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第23話 ルドグラッド砦の攻防 ――門前の紅雷

陽は西の山に沈みかけ、

どんよりとした曇天が砦を押し潰すように垂れ込めていた。


風は鉄の匂いを運び、

鳥すら鳴き声を潜め、砦の空気は――死の静寂に凍る。


城壁上――

鋼の空気が震えていた。


石造りの台座が、等間隔に並ぶ。

その上には黒鉄の大釜が据えられ、

導火の(ほのお)で底を炙られている。


中では――


焼け石と濃い塩水が、

白い泡と熱気を噴き上げていた。


ゴボッ……ブウウウ……!


それは湯気ではない。

焼ける塩と燃える油が混じり合った、

肺を刺す“戦の匂い”だ。



砦の空気は――

戦いの前特有の、息を潜めた静寂に沈んでいた。


城壁上には、二つの影。


■ 戦術の脳 ― ガルデン

■ 決戦の矛 ― ベニバラ


視線は、まだ血も飛ばぬ戦場の中心を射抜いていた。


砦の中心――王館。

その王室の扉の向こうで、アズは王とともに控えている。



そして――


砦の心臓部、城門裏。


そこには、ニコル遊撃隊と、

民からの志願兵二百が並ぶ。

中には女性もいる。

鎧もなく、不揃いの槍と盾。

その列に、緊張した顔のポコランの姿もあった。


だが彼らは――まだ出ない。


城壁越しの外の音と空気に耳を澄ませ、

息を呑み――ただ待つだけ。


「俺たちは門が破れそうになったら出る。

 それまでは――動くな」


遊撃隊中隊長マクレブの声が響く。


ニコルは壁にもたれ、片手で剣を回しながら笑った。


「そうそう。

 戦場ってのはねぇ――

 “出たい時に出る”んじゃなく、

 “出たくないけど出なきゃ死ぬ時”に出るもんなのさ~」


民兵の列に、ぎこちない笑いが走ったが――すぐ消えた。


老いた者。

女。

若者。


震える槍を握ったまま――壁を見つめていた。


それは“待つしかない者たちの戦場”。


その空気の中、ニコルが見慣れぬ顔へ声をかける。


「じいさんたちも、志願したのかい?」


グラに襲撃された村から逃れてきた者たち――

その中の七人が槍を握りしめて立っていた。


「勿論じゃ。

 わしらを迎え入れてくれたあなたがたに、

 わしのこの命を差し出しても足りん。

 まあ、わしじゃって……盾くらいにはなれる」


ニコルは眉を寄せ、苦く笑う。


「いやいや、盾になって死ぬのは違うでしょー。

 あんた、孫娘もいたよね?」


老人は静かに首を振り、目だけを前へ向けた。


「死にたくはない。

 ……だが、ここを破られたら、そんなことは言ってられん」


その槍の震えが――決意の重さを物語っていた。


そのやり取りを、

後列のポコランは無意識に胸を掴んで聞いていた。


ぎゅ、と。


(……怖いのは、僕だけじゃない)


老人も、女も、若者も震えている。

それでも――前を向いている。


(逃げてきた人たちまで戦うのに……

 僕が怯えてちゃ……だめだろ)


小さく噛みしめた唇が、

白くなる。


ニコルは老人へ一歩近づくと、そのやせ細った肩に手を置いた。


「じいさん、名前は?」

「ダルパスじゃ」


ニコルは何も返さず、目を見てただ微笑む。

――それだけで、その瞳は言葉以上の力を持っていた。


そのとき――


「……来るぞ!」


鉄壁のガルデンの声が、石を震わせた。


両脇の林の奥から――


ドォン……ドォン……ドォン……


大地を噛み砕く地鳴りと、金属が擦れ合う音。


やがてそれは城門前の草原を埋め尽くす影となる。


黒帝断罪軍――四百五十。


その先頭に立つのは、


 三眼の暴君・《グラ=シャルン》。

 魔翼の処刑者・《ヴァルザーク》。

 そして――破砕の巨鎚・《ドルグ=ハルザード》。


巨大鎚を曳くその影を見た瞬間、

紅の軍神ベニバラの胸奥に、古い傷が灼ける。


「――ドルグ!」


かつて恩人を砕き散らした怪物。

だが怒りが噴き上がるより早く――

軍神の瞳は異変を読み取っていた。


「八将が自ら前線に……あり得ん」


稲光のような金剣が抜かれる。


「これは陽動じゃない。

 この砦そのものを叩き潰すつもりだ」


ガルデンは巨大な盾と大剣を構え、

城壁上から、静かに砦内を見下ろした。


ヴァレンティス王の祈り――

『もう誰も泣かせない』


それは既に全兵の胸に沈み、砦の風そのものになっていた。


ガルデンの大剣が閃き――命が下る。


「総員、抜剣!

 ここが最後の砦だ。

 俺たちの後ろには、千の民がいる。

 ――一歩も退くなァッ!!」


兵たちが吠える。

だがその奥に張り付いた影――恐怖は、消えていない。


双剣の姫はもういない。

砦の切り札は去ってしまった。


それでも――

その心の空席を埋めるように、紅の軍神が前へ出た。


ベニバラの金盾が夕光を弾き、

薄闇へ鋭い閃きを走らせる。


「砦の守りは私が担う。

 泣く者は――もう増やさない」


盾の縁が、彼女の掌に食い込んだ。

それでも、握りは緩まない。


◆◇◆


城壁前の草原――

黒帝隊の統率官レッドバルムが腕を振り下ろした。


「――第一突撃隊、前へ!」


四百五十の兵が一斉に雪崩れることはない。

草原の中央で列が裂け、五十の戦列が前へ進む。


だが、第一波は――、

徴募兵と囚人兵。

命の価値が最も軽く扱われる者たちだった。


巨盾を壁のように重ね、

槌兵と梯子兵がその背に張り付く。


全軍の濁流ではなく――

岩を穿つ“破城の波”が一つ、押し出された。


城壁上のガルデンが低く呟く。


「数の暴力ではない……  

 隊列を刻んで押し込む気か」


その第一の波が、

草原をゆっくり――だが確実に埋めていく。


だが――

この砦も、ただの石壁ではない。


岩山を切り裂いて築かれた、峡谷の喉元を塞ぐ天然の刃。


左右は断崖。

城門は正面の一点のみ。


どれだけの兵を押し込もうと、

力は細い道へ圧縮される構造。


右手の崖下には奈落が口を開け、激流が牙を剥く。

左には谷が落ち、小川がうねる。


城壁上――ガルデンが囁く。


「この地そのものが、王国の刃だ」


そして吠えた。


「西の射出口、弓兵!

 一列目、撃ち下ろせ――

 狙いは“前”だ!」


それは兵へ「役割」を刻む声だった。


ヒュン、ヒュン――


狭隘(きょうあい)な進軍路で密集する黒鎧兵の

肩口と関節を、矢が正確に穿つ。


黒い兜は厚く、鎧は堅い。

だが砦の射手は、脆い場所を知っている。


「バリスタ!

 旗印を砕け――撃てッ!」


ドォン――!


巨木の矢が列の先頭を吹き飛ばし、

後列ごと泥に叩き伏せる。


足場に転がる兵の死体が盾となり、

進軍速度は鈍る。


城壁上は静かだった。

恐怖はある――だが誰も手を止めない。


ガルデンが吼える。


「落ち着け!

 敵が多いほど狙いは絞れる――

 射角を下げろ、継ぎ目を砕け!」


砦は息をしていた。

王の祈りを宿した、迎撃の牙として。


砦の空気は震えた。

そして――

ルドグラッド砦を呑み込む“地獄の一日”が、ここから始まる。

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