魔女見習いはじめました(1)
成り行きとはいえ、魔女としての生活を承諾――余儀なくされたが、そもそも魔女ってのは何をするんだ。
俺の中の魔女像は、箒に跨り空を飛ぶだとか、黒いトンガリ帽子とワンピースを着たりだとか、喋る黒猫を飼ってるだとか……そんなステレオタイプのことしか知らない。
または、かぎ鼻のババアであったり、カンカンに熱した大きな鍋をかき混ぜていたり、イモリや蛇やカエルをすりつぶしていたり、……悪い存在のイメージしか思い浮かばない。
けれどこの体の女からは、そういうものを感じなかった。
全体的に―――白い。そう、白いのだ。
イメージの魔女は黒を基調としているが、この魔女は若く、銀髪と白い肌。鼻は高いがかぎ鼻ではない。どちらかといえば、人形のような設計された美貌があり、そして、なんというかいい匂いがする。
「あ。……やばい」
変なことを想像してしまった。なんせこの女、すごく良い体をしている。
さっきは動揺して全身を触ってしまったが、そのときに触れた胸はとても柔