第5話 初走行 公式練習in岡山
大会内でVR世界に入るのは今日で3度目だが、ようやくハンドルを握れることになった。また空力パーツの変更もこの公式練習のみで可能なので各選手、監督の気合の入り度合いが違う。
アレンジするには一般的にーー正宏いわくーーまず元の設定の状態で走って、各選手が走りやすい部分、走りづらい部分を洗い出し、走りづらい部分がなくなるようにアレンジする。よって洗い出しのために殆どのチームが早くもマシンに乗り込みガレージーーピットとも言うらしいから出ていった。ただ1チームを除いて。
もちろんそのチームは俺たちKONだ。何しろ課題点はわかっている。正宏がセッティングを大きく変更してくれているーーといっても実際にパーツを切り貼りするのではなく何やらガレージ内の壁に埋め込まれているパネルを操作していて彼が操作するたびポリゴンが水色に光りながら消えたり増えたりしているーー。その間俺は運転の基本を大祐に教えてもらうことになった。
「まずドアを開けたら天井についてる取っ手を掴んで足から体をコックピットに滑り込ませて、そうしたら緑の簡易式のシートベルトを締める。そうして準備ができたらステアリングの右のボードにある縦長のスタートボタンを押してエンジンを起動。3つあるペダルのうち真ん中のクラッチペダルを一瞬踏んだ後にアクセルを踏んでマシンを発進させる。…ここまでで質問は?」
「ステアリングとは…」
「ハンドルのこと」
「了解。次になにかある?」
「ピットに入ったときだな。レースでは必ずピットに入りドライバー交代と給油、タイヤ交換を行わねばならない。その時、ステアリングの右下にあるリミッターボタンを押す。これでピット内を走行するときの制限速度、時速80キロを守れる。そして作業を行う場所につくまでにシートベルトを外し作業場に着いたらドアを開け足から体を外に出す」
そんなこんなで話をすること約7分。他のガレージがすっかり静かになった頃、正宏が
「終わった!」
と声を上げた。
「ストレートスピードはかなり早くなったしコーナーもそれなりに早いはず。まずは大祐が2周走って確かめてくれ」
「いきなり無茶言うなよな…」
そうぼやきながらも彼は不敵な笑みを浮かべながら、GT-Rの運転席に乗り込む。数秒後ヘッドランプが点灯しそれにコンマ1秒遅れてエンジン音がガレージに鳴り響いた。
(頼むぜ。相棒。)
そう思いながら俺はピットロードを出た。初めての公式練習の舞台は岡山国際サーキット。短いストレートを急カーブで繋げた造りでブレーキによる素早い減速、そしてその後の加速で速さを稼ぐコースとなっている。
なのでタイヤを温めることでグリップ力を向上させ最適な状態にしてやらなければならない。そう思いながらすでにウォームアップを終えた他のマシンよりもゆっくりとしたスピードでコーナーをいくつか曲がりコースの半分は走ったところで
「大祐、大祐、聞こえますか?」
と正宏の声が響く。ステアリングの右上にあるオーディオボタンを押しながら
「聞こえる。どうした?」
と返す。すると
「状況を伝えます。ここでの公式練習の残り時間は残り52分。現在他のマシンが出した最速タイムはカーナンバー15の1分22秒3です」
「了解。次の周を踏まえてマシンの状態を報告する」
「OK」
この会話をしている間に周回はもう1周目を終えるところだった。タイヤは完璧ではないがタイムアタックをするには十分だった。俺はこれまでより強くアクセルを踏み込む。インジケータというステアリング上にある計器にはミニ電球が並んでおり、アクセル出力が高くなるに連れどんどん左から点灯していく。そしてコントロールラインを通過しタイムが実際に測られ始めるのと同時に10個ある電球が全て灯った。ステアリングの右側面にあるパドルと呼ばれるボタンを短く押しギアを1段上げる。するとッダァンというエンジン音とともに電球が一旦全て消灯する。ギアが上がり出力がリセットされたのだ。そしてまた左端から1つ、また1つと出力に応じて点灯していく。そして今度は1コーナーに差し掛かりブレーキを踏むと同時にインジケータのランプが全て消え、今度は左側面にあるパドルを2回押し、今度はギアを下げる。同時にステアリングも右に傾ける。マシンは慣性によって車体を滑らせることなくしっかり曲がってくれる。少しアクセルを踏み込みギアを上げた直後に再びアクセルを離し今度は左にマシンを曲がらせる。するとマシンの後方が少し曲がりきれず滑りかけた。
(…おっと…すこし攻めすぎか。)
そう思いながらアクセルを再びーー先程より弱めにーー踏み込むと今度はしっかり進んだ。すこしなだらかな坂が続く。その間に左に右にと道がうねっているがアクセルを離すほどではない。ギアを4段目にまで上げながら勾配を超えると、今度は右へ180度ターンするヘアピンが現れた。あえて少し大回り気味に立ち回り、次の直線でスムーズにスピードが乗るように微調整する。
