魔女見習いはじめました(4)
――なんだかんだ時間ってのは平等に過ぎていく。
いつもなら定時の午後五時は十七時で夕方だが、こちらでは二十時とオーバーワークだと錯覚してしまう。長々とマニュアルに目を通し、マリアがいかに悪ふざけがすぎる性格かがよくわかった。
「『患者が来た。3に進め』、『顔色が悪い。8に進め』、『元気はある。2に進め。お家に帰して寝ろ。終わり』、……ゲームブックか!」
『あれ、面白くないですか? 作るの苦労したんですよ~。こんな日が来ることを妄想して暇なときにコツコツと』
「絶対他にすることあったろう」
『ありません。その時はこのマニュアルを作ることが最優先です』
「いや、寝室にあった失敗作はなんだよ」
『Wherly ohei, suegsh mymeshi』
「都合悪くなったらチャンネル変えるな!」
とんだ茶番だ。それだと本当に客が来ることすら怪しい。
座っている椅子から窓の外を見ても、敷地内に人が入ってくる気配すらない。まんまと騙されたのか? 夕食のときにジャジャーンてネタバラシか?
「――ごめんください。マリア先生、いますか?」
「わぁあ!?」
屋敷の入口が開けられ、若い女性が入ってきた。扉が開くまでまったく気付かなかったから必要以上に驚いてしまった。
「ご、ごめんなさい、大丈夫ですか!?」
「あ、……え、ええ。大丈夫、です」
そこに立っていた女性は、俺が思っていた容姿ではなかった。
鮮やかな緑色の長髪。大きな目も緑色。背は高く、細い腰紐を巻いてるからか体のラインがはっきりとわかる。裾も臀部が見えそうなほど短い。
俺の体もかなりのものだが、それすら凌駕するほどの魅力があった。
そして、もっとも特徴的なのが――耳が長く尖っている。
「え、エルフ……想像通りだ……」
「わたしの顔になにかついています? マリア先生に見つめられると照れちゃいます」
なぜか顔を真っ赤にして視線をそらされた。お前、鏡見ろよ。マリアより美人だぞ。
『む。女性にそれはデリカシーがな――』
「そ、それよりも! 先生! 話を聞いてください〜」
脳内のマリアの声をかき消すほどの勢いで前のめりになったエルフ。甘い花のような香りが漂ってくる。
「ゴタゴタうるさいニャ、アルブ。話ニャらまずは座るニャ。マリアもニャ」
いつの間にか近くに来ていたマタタビに促され、アルブと呼ばれたエルフと共に椅子に座らされた。対面して座る様子は、やはり診察のそれである。
「――それでね、わたし言ったんです。わたしのこと好きじゃないのって。好きじゃないから、わたしとの約束も忘れちゃうのって」
マシンガンのようにアルブの口から発射されたのは、俗に言うのろけ話だった。
彼女の彼氏はオークだという。エルフもオークも種族的に性欲が強く、その影響もあってか、エルフの男性とオークの女性は短命なんだそうだ。それに対し、エルフの女性とオークの男性は、セカンドライフで恋仲になることが多いらしい。
若い見た目をしているアルブも、その実子供が八人もおり、すでに成人し、旦那は数十年前に他界している。彼女の実年齢を考えるのはそこでやめた。
エルフの女性は妊娠しづらく、しても単胎。それにより男性は生気を奪われて早死するらしい。対してオークの女性は妊娠しやすく、しかも多胎であり、度重なる出産リスクから死亡するのだそうだ。
その結果が、異種間交遊。種族を超えているために妊娠することはなく、互いの抑えきれないリビドーをノーリスクで発散しあっているのだそうだ。
そして、子育てを存分に経験したアルブが出会ったのが、なんと子宝二桁の精獣オルクスであり、彼の性格についての悩みだった。
彼は、異様に軽い嘘とアルブとの約束を破ることが多いという。
はじめはデートのぶっち。家で寝てたり、酒場で酔っていたり、釣りをしていたり。
それが重なると、誕生日にプレゼントがない、大事にしていたものを勝手に使う、二人分の食事を少し目を離した隙に全部食べる、そしてアルブが一番傷ついたことが、彼女の誕生日自体を忘れていたことだった。
前日に誕生日デートの話を付けていたのに、翌日に姿を現さず、家に向かうと何食わぬ顔で悪びれることもなく薪を割っていたという。
その時の喧嘩の話を、脱線しながら一時間かけて聞かされてしまった。
