深紅の魔女(7)
――コチニールが見たバルべブルの男の視界共有は、彼女が持つ魔眼の効果の一つだった。視界の共有なんてものは他者との感覚の共鳴にほかならず、フルダイブの視界は容易に人の脳をバグらせる。それをバルべブルが死の間際に見た映像を自らの目にリンクさせてるなんて、想像するだけで血の気が引く。
『コチニールはいくつかの魔眼を保持していますが、彼女自身の性質上相性が悪いので、本来なら魔力が尽きるまでオフにできないのですが、対象者が死亡したことで接続が切れたようですね』
そんなことを説明されても俺にはかなりの心的疲労だ。コチニールが見たものはこの惨劇の一部始終だ。それを動揺もなく見続けるなんて狂気の沙汰だ。
「原因はわかった。けど、これは厄介ね。まさか……」
「おい、そこまで言って噤まれても俺には何も伝わらないぞ。何があったんだ?」
自分で口にして恐ろしい。自分自身では視界の共有は無理だと理解しているのに、他人にはそれが何だったのかと内容の共有を強要している。あまりにも身勝手だが、俺という人間は本来この有様だ。
「これ、――『山の主』による怒りだわ」
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――曰く。この星には三つの大霊峰と四つの大渓谷があり、北半球にはそれぞれ二つずつ存在している。地獄と呼ばれる南半球には底の見えぬ大渓谷が大地を引き裂き、その深さを足しても届かぬほどの大霊峰がそびえ立っていたという。
それぞれの大霊峰と大渓谷には過酷な環境故に独自の生態系があり、時にそれらすべての頂点に立つ『主』が君臨していた。
『七柱の内、二柱は魔王が、四柱は勇者が討伐しています。現存するのは最北端の大渓谷の一柱のはずですが、自然が産み出した超常です。それぞれが星を滅ぼすほどの脅威だというのが今を生きるヒトの共通認識です』
「……そんな存在の一つが、これを?」
「『主』といってもまだ産まれて間もないみたいね。強さとしてはまだまだ赤子。討伐令があれば対処もできるけど、こちらの個人的な都合で討伐していい存在ではないわ」
『深紅の魔女』は基本的に食料確保と討伐令がなければ無闇に生物の殺傷をしない呪いがあるらしい。それは彼女が破壊と再生を司る炎を中心とした魔術を使うためであり、彼女自身が星を脅かす者になってはいけないという縛りだそうだ。
「だから、この先を進む都合でその『主』を討ってはいけない、と」
「ええ、遭遇しないように祈るしかないわ。仮に対峙しても全力で逃げるわよ、あなたを見捨ててでもね」
『あ、これマジの顔です。本気で見捨てるつもりですよ』
怖いことを裡から言うな。余計に怖い。
「けど、一度討伐されてる『主』が再臨するなんて、かなりの誤算だわ」
「はい?」
『本来なら最北端の一柱だけのはずなのに、史実では最初に討伐された『山の主』が再臨なんてかなりのレアケースです。詳細な文献も歴史書もない存在ですので』
「ちょっとまて。なら本来の目的はどうなる。マタタビを助けるために来たんだろう。道中でその『主』が出たら尻尾を巻いて逃げるってのか?」
「文字通りそうよ。可能なら迂回するけど、もしロガルドンマが群生してる近くならかなり厳しいわね。下手に刺激して潰されしまっては元も子もないもの」
『ぐっ……これには私も賛成です。仮に討伐するにしても軽く見積もって視界の届く範囲は荒廃するほどの被害は出るはずです』
「魔女たちは当てにならん! こうなったら――」
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「――無理なのです。ネムには何もすることはできないのです」
頼みの綱にも断られた! 神は死んだ!!
遠隔通信の魔法でこちらの事情を一通り聞いたネムだったが、返答は迷いがなかった。この星の共通認識として『主』には関わるながあるらしい。
『ネムが良識ある弟子でよかった、マリアは安心です』
「ホラ見なさい。わざわざ繋げる必要もなかったのよ。ネム、手間を取らせたわね」
「はいなのです。けど、これは興味深い事案なのです。ニャーちゃんのためにもできることはしてあげたいのです」
「相変わらず健気ね。ほんとにサキュバスか疑いたくなるわ」
頼みの綱がするりと手元から抜けていく。それほどの存在なのか。
「……わかった。ネム、時間取らせて悪かった」
「まったくね。今のアタシたちにできることは祈ることだけだわ。『山の主』に出会わないようにね。それ以外なら順調よ」
「あ、そうなのです。ナカムラさん、ネムに手紙を書いてくださいなのです」
「手紙? ……ああ、わかった」
ん? なぜだ?
「釈然としてない顔なのです。ネムは文字を食べるサキュバスなのです。本来なら紙に文字を落としてくれると味がして嬉しいのです。それに、同じ文字を何度でも味わえるのも良いのです。それが、別の場所であっても味わえるのです」
なるほど。ネムは自分の特性をよく理解している。別の場所でも味わえるか。なるほどね。
「あ。でも書けたといってもどうやって届けようか」
今は館から遠く離れた霊峰の麓だ。届ける方法がない。
「書けたのならアタシの使い魔を出すわ。ネムの魔力の痕跡なら記憶してるし、最短最速で届けるわよ」
だいたい三時間くらいとまで付け加えてくれた。ネムって確か元勇者のところにいるんだろ? 場所がどこか走らないけど速すぎんだろ。
「ありがとうコチニール。じゃあネム、後ほどよろしく頼むよ」
「あいなのです。待ってますなのです」
そう言うとネムとの通信が消え、淡い光を出していた魔法陣は失活した。
「とりあえず書くか。悪い、コチニール。少し待っていてくれ」
『いやー。もしものメモ用にと持ってきた羊皮紙が役に立つときが来ましたね。ネムも手紙だなんて趣があるというか、タイミングがいいというか』
荷物の中から羊皮紙とペンを取り出し、ちょうどいい平らなところを探す。あたり一面悲惨な状況で、唯一見つけた小さな岩にも血と肉片らしきものがついていた。
「うへぇ。流石に気が引ける……」
けど周りには他に場所はない。軽く手を合わせ、お肉様だけは丁寧に取り除いて紙を広げた。
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『ーーナカムラさん、変な文を書きますね。詩的というか、ロマンチストかぶれですか?』
他に形容しようがないのかよ。けど、伝えたいことは書けたと思う。あとは無事にネムにまで届けばいい。
「待たせて悪かった。書けたよ」
「こっちの準備は出てるわ」
赤い魔法陣の中心に炎の翼を持つワシのような使い魔が待っていた。
「……燃えない?」
せっかく書いた手紙が読まれる前に灰になるのはいただけないな。
「貸して。防炎の加護を付与しておくわ」
丸めていた羊皮紙をコチニールに手渡すと、中身も広げることなく別の魔法を行使していく。
「読まなくていいのか?」
「なんで? あなたがネムに書いたものでしょう。あたしが読む道理はないわ」
それもそうか。いや、これは彼女の配慮か。アタリマエのことだが、俺の過去にそんな気持ちを持ってくれるやつはほとんどいなかったから拍子抜けだ。
防炎の魔法を掛けた羊皮紙を使い魔の背に固定し、大きな翼を広げて飛び出して、……彼方の方向へ消えていった。
「速すぎんだろ。手紙落ちなければいいけど」
「ナメないでよ」
キリッとした視線で睨まれた。すまんがお前らの感性は俺には荷が重すぎる。許せ。