第10話『八女茶入りま〜す♡――この香り、世界へ』
春の八女は、緑に包まれていた。
山が光を吸い込み、茶畑が一面に波打つ。
《心茶屋 REN》は開店から半年。
その評判は町を越え、県を越え、ついに海外にまで届いた。
「八女茶って、“ホストが点てる茶”なんですか?」
外国メディアが取材に来たとき、蓮は笑った。
「Yes♡ でも今は、茶が俺をもてなしてくれてるっす」
そう答えた動画がSNSで拡散され、話題を呼んだ。
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ある日、白川美結が役所の封筒を手に茶室へやってきた。
「黒瀬さん、ついに来ましたよ。世界茶サミットへの招待状です!」
蓮は目を丸くする。
「マジっすか? 八女代表っす?」
「ええ。“心で点てる茶”として推薦されました」
村上宗真もやって来て、湯呑を置く。
「八重さんの孫が世界で茶を点てる……胸が熱くなるな」
竜胆もニヤリと笑う。
「世界が相手か。派手にいけよ、蓮。あの頃みたいにな」
「……あの頃?」と美結が首をかしげる。
「夜の街でNo.1取った時だよ。
“香りで落とす男”って呼ばれてた」
「今は、“香りで包む男”っすけどね♡」
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そして、世界茶サミット当日。
場所は東京・国際フォーラム。
世界中の茶人が集まり、八女の名もそこに並んだ。
壇上に立つ蓮は、いつもの羽織に金の帯。
背筋は伸び、表情は穏やか。
会場のライトが、湯釜の湯気を金色に照らした。
司会が紹介する。
「次は日本・福岡県八女市より、“心茶屋 REN”代表、黒瀬 蓮さん」
拍手の中、蓮は一歩前に出た。
「Ladies and Gentlemen――」
英語で始めると思いきや、彼は茶杓を手に取った。
「No words first. Tea speaks before me.(言葉より、茶が語ります)」
静寂。
湯の音、茶筅の音。
その一つひとつが、音楽のように響いた。
シュッ、シュッ――
音の“間”が、心を整えていく。
会場の誰もが、息を飲んで見つめた。
蓮はゆっくりと茶碗を掲げ、微笑む。
「This is Yame-cha. A tea that speaks, even in silence.(これは八女茶。沈黙で語る茶です)」
香りが広がる。
会場を包む。
スクリーンに映るのは、八女の山々、祖母・八重の茶畑。
「八女茶入りま〜す♡ ……心のリセット、サービスで」
日本語の響きに、笑みがこぼれた。
通訳が不要だった。
香りと仕草が、全てを語っていた。
茶碗を手渡された各国の代表たちは、驚きの表情を浮かべる。
あるフランスのソムリエがつぶやいた。
「……これが、“静けさの味”か」
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その夜。
控室で美結が涙ぐみながら言った。
「すごかったです……。
言葉がなくても、心が伝わるなんて」
蓮は湯を注ぎながら笑った。
「茶って、告白みたいなもんっすよ。
言葉より、想いが先に届く」
「……ずるい言い方しますね」
「職業病っす♡」
竜胆が肩を叩いた。
「お前、ホストの時より輝いてたよ。
でも、今はもう“お客を落とす”じゃなく、“世界を包む”顔してた」
「八女の風が背中押してくれたんすよ」
蓮は夜空を見上げる。
月が、まるで湯気のように淡く光っていた。
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数週間後。
八女の《心茶屋 REN》は連日満席。
観光客も外国人も、皆が静かに一服を楽しんでいた。
「八女茶入りま〜す♡ 今日の一服、“やさしめ恋味”でどうぞ」
笑顔と香りが、町を包む。
壁には新しい額が飾られていた。
そこには、英語と日本語で同じ言葉が書かれている。
――“A tea that speaks, even in silence.”
(沈黙で語る茶)
蓮はその下に、そっと湯を注いだ。
「ばあちゃん、世界も“心のリセット”待ってたっすよ」
風が吹き抜ける。
茶の香りが外へ、遠くへ。
その香りの中で、蓮は微笑んだ。
「八女茶入りま〜す♡ ……世界の皆さん、今日も癒されてください」
茶筅の音が響く。
静けさの中に、確かな温度があった。
――そして、八女の香りは、世界を包み始めた。