ふと鼻を鳴らした。
「……ふん」
“何か”に気づいたのだ。
その目が向けた先。
黒鎧兵を斬り倒しながら――
逆にまっすぐ自分へ向かってくる“紅”。
それは、
抵抗軍最強の将――
紅の軍神・シャーロット・ベニバラード。
破壊が歩む者と、守護が立つ者。
その二つが門前で――
ついに視線を交わした。
その瞬間、
砦の運命が――
きしり、と
《音の無い悲鳴》を上げ始めた。