「もうホントに信じられなくて! 重い女と思われたくなくてずっと口にしなかったけど、つい言ってしまったんです! わたしと薪、どっちが大事なのって!」
その組み合わせはさすがに初めてです。
「男の人ってホント無責任で、こっちのことなんてなんにも考えてなくて、やってもらって当たり前みたいに思ってて、もういっそのこと別れてやろうかってくらい悩んでて。マリア先生はどう思います?」
なぜそれを聞く。それを聞かれても、答えれることは一つしかないだろう。
「アルブさんがそこまで悩むのでしたら、別れてしまえばいいのではないでしょうか」
とりあえずマニュアルの一ページ目に書かれていたマリアっぽい口調だけは意識してみる。言い方さえ間違わなければ、聞かれたことを答えればいいだろう。
「悩むってことは、それだけカロリーを使います。悩みはストレスです。それに縛られていては本末転倒です。ゆとりあるセカンドライフを望まれるのなら、原因から離れるのが一番楽ですから」
悩みの原因から逃げれる選択肢がある人は羨ましい。俺はいつだって、逃げ道がなかった。
何をするでもなく、何もさせてもらえず、けれどいつも誰かの標的になっていたから、それが忌避できるなら万々歳である。
口を開きながら、ヒントがあるかもと一応はマニュアルのページをめくっていく。当たり障りのない、そもそも中身のない内容だけど、時間的にはアルブが終われば、今日の仕事は終わりだろう。
「答えが決まっているのなら、なにも悩むことはありません。解決の最善があるのなら、それを選ばないのはコスパが悪いですから。ですから――」
最後のページを開くと、――『正論の刃はしまいなさい』と、丁寧な字で書かれていた。
なんだこれは。白い見開きのページにデカデカと書かれたそれは、まるで今の俺に向けた言葉みたいだ。
アルブの方に視線を向けると、――目頭に涙を浮かべた彼女と、その後ろに箒を持ったマタタビが立っていた。アルブとは対照的で、眉間には深くシワが寄り、目は真っ赤で鋭い視線。二人の表情に気圧されてしまう。
何か、まずい事でも言ってしまったか?
早足で近寄ってきたマタタビが箒を振り上げ、――
「いてっ!?」
刷毛の部分で思いっきり殴られてしまった。
「な、なに……?」
「アルブ、今日は帰るニャ。マリアは体調が悪いと、思ったことと反対のことをバカみたいに話す悪い癖があるニャ。その管理はニャーの仕事ニャのに、今まで気が付かにゃかったニャ。ごめんニャ。だから、今日は帰ってほしいニャ」
ちょっと待て。別に体調は悪くないぞ、俺。
「お代もいいニャ。お客に嫌にゃ思いをさせてしまったのはこっちの責任ニャ」
マタタビの言葉に一言も返さず、アルブは無言のまま席を立ち、出口へと歩いていってしまった。
扉の前まで来たアルブは最後にこちらに振り向き、涙をこらえた顔で一礼だけして出ていってしまった。窓から見える、外に出た彼女の後ろ姿が寂しげにうつる。
「な、なあ。俺、変なこと言ったかな……」
「……あそこで正論を言って何ににゃるニャ。女の愚痴に正論を向けるのはバカニャ。ゴシュジンには、人の気持ちがわからニャいのかニャ。おんにゃじ事を言われて、話さニャい方がよかったとしか思わニャいはずニャ」
『マタタビの言うとおりです。女の話ってのは、はじめから答えが決まっていることも多いですから。それを踏まえた上での愚痴だと気付かなかったんですね』
「ちょっと待てよ。さすがにそれに気付けって無茶苦茶だ。わかるわけがないだろう」
「わかれニャ、バカ」
不機嫌なままマタタビが離れていく。同時に、柱時計が二十時を告げた。
『初仕事お疲れさまです。いやー、一発目から大赤点ですが、これは先が思いやられますね〜』
「だったらなんて言えばよかったんだよ。人が欲しがる言葉を百パーセントで返すなんて難しすぎるだろう」
『彼女が欲しかったのは共感です。あなたのしたことはアドバイスでもなんでもなく、アルブに対する拒絶と同義です。物は言いよう、ってのはあなたの世界の慣用句ですよ』
物は言いようって、俺にはあれ以外に言いようがない。
『だからモテないんですよ』
なんでモテないこと知ってるんだよ。
『そうこうところですよ。ムッツリ童貞さん』
ど、ど、ど、ど、童貞ちゃうわ!
