第2話『お客様、お点前ひとつサービスで♡』
八女の公民館。春風が畳の上をすべり、香ばしい茶の香りが漂う。
今日は年に一度の「春茶会」。地元の茶師や婦人会の面々が集まる中、黒瀬蓮は緊張した面持ちで茶杓を握っていた。
「いいねぇ蓮、初の舞台やけん、気張りすぎずにね」
祖母・八重が笑う。だが蓮は、すでに“夜の顔”をスイッチオンしていた。
正座しているはずが、どこか背中がキザ。茶碗を手に取る仕草もどこかステージのよう。
最初の客は、近所の婦人たち。
「まあ、黒瀬さんのお孫さん? 中洲で働いてたって?」
ざわめく視線を感じながら、蓮はにっこり微笑んだ。
「はい、“夜の茶道”で修行してました♡ お客様の心を温めるのが仕事でしたんで。」
場の空気が一瞬、凍る。
婦人たちは顔を見合わせ、八重の眉がピクリと動く。
しかし、蓮は止まらない。
「さぁ、お姉さん♡ お茶より甘い時間をどうぞ」
ウィンクとともに茶碗を差し出す。――次の瞬間、空気が真空のように静まり返った。
笑顔も言葉も、すべて“ズレて”いた。
婦人のひとりが困ったように笑い、八重が立ち上がる。
「蓮! 茶道はナンパの場じゃなか!」
「ナンパじゃなく、“癒しのトーク”です♡」
「茶で口説くやつがどこにおるかい!」
会場中から笑いが起きる。だが、それは温かいものではなかった。
蓮はその日の夜、縁側に腰を下ろしてひとり茶を点てた。
マメ(蓮の飼い猫 スコティッシュフォールド)がそばに寄り添い、夜風が頬を撫でる。
――“癒し”って、なんだろうな。
ホスト時代、会話で心をほぐすのが得意だった。
でも、今日みたいに言葉が空回りした時、人は笑っても、心までは動かない。
「……沈黙も、サービスのうちなのかもしれない。」
蓮はそう呟き、茶筅を握り直す。
音だけが響く。泡立つ緑、揺れる湯気。
そこに言葉はいらなかった。
不思議と、胸の中のざわつきが静かに整っていく。
⸻
翌朝。
再び茶会に顔を出した蓮を見て、八重はため息をついた。
「懲りんねぇ……また甘い口でも叩く気かい?」
蓮はにっこり笑う。
「今日は“無言サービス”で勝負します。」
茶席に座る。目の前には、昨日の婦人たち。
蓮は一礼し、何も言わずに湯を注ぐ。
茶筅を回す音だけが、静かなリズムを刻んだ。
湯気が舞い、茶の香りが空気に溶けていく。
――笑顔も、言葉もいらない。
“今この一杯”に、心を込めるだけでいい。
そっと茶碗を差し出す。
婦人が両手で受け取り、口に含む。
そして、ふと――頬を伝う涙。
「……優しい味ねぇ。まるで、亡くなった旦那の淹れてくれた朝茶みたい。」
八重が目を細めた。
「やっと、茶人の顔になったね。」
蓮は微笑んだ。
「お客様、今日のお点前――無言のサービスでございました♡」
婦人たちがくすりと笑い、今度は柔らかい笑いが広がる。
言葉を減らすほど、心は届く。
そのことを、蓮は初めて実感した。
⸻
帰り道、茶畑を吹き抜ける風。
蓮は空を見上げ、小さく呟いた。
「“癒し”って、口じゃなくて、温度なんだな……」
マメが足元で鳴いた。
蓮はその頭を撫で、微笑んだ。
「次はもう一段、上の“おもてなし”見せますよ、ばあちゃん♡」
八女の春風が、茶の香りを乗せて、優しく二人を包み込んだ。




