第1話『八女茶入りま〜す♡』
夜の街・中洲。
金色のシャンデリアが、まるで夜空の星みたいに瞬いていた。
黒瀬蓮はその中心で、グラスに最後のシャンパンを注いでいた。
「お客様、今夜も最高の夜を――」
完璧な笑顔。だが、その奥の瞳には、もう輝きはなかった。
常連の女性が笑って言う。
「蓮くんの笑顔を見ると、なんか安心するのよ。」
蓮は軽く頷き、グラスを傾けた。
――俺は、癒してるつもりで、自分を削ってたんだな。
営業終了後。
雨が降り始めた中洲の街で、蓮は傘もささずに空を見上げる。
「……もう、夜は十分だな。」
そう呟く声は、まるでひとつの幕が下りた音のようだった。
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翌朝。
鈍行列車が、博多から南へと走る。窓の外には、茶畑の緑が揺れていた。
久しぶりの故郷・八女。駅前の空気は、どこまでも澄んでいる。
古民家の玄関を開けると、茶葉の香りと猫の鳴き声が迎えてくれた。
「蓮かい! やっと“昼の世界”に帰ってきたねぇ」
祖母・八重は相変わらず元気だった。
「ただいま。……ちょっと、休みに来ただけだよ。」
八重は笑いながら、茶室に蓮を通した。
朝霧の差し込む畳の上、湯が静かに沸く音が響く。
茶筅を振る八重の手つきは、まるで風を操るように滑らかだった。
「湯が熱すぎると茶が死ぬ。でも冷たすぎると心が届かない。
大事なのは、“ちょうどいい温度”だよ。」
茶の香りが、ゆっくりと空気に溶けていく。
蓮はその湯気を見つめながら、思わず呟いた。
「これ……優しいな。」
八重は微笑む。「茶はね、誰かの“おかえり”になるの。」
――人を癒す。
その言葉に、蓮の胸の奥で何かがざわめいた。
かつて自分が“癒し”を売っていた夜。
だがあの笑顔の裏には、誰の“おかえり”もなかった。
八重は静かに続ける。
「“心”がない茶は、ただの湯だよ。」
蓮ははっと息をのむ。
――俺の笑顔も、心のない“作業”だったのかもしれない。
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「自分で点ててごらん。」
八重が茶筅を差し出す。
慣れない手つきで茶を立てる蓮。泡は多すぎ、湯加減もいまいち。
けれど、その姿を八重は優しく見守っていた。
ふと、蓮が茶碗を持ち上げて微笑む。
少し照れくさそうに、あの“夜の声”で言った。
「八女茶入りま〜す♡ ……貴方の疲れた心、リセットで。」
八重が吹き出す。
「茶道にホスト流、悪くないねぇ。」
「“おもてなしのリニューアル”ってことで。」
笑い合う二人の間に、ゆっくりとした温もりが流れた。
その瞬間、蓮の中に光が差す。
派手なネオンではない、静かな朝の光。
彼は茶碗を見つめ、心の奥でそっと呟いた。
――もう一度、人の心に灯りをともしたい。
今度は、静かな湯気のように。