『隠さなくてもわかります。別に罪ではないので。そんなことよりもナカマラさん』
ぶっ飛ばすぞてめぇ。
『あなたは否定をしない物の伝え方を覚えたほうがいいですね。アルブの件なら、男性側の立場を考えてみてはどうでしょうか』
オルクスの気持ちなんて、俺にわかるわけがないだろう。種族が違う上に立場も違いすぎる。
『そういうところもモテない理由です。どこの世界でも、みんなあなたのためには生きていません。自分や家族のために生きて、その結果の中で社会性を身につけているにすぎない。欲しがりちゃんでは、あなたの生き辛さは改善されませんよ』
欲しがりちゃんって、そういう欲深いやつが多いから他人が信用できないんだ。
『"欲しがり"と"欲張り"は違います。強欲は本来生き物として正当な本能です。それを制御するのは理性の力です。そして周囲にそれを理解させて秩序を構築したのが宗教や政治です。うんうん。やっぱりナカムラさんは私が思い描いていた人ですね。ちょうど悪い感じにひねくれています』
そもそもアルブのような女性とお付き合いができたとして、俺のようなやつに釣り合うのかと考えてしまう。次に、仮に良好な関係が続いたとして、オルクスのように蔑ろには決していないと思う。
だからこそ、そもそも論の敷居が俺には高すぎる。両方の気持ちがわからないのはそれがあるからだ。
『わからない、で片付けば悩み相談なんてものは成立しません。理解しようという意識がなければ、歩み寄りになりませんから。歩み寄るということは、自分をその話に登場させることではなく、投影させることです。それはつまり、どういうことかわかりますか?』
「だから、何が言いたいんだよお前。ずっと似たようなことを言ってないか」
『いいえ、私なりに気付きやすいように筋道を立てているつもりです。あなたがそれに気付かないのは、変わろうとしていないからですよ』
――変わろうとしていない……。
『あなたに人を変える力はありません。それはなぜか。あなた自身が変わる気がないからです。他人事だからです。他人事に近寄る気がないからです。そして、一番のあなたの罪は、その上で、"自分を認めてほしい"という欲しがりちゃんということです』
朝のやり取りを思い出した。マリアは俺の"自己肯定感の低さ"と"承認欲求の高さ"を指摘していた。
自分を認めていないのに、他人には認めてほしいと願っている。確かに、それではないものねだりの欲しがりちゃんと言われても仕方がない。
『そうです。ですから、アルブの相談は今のあなたに対してもっとも有効的な内容でした。あなたの動向を知るのにも都合が良かった。だからこそ、あえて何も助言をしなかったのですが、あまりにもひどかったのでついコメントを入れてしまいましたけど。抜身の刃は無差別に周りを傷つけますからね』
――正論の刃はしまいなさい。ああ、言えて妙だ。
たしかに、俺はアルブのことを知ろうとしていなかった。厄介なやつ、面倒くさいやつ、内容も惚気でつまらない、そう思っていた。
求められていたことを、表面すら見ていなかったのだろう。あのときの言葉は、アルブにとっては刃そのものだったに違いない。
「悪いこと、したな……。それに気付いていたから、マタタビも怒っていたのか」
その上で、自分の責任とまで口にさせてしまった。
「謝らなきゃ。マタタビに――」
『はいそこー。最初に言うべき相手が違います―』
あのとき、一番傷ついていたのは――アルブだ。
『ひねくれているけど、認めるのが早かったのでまだそんなに遠くには行っていないはずです。走れば追いつくはずですよ』
その言葉を聞くと同時に、入り口の扉を開けていた。
建物から出ると、青々とした草原――絵に描いたような風景が広がっていた。
