第3話『恋と茶の温度は難しい♡』
春の八女。若葉の香りとともに、黒瀬蓮は町の観光課を訪れていた。
「八女茶をもっと若い人に知ってもらいたい」――そんな企画で、茶道の実演を頼まれたのだ。
応対に出てきたのは、清潔感のあるスーツ姿の女性。
「白川美結です。観光課で担当しています。」
蓮が笑顔を向ける。
「よろしくお願いします、美結さん♡」
「……下の名前で呼ぶのやめてください。公の場ですから。」
即座にピシャリ。蓮は苦笑した。
――なるほど、ツンツン系だ。夜なら人気出そう。
「お茶会の目的は“映える”じゃなくて、“伝わる”ことです。派手なパフォーマンスは控えてくださいね。」
「派手じゃなくて、華です♡ “癒しの華”。」
「……意味がわかりません。」
打ち合わせは、終始ぎこちなかった。
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数日後。八女の古民家カフェで開かれた「春の茶体験イベント」。
観光課の主催で、地元の人や観光客が集まる。
蓮は着物姿で立ち、深呼吸した。
「八女茶入りま〜す♡ 貴方の緊張、60℃でほぐします。」
会場の笑いが弾ける。だが、美結だけは冷めた表情だった。
――この人、何もわかってない。茶を、エンタメにしてる。
彼女は見守る中、蓮の一服が始まった。
湯を注ぐ音、茶筅のリズム、ゆらめく湯気。
誰もが静かになる。
蓮は、目の前の客――緊張している中学生の少女に微笑んだ。
「手、冷たいね。今日は少しぬるめでいこっか。」
優しい声とともに、温度をわずかに下げる。
少女が一口飲むと、目を見開いた。
「……甘い。」
蓮は微笑む。
「君の心が落ち着いた温度です。」
その瞬間――美結の中で何かが変わった。
彼の笑顔には、軽さではなく“優しさ”があった。
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イベント後、美結は蓮のもとへ歩み寄った。
「……あなた、茶の温度、わざと変えたんですか?」
「えぇ。お客様の“心拍数”見ながら♡」
「ホストみたいですね。」
「元ホストですから。」
軽く言い返すその声に、不思議と嫌味はなかった。
「でも……今日、少しだけわかりました。」
「何を?」
「あなたの“おもてなし”、ズルいです。」
そう言って、少し頬を赤らめる。
蓮はいたずらっぽく笑った。
「ズルいくらいじゃないと、人の心は動かないんですよ。」
八女の風が吹き抜け、茶の香りが二人の間を満たす。
静かに流れる時間。
「白川さん。」
「……はい?」
「次はあなたの“温度”も、見てみたいです。」
その言葉に、美結は完全に言葉を失った。
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帰り道。蓮は茶畑を眺めながら呟いた。
「恋も茶も、温度を間違えたら渋くなる。……でも、ちょっと苦いのも悪くないか。」
マメが後ろで鳴いた。
「にゃぁ。」
「お客様、次は“恋愛ブレンド”でいきますかね♡」
八女の空が、やわらかな緑に染まっていた。




