深紅の魔女(6)
「――こ、これは」
凄惨。といえば言葉が軽い。燻った臭いの奥には、鉄臭い生臭さが広がっていた。
そこらに転がってるのは、かつてヒトだった残骸だ。
全身が焼けただれた者。四肢が欠損している者。胴が上下に離れている者。全身が潰されている者。
原型をとどめていない者も多く、飛び散った臓物や脳漿には現実味がない。行き過ぎたグロテスクは、もはや脳が現実と認識していなかった。
『ひどいですね。あまりにも暴虐すぎます』
しばらく前まで燃えていたのだろう。黒く焦げた地面にも、何かしらが燃え尽きたような跡があった。それが這いずり回ったようにも見える。
「すん……わずかだけど、魔力の残滓があるわ。けど、これは――」
「まて、コチニール! 生きてるやつがいる!!」
惨劇の端でわずかに動く土塊。それが生き残った男であると認識できたのは、こいつだけが五体満足だったからだ。
「おい、大丈夫か!? 何があったんだ!?」
動きにくいスカートの裾を持ち上げて駆け寄る。近付いたことで気がついたが、唯一の生き残りの周辺には大きな赤い池ができていた。
「ぅ――ぁ……」
酸化した血で黒く変色しているが、かなり高価な装いに見える。上品な繊維で編まれた装飾ももはや元の色がわからないほどに血を吸っていた。首からかけていただろうペンダントは紐が切れて傍らで血に浸っている。
「た……たす、――け……」
かすれた声を振り絞っている。息苦しそうに上下する胸にヒューヒューと漏れる息。目も開けれないほどに衰弱している。
「コチニール、助けられないか……」
眼の前でヒトが死ぬ。何も処置をしなければこの男は数分で死ぬだろう。コイツが誰かはわからないが、周辺の状況から一方的に蹂躙されたことを想像することは簡単だ。なら、何があったのかを把握するにはコイツが死んでしまうと困る。
「無理ね」
「即答するな! マタタビは助けてくれただろう!?」
『ナカムラさん、今回に関してはコチニールの言うとおりです。彼は、あまりにも死に近すぎる。これでは、マタタビのように進行の遅延程度では彼を助けることはできません』
「助けるにしてもボーダーを越えているわ。極端な話をすれば、心臓が止まりそうなマタタビは助けれても、心臓のないこの男を助けることはできない。それくらいの差がある。いまはまだ、たまたま生きているだけよ」
治療をあまりにも明確に拒絶された。それほどの致命傷。体をよく見れば、左脇腹がへその近くまで大きく抉れている。臓器すらまとめて消えていた。そこから止めどなく血が流れ続けている。
「それにこのネックレスの紋章、――こいつらバルベブルね。こんなところで何をしていたか知らないけど、天罰とすればお釣りが来るほどだわ」
許される者。そう名乗った選民主義――先日襲撃したグリコレス=サルバトールが所属しているカルト集団。ここに広がる惨劇の肉塊は、すべて……?
「だからまあ。こいつらが死んだところでってところはあるのよね、世間的には。アタシも好きじゃないし」
『かくゆう私達も彼らの被害者ですからね。ここでどんな災難があったのかはわかりませんが、同情の余地がないといえばそれまでです』
魔女二人はギリギリで生きているこいつを助ける気はサラサラない。それは今の言葉だけでも十分伝わった。今回のマタタビが倒れてしまった遠因にもなっている。俺だってこいつらは嫌いだ。けれど、――
「いまここでコイツに死なれると、心地悪い」
「へぇ。あなた、やっぱ物好きね。助けたいって気持ちは希薄なのに、助けないといけないと思ってるの」
助けないといけない、とは思っていない。はずだ。差別主義者は俺が一番嫌いな人種だ。元の世界でも、優位の立場を取って虐げてきたやつは大勢いた。その過去と記憶は今でもある。俺の根底には、そいつらから受けてきた被害が地層のように積もっている。
「けど、これは俺の勘だ。俺たちは日が明ければこの先へと進む。そのときに、この惨劇を起こした原因にぶち当たる気がする」
それはヒトなのか、それとも魔獣なのか。俺にはその判断はできない。けれど、情報はわずかでもあったほうがいい。それを引き出せるのは、今ここで死にかけているこの男しかいない。戦う力のあるコチニールはもしかしたらどうにか対処できるかもしれないが、俺には無理だ。俺が生き残るためには、情報こそが命綱だから。
『あなたの生存本能は凄まじいですね。裡からものすんごく伝わってきます。確かにナカムラさんの言う通り、彼女だけならその原因を退けることは容易です。そして、私ならともかく、ナカムラさんにはそれがないことも然り。私や彼女のように反射で魔法行使ができるほどの経験もないですし、生き残るためには少しでも情報が必要ですね』
「わかった。あなたの考えてることは理解できたわ。だけど、さっきも言った通り、この男が助かることはない。それは神や魔王ですら無理。全知はあっても全能なんてものは存在しないの。時間素行の魔法さえあればどうにかなったのかもしれないけど、これだけ中身が欠けていたらやっぱり間に合わない」
男の顔からどんどん血の気が引いていく。浅くなっていく呼吸と血とともに抜けていく体温が彼の生を急速に刈り取っていた。
「だから、――彼の目を借りるわ」
そう言ったコチニールは、虚空に魔法陣を出現させ、
「――『今際の者よ、右を見よ』――」
閉じた男の右のまぶたに渦を巻いた『瞳』のような文様が浮かんだ。目を閉じたコチニールの右のまぶたにも同様の文様が浮かぶ。
『右の目は過去を見るとも云われています。コチニールの右目は、彼が見た過去の映像を投影している。どこまで辿れるかは彼女にもわかりませんが、彼が何かを見たのなら……』
しばらく目を閉じていたコチニールが静かに目を開けた。まぶたに浮かんだ文様は消え、男の息もすでに止まっていた。
「これは、厄介ね……」
そうこぼしたコチニールには、苦虫を噛んだように表情を歪ませた。