ステアリングをもとに戻すと見えてきたのはピットのあるメインストレートよりも長いバックストレートだ。ここでは何も考えずにアクセルをこれでもかとベタ踏みする。ストレートの終わり頃には速度計が250キロ前後は出ていた。
そして再び右へのヘアピン。今度は小さく、安全に回り再びアクセルを踏み込む。するとさして間を置かずに左に90度曲がるコーナーが二連続で現れた。一個目は上り坂ということもあり再びブレーキは使わずアクセルペダルのオンオフで速度を調整したが二個目は少しのストレートを経て一気に下り坂なので少しスピードが乗ったまま、ちゃんとブレーキを踏んで曲がる。ここでも少しリアを流してしまうが、なんとか耐えるとそのままアクセルを踏み込む。
すこしの直線をおいて今度は大まかなS字をした二連ヘアピンに出た。ステアリングを左に右に傾け、ギアも上げては下げてを繰り返して、短いストレートで立ち上がるとこのサーキットでは数少ない高速コーナーをアクセルオフ、ノーブレーキで突っ込む。今度は少し深めの角度の右コーナー ーーこのコースの最終コーナー ーーをしっかりブレーキングして曲がる。立ち上がったあとは再びアクセルをベタ踏み。ギアを上げながらコントロールラインへ突っ切る。そしてコントロールラインを超えてアクセルを踏む足から力を抜く。すると
「お疲れ様です。今のラップ、1分22秒7、22秒7です。全体としては5番手のタイム。カスタム済みのマシンとしては1番手のラップタイムです。マシンの再調整を行うので次の周でピットに戻ってください」
「了解。…一応先に言っとくとリアのパーツが少ないな。ダウンフォースが足らず、高速コーナーでリアが滑る」
「こちらも確認しました。タイヤをいたわって帰ってきて下さい」
そのままゆっくり俺はマシンを確かな手応えとともにピットに運んだ。
「…ふう」
無線を切って僕は息をついた。他のカスタム前のマシンにはコンマ3及ばないがこちらのカスタム前では1秒は遅れていたことを考えると十分だろう。
「おつかれ」
そう労ってくれるのはこの大会の参戦権を勝ち取った男、創一だ。素人ながら知識をたった数時間で人並みの知識は蓄えたという尋常でない者だが
「…なあ。大祐が言ってたダウンフォースってなんだ?」
…前言撤回。まだまだひよっこだ。
「マシンについてる空力パーツは空気の流れを利用してマシンを地面に押さえつけるためにつけているんだけどそのマシンを地面に抑える力をダウンフォースという」
「…つまり今のマシンは後方があまり地面に押さえつけきれておらず、速いスピードでカーブを通るとマシンが滑ってしまう、ということだな?」
「そう。彼が戻ってきたらリアの空力パーツだけ増やす。…そしたら創一。君の出番だ」
「...了解。きついかもだけど頑張ってきます」
そう言うと彼はこちらから離れ、ガレージへ入っていった。おそらくレーシングスーツやヘルメットを装着しに行ったのだろう。早いわ。
張り切ってレーシングスーツとヘルメットを装着した創一がコックピットへと乗り込んだのは俺がマシンをガレージに戻し正宏がマシンのパーツを変更してから、時間にして装着から10分後であった。正宏と打ち合わせたとおりマシンはリアのパーツが増えている。正宏は
「おそらくこのカスタムでシーズンは走るかも」
とのこと。ここでの練習は残り30分。残りはほぼ彼が走ることだろう。そんな風に考えていると目の前にあるモニターにピットから出てくる紺色のマシンが映る。創一だ。
「この一周はタイヤが冷えている。人間同様アップが必要だからこの周はコーナーをゆっくり走れ。他のマシンも再びコースに出てきてるからそこだけ注意しろ」
素早く指示を飛ばすとマシンのヘッドランプが点滅ーーパッシングした。コックピットに彼を乗り込ませる前に「俺の指示に対しては返事せずにパッシングし、走りに集中しろ」と伝えたのだ。指示を飛ばした直後にパッシングということは無線が聞こえているということだ。しばらくは彼のウォームアップを無言で見守った。翌周。タイヤが温まり彼もアタックを始めた。とても素人の初走行とは思えない攻めた走りだ。マシンの大まかな挙動をピットアウトした直後の周ーーアウトラップーーに把握していきなり2周目にアタックを始めたのだ。俺がタイヤをある程度使っておりタイヤの状態もいいことも理由にもなるが彼の理解力と適応力は間違いなく怪物級であろう。そしてバックストレートに差し掛かった頃。彼の少し前方にアウトラップと思しきマシンがモニターの映像に映った。すぐに俺は指示を飛ばす。
「前のZ、タイヤ冷えてるっぽいな。次のヘアピンあたりで並ぶはずだから抜いてこい」
再びGT-Rがパッシングをする。バックストレートでは速度差がなくZの真後ろをGT-Rが走る形となった。するとコーナーのやや手前でZが左に逸れ、ブレーキングをした。やはりアウトラップなのだろう。とても早い。それにやや遅れてGT-Rのテールランプが点灯するが…
「「…ああ!」」
俺たちは二人して叫んだ。なんとGT-Rは曲がりきれずにオーバーラン。コースの外にある砂場ーーグラベルーーにはみ出してようやくマシンが180度ターンした。なんとかグラベルから脱出したがタイヤやマシンに付いたのと思われる砂利を撒きながらアウトラップの時以上にゆっくりとコーナーを立ち上がる。彼から無線が入る。
「何でだ…速度は前より5キロ出たのに全然曲がりませんでした」
「スリップストリームに入ってたからだ。他のマシンの後ろで走っていると空気抵抗が減ってスピードは早くなるが、ダウンフォースが少なくなり、アンダーステア…コーナーでは曲がりづらい現象が出てくる。だからああいう場面では早めにブレーキすべきだったんだ」
「…はい。ごめんなさい」
「いやいや。いい走りだ。その調子でいけ」
少しの間をおいて再び創一はパッシングした。直後、GT-Rが再加速して最終コーナーに突っ込んでゆく。するとここで実況のひときわ大きな声が響いた(いままで何かちょいちょい話しているのは聞こえていたしタイムが出るたびにタイムを読み上げていたがそれまでは気にならない程度の声量だった)。
『さあ、ここで全チームがカスタマイズを終えたので各チームのラップタイムがリセットされます。真のタイムアタックが今から始まります。ちょうどカーナンバー203番KON GT-Rがメインストレートを通過しました。火花をちらしながら1コーナーを曲がります』
ここで各チームのマシンの様子に集中する。ストレートで早いものもいればコーナーで早いものもあり、部分的なスピードは遅いが安定感が抜群なマシン。それぞれ全く違ったマシンが見られる。そうこうして他車を観察しているうちに時間は残り15分を切った。タイム一覧を見るとトップはタキオンNSXの1分21秒7だった。2番手にVRレーシング(1分22秒1)と続いている。するとまたも実況の声が大きく、トーンが上がってゆく。
『さあ!KONが最終コーナー削ってくる!スムーズに立ち上がってくる!タイムは…21秒9!2番手に食い込んできた!そしてタキオンも今最終コーナー!こっちのタイムは…21秒6!コンマ1秒縮めてきた!そしてファースタースープラもメインストレートを通過してくるが22秒7!6番手のタイムになります』
そうしてタイムを読み上げる実況の声から意識をそらしたその時。
『そして…あああああああ!!!』
そんな絶叫に釣られるように顔をあげると、ディスプレイの画面にはマシンが俺もリアを滑らせた2コーナーのグラベルで止まっていた。しかしそのマシンは車種すらわからないほど前側がぐしゃぐしゃになっておりコース上にはパーツが散乱していた。
何が起こったのかわからず混乱していると画面が切り替わりリプレイがスローで表示された。1コーナーをマシンーーモジューロNSXーーが通過してくる場面からだ。1コーナーでモジューロはリアを滑らせ左にスピンしかけるが右に姿勢を戻した…と思われたが止まりきれず結果として右にスピンした。グラベルに突っ込むもマシンは跳ねるばかりで全く減速しない。そしてコンクリートのかべに正面衝突して跳ね返り、ようやくマシンは止まった。
リプレイが終わると画面にはコントロールタワーが映っていた。そこから何者かが身を乗り出している。すると直後その人物ーーおそらくNPCーーが旗を振った。赤旗だ。赤旗が振られるとコース上の全マシンはピットに戻らねばならない。当然コックピットにも旗の色を示すミニパネルがあるのだが…と思った時
「…あの、緑色だったミニパネルが赤に変わったんですけど、なんかありました?」
「1コーナーでNSXが大クラッシュ。BOXね。この周ピットに戻ってきて」
「了解」
受け答えをしてくれたのは正宏だ。そして多くのマシンがピットに戻ってきた。その中にはアタック途中だったタキオンの姿もあったのだがドライバーはマシンから降りてくると荒々しくドアを閉じた。おそらく途中でアタックを妨げられたのを怒っているのだろう。
GT-Rも戻ってきた。マシンをガレージに戻してから創一は降りる。彼は笑顔だった。そして結局三人の話し合いでこのカスタムで決定となった。あと1回練習はできるが変更もなしにしようとのことになった。また岡山での練習はこれで終了となり、その原因を作ったモジューロは次回15分間の練習禁止を命じられた。