第11話(最終回)『一服の先に――八女茶よ、未来へ』
秋。八女の山々は、まるで紅葉の香りで息をしているようだった。
黒瀬家の庭に、朝日が差し込む。
湯が沸く音。
蓮は、いつもと同じように茶を点てていた。
今日は――八重の命日。
掛け軸には、祖母の筆による一文字。
「静」。
蓮は湯を注ぎながら、ぽつりと呟く。
「ばあちゃん、今日も“八女茶入りま〜す”だよ。見ててな」
マメが膝の上にちょこんと座り、喉を鳴らした。
その小さなぬくもりが、まるで八重の掌のように優しい。
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昼、茶室には若者たちが集まっていた。
八女高校の茶道部、観光課の研修生、竜胆のカフェスタッフ。
《心茶屋 REN》は、いつの間にか“学びの場”になっていた。
「先生、“心で点てる”ってどうやるんですか?」
ひとりの青年が真っすぐな目で問う。
蓮は微笑み、茶杓を掲げた。
「いいっすか。“点てる”んじゃない。“届ける”っす。
茶は、言葉より早く心を伝えるんで♡」
若者たちの視線が真剣になる。
静かな湯の音が、まるで拍手のように響いた。
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その日の午後。
白川美結が、書類を抱えて茶室を訪れた。
「黒瀬さん、正式に決まりました。“八女ホスピタリTEA”プロジェクト、始動です!」
蓮の目が丸くなる。
「マジっすか。町ぐるみで“癒しのもてなし”か」
「ええ。あなたの茶会がモデルになったんですよ」
蓮は照れくさそうに笑い、湯を注ぐ。
「ネーミング、俺のノリ残ってんじゃん♡」
「……悔しいけど、評判いいんですよ」
差し出された一服。
香りとともに、ふたりの間に柔らかな“間”が流れる。
「今日の茶、“ありがとう味”でどうっすか」
「……もう。本当に、ずるい人」
茶碗を口に運びながら、美結の頬がほんのり赤く染まった。
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夕方。八女文化会館では特別イベントが開かれていた。
タイトルは――
『八女茶の未来、香りと光の二重奏』。
ステージの片側には、竜胆の《RINDOU TEA STAND》。
音楽と照明で観客を包み込む、華やかなパフォーマンス。
もう片側、蓮の《心茶屋 REN》。
音も照明も最小限。
湯の音、茶筅の音、そして沈黙。
ふたりが同時に一服を差し出した瞬間――
香りが重なり、八女茶がまるで呼吸を始めたようだった。
「やるじゃん、蓮。静けさで会場を支配とか反則」
「お前の光も悪くなかったっすよ。これが八女の二枚看板っすね♡」
観客、総立ち。
拍手と歓声の中で、ふたりは笑い合った。
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夜。
蓮は茶畑の中で湯を沸かしていた。
春風が茶葉を揺らし、星明かりが湯気を照らす。
「……ばあちゃん、俺、少しは“静”になれたかな」
そのとき、風の音の中に八重の声が響いた気がした。
「蓮。茶はな、人の時間を整えるんだよ。
点てる人の心が静かなら、飲む人の心も静かになる。」
蓮は目を閉じ、深く息を吸い込む。
茶の香りが胸の奥まで染み渡った。
「うん。俺、ようやく“静けさ”の意味、わかった気がするっす」
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翌朝。
《心茶屋 REN》の暖簾をくぐる若いカップル。
蓮が柔らかく笑う。
「ようこそ。八女茶入りま〜す♡ 本日の一服は“出会いの香り”でどうぞ」
二人が笑い、湯の音が流れる。
縁側ではマメが日向ぼっこをしながら、のんびり尻尾を揺らしていた。
その様子を、美結と竜胆が外から眺めている。
「……ほんと、八女の顔になったね」
「顔ってより、看板っすよ♡」
笑い声が、風に溶けた。
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茶室の奥。
八重の写真の前に、一輪の茶の花と一服の湯気。
ナレーション(蓮)
「茶は、言葉のいらない会話。
香りひとつで、心が伝わる。
だから俺は今日も淹れる――
“八女茶入りま〜す♡”ってね。」
湯気が、まるで八重の笑顔のように柔らかく立ちのぼる。
茶室の窓の外、八女の山に朝日が差した。
――八女茶よ、今日も誰かの心を包んでくれ。