爆死する予感がするから遺書をしたためておきますテスト
いま書いてるのがVチューバ―デスゲームモノなんだけど、正直考えれば考えるほどよくわからなくなってしまったんデス……。
あらすじを説明しますと、これより少し先の未来、AIが中に入ったAIチューバーが世間を席捲しています(激ウマギャグ)。
人間が中に入ったVチューバーもいるんですが、人気ランキングでは下位です。
まあ、AIは人件費がかかりませんし、24時間駆動とか無茶ができますからね。
それで、紆余曲折あり、AIとVチューバーが人気投票で勝負する流れになるんですが、ここで人間側はAIに対して、人間が優位な点を主張しなければなりません。
もちろん、人間は感情や創造性といった面ではAIより優れている面もあると思いますが、問題となるのは、Vという分野においては、それらの要素は捨象されているという点です。
これはなろう小説でも類比することが可能だと思います。
なろう作品では大多数の作品は文学性の高い、緻密で複雑な人間感情は求められていませんよね?
基本的にライトノベルも、その小カテゴリであるなろう小説も、人間はキャラ化されています。
キャラ化というのは、思考を極端にして、ある程度単純化することで成り立っています。もちろん物語が長文化していくにつれて、層のようにキャラクターに厚みができて、魅力を増していくということは考えられますが、基本的な軸がブレることはありません。
Vチューバ―も同じです。多様かつ複雑な「他者」である側面は贅肉として切り捨てられ、リスナーから対象として、つまりモノとして、つまりキャラとして自らが鑑賞されることに腐心します。
キャラ化とは、言い換えれば天使になることかもしれません。
人間にまつわる様々なケガレを虚構の力によって切り離し天使化する。
俗な言い方をすれば、Vを求める層、なろう小説を求める層は似通っており、人間ではなく天使を見ていたい層だということです。
天使という言い方は少し誤解を生むかもしれないので補足しておきますが、例えば、少女キャラが清らかな心を持っており、負の感情を一切持たないというような意味ではありません。
現実での刺激を受けて出力される結果が、読者・リスナー側というノズルを通じて画一化されるというか……。まあわかりやすく言えば、読者・リスナーにわかりやすいように、一口サイズに切り分けられているといったイメージです。
ただ、Vも天使化する……、つまりVという理想の自己をあえて被っているわけですから、自己と理想の自己を同一視化して、自己を拡張していると捉えることもできます。要するに、V側から見れば、リスナーは自分を天使としてみるだろうが、Vは自己を主張している――表現行為だというふうに主張できるわけです。
さて、ここまで議論というのもおこがましいノイズめいた思考をぶちまけてきましたが、再び、AIと人間の戦いに視点を移しましょう。
AIは、Vという領土自体が、天使化を促し、リスナーは天使を求めているのだと主張するでしょう。なろう小説風に言えば、なろう読者は頭からっぽにして読める作品を求めているんだよ、という主張とほとんど同じです。
ここで、Vが人間性……つまり、人間のほうが複雑な感情や心理状態を捉える能力に長けておりAIに優位すると主張することは、分の悪い主張のように思えます。
なぜなら、AIはそもそもVという場において求められているのは、そのような人間性ではないと主張しているからです。リスナーが求めているのは、人間というケガレをまとった存在ではなく、すなわち他者ではなく、天使。つまりAIだからです。
リスナーが求めているのは天使ではなく本当は人間だという主張も筋が悪いように思えます。V自身が仮面をかぶって天使化することを率先しておこなっている以上、リスナーがVの天使化を『本当は』望んでいないと主張するのは、現実が見えていないか、見えないふりをしている馬鹿のいずれかであるからです。
それでもわたしは表現したいんだ!とVが主張するのは勝手です。
AIは笑いながら、じゃあ、リスナーからの人気投票で勝手に死んでくださいと言うでしょう。いちおう、デスゲームモノなんで、人気投票でリアルに死ぬという設定です。
なろう小説作家さんたちも、天使化されていない作品はウケが悪いだろうとは思いながらも書いている人はたくさんいます。高確率でそういった作品は埋もれて死体となる。死体となってもいいという作者さんも中にはいると思います。
けれど、Vであるという道を選んでいるのは、初期条件としてリスナーのウケを求めているわけです。死体になりたくない、人気投票で勝って、生きぬきたいと願っているわけです。
なろう作家も、広く多くの人に読まれたいと願っているなら、Vと立場は親近します。すると、同様の問題が立ち現れてきます。
人間に優位性があると思われる複雑な感情や心理を読み取る能力が、もともと求められていないなろう小説という領土においては、なろう作家はどのように人間の優位性を主張していけばよいのでしょうか。
おそらく十年か二十年先かはわかりませんが、AIは天使化された小説なら大量に創り出せる未来がやってくる予感がします。
そのとき、我々人間作家は、絶滅危惧種として『人間である』というただそれだけの理由で保護対象になっているかもしれません。
生き残りたい。
何も考えずに幼女どうしがイチャイチャしてる話を書けば解決かもしれない。
思考とは毒である。