振り返れば、マリアの屋敷は小高い丘の上に建っており、海外の田舎のように土地を持て余している風にも感じる。向き直り先を見れば、遠く離れたアルブの背中が小さく見えた。
思わず走った。手の届かない先にいる、見失えば後悔が残ると思って、全力で走った。
「クッソ! 走りにくい!」
マリアの服の裾で足が上がりにくい。舗装されていない草原で足がもつれる。それでも、アルブの背中が徐々に大きくなっていることにより気持ちが高まった。
「あ、アルブ……さん! 待って!」
「ふぇ?」
全力で走ったせいで全身には汗が浮かび、青い生地の布が肌に張り付く。ゼエゼエと息を切らし、肩を揺らして息を吸った。それでも、酸素が足りないと内臓が訴えてくる。
「よか……った……おい、つ……た……」
「マリア先生、わざわざ走ってきたんですか?」
「は、い。アル、ブさんに……謝り、たくて……」
視界が霞むほどの体力を使い、頭がふらつく。ああ、クソ。自分の体力のなさが疎ましい。こんなときに、言葉が粘っこい唾と一緒に喉に引っかかる。
そんな俺を、アルブは何も言わず、ふらつく体を支えてくれた。
「すこし、落ち着きました。すいません、待たせてしまって」
呼吸が整いはじめ、ようやくアルブの顔を見た。目尻を赤く染め、わずかに腫れている。俺が追いつくまで、きっと泣きながら歩いていたんだ。追いかけてきた俺の様子に驚いて、その涙すら止まってしまっている。
「あの、……」
顔を見ると、言葉が止まってしまう。言わなければいけないのに、急に緊張が押し寄せてきた。
「俺……あなたのことを考えていませんでした。悪気があったわけではないんです。ただ、なんて言っていいかわからなくて、けど、何か言わないとって思って。すいません、今の言葉だって、あなたを傷つけてるかもしれないのに」
言葉がまとまらない。だけど、走りながらでも、アルブに掛ける言葉は考えていた。
「オルクスさんは、決してアルブさんのことを蔑ろにしているつもりはないと思います。今の俺が言っても説得力がないかもしれないけど、けど、えっと……」
「いいんです。わたしなりに悩んでいたんですけど、マリア先生に話しながら、あーわたし、自分のことしか話ししてないなぁ、自分のことばっかで、オルクスの気持ちは忘れていたなぁって、それで余計に泣けてきて、我慢してたのに溢れちゃって、……グスッ」
鼻頭も赤くなって、止まっていた涙がアルブの白い肌を濡らした。
「だから、いいんです。わたしの方が、オルクスに相応しくなかったのかも知れません。すこし、頭を冷やします」
「違う! あなたは悪くない! 俺が、……俺って、人の話を聞くのが苦手なんです。苦手って思っていたけど、実は相手のことを考えていなかったって気付いたんです。だから、――」
ああ――やっぱり、俺は不器用だ。自分が嫌いだ。けど、必要ない人を傷つけてしまうようなままでは、前の俺と変わらない。
「もう一度、アルブさんとオルクスさんのこと、聞かせてくれませんか?」
「え、でも、もう診療時間は……」
「時間は大丈夫です。これは、俺があなたの話をきちんと聞きたいから、俺のわがままなんです。あ、もちろんアルブさんの時間が大丈夫なら、ですけど……」
俺の都合だけで話をしてはいけない。彼女の時間は尊いものだ。俺だけが消費していいものじゃない。
「ふふっ、良いですよ。今日の先生、すごく必死で、俺だなんて言うから男の子みたいですね」
……しまった。勢いで話をして、マリアを装うことを忘れていた。
「顔、真っ赤ですよ。マリア先生、可愛い」
アルブがくすくすと笑う。他人の笑顔を正面から見れたことが、すごく久しぶりのように感じた。