第6話『八女茶×恋のブレンド♡』
春風が吹き抜ける八女市観光課。
白川美結が抱えてきた資料の束を、蓮は目の前で受け取った。
「新しい茶フェスの企画です。《恋する茶フェス》――若い人にお茶を身近に感じてもらうイベントで、蓮さんに“恋×お茶”の体験を作ってほしいんです」
蓮は一瞬、目を細める。
「恋っすか。……刺激が強いテーマっすね♡ 茶ってもっと静かなもんじゃ?」
「でも、恋もお茶も“心を温める”ものですよ」
そう言う美結の瞳に、蓮はふっと笑う。
「……恋は熱すぎると、やけどするっすよ♡」
おどけるように言いながらも、心のどこかがざわめいた。
茶で“恋”を語る――そんな発想、八重にはなかった。
けれど、目の前の彼女の真剣さが、蓮の中に新しい湯を沸かす。
「いいっすね。恋の温度、測ってみるっすか♡」
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数日後。
蓮は茶室を飾り付け、《恋のブレンド診断会》を開いていた。
恋人同士、片想い、失恋中――様々な男女が並ぶ。
「はい、八女茶入りま〜す♡ 本日のお客様は……恋、順調っすね? 香りが二人で重なってる♡」
笑いが起きる。
ホスト時代の“間”と“視線”が、茶席を艶やかに染めていく。
片想いの女性には――
「焦らず、最初の一煎は見守るんす♡ 恋も茶も、待つ時間が旨みになるっすよ」
失恋の青年には――
「渋み、いいじゃないっすか。渋い恋ができる人は、深い愛を知ってる証拠♡」
客たちは笑い、時に頬を赤らめる。
茶室は恋バナと茶の香りで満たされた。
だが、そんな中でも、美結だけはどこか沈黙を守っていた。
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準備の合間、風が吹き抜け、机の上の茶粉がふわりと舞う。
美結の頬に落ちた一粒を、蓮が指でそっと拭う。
その瞬間、空気が止まる。
「……こういう“間”を、恋って言うんすかね♡」
「ずるい。今の間も、計算でしょ?」
「ホストっすから♡ でも、計算に“心”が乗ると……本気になるっすよ。」
湯気のような沈黙が二人の間を漂った。
美結は頬を赤らめ、視線を逸らす。
その横顔を見つめながら、蓮は心のどこかで焦りを覚えていた。
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夜。
蓮は一人、茶室で湯を沸かしていた。
蛍光灯の光に揺れる湯気を見つめ、呟く。
「俺、また“恋”を商売にしてる気がするんだよな……」
かつてホストだった頃、
彼は「恋」を演出し、「心」を掴んでいた。
でも今、求めているのは違う。
「茶で癒したいのに、俺……また口で落としてんじゃねぇか」
その時、頭の中で八重の声が響いた。
――“茶も恋も、焦らず、待つことが肝心よ。”
「……そうっすよね。俺、焦ってた。」
蓮は茶筅を取り、ゆっくりと泡を立てた。
静かな音が、まるで心の呼吸を整えてくれる。
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そして迎えた《恋する茶フェス》当日。
会場は人であふれ、蓮のブース《八女ECLIPSE》には長蛇の列ができていた。
蓮は白い羽織に身を包み、口角を上げる。
「ようこそ、恋のブレンドサロン“八女ECLIPSE”へ♡
本日の一杯は、“恋の熱を冷ます八女ブレンド”。
甘さと渋み、そして、ほんの少しの切なさをどうぞ♡」
彼の声とともに、香りが漂う。
客たちは笑顔で茶を受け取り、少しずつ心を落ち着けていく。
恋に悩む少女が、そっとつぶやいた。
「なんか……心が、落ち着きます。」
蓮は微笑み、軽く頭を下げる。
「恋の熱、冷めたでしょ♡ でもね、それが本当の“甘さ”っす。」
茶筅のリズム。
笑い声。
八女の春風が、会場を優しく包む。
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イベントが終わる頃、美結が蓮に近づいた。
「今日のあなた、まるで恋の先生でしたね」
「恋も茶も、淹れ方次第っすよ♡」
蓮は茶碗を傾け、湯気を見つめる。
「急いだら渋くなる。
でも、“いい間”を置けば、甘くなるんす。」
美結は少し笑って言う。
「……ずるい。本当にホストみたい」
「元ホストっす♡ でも今は、“心を点てる男”なんで」
二人は笑い合い、静かな余韻の中で湯気が揺れる。
まるで、互いの心の距離を測るように。
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夜。
蓮は茶室の灯を落とし、最後の茶を自分のために点てた。
「恋の熱を冷ます茶。
それは、心を焦がさず、香りで落とす魔法――」
静かな声が、夜風に溶けていく。
八女の空には、柔らかな月が浮かんでいた。
その光の下で、蓮の茶は今日も香り立つ。
“恋の間”を点てる、一杯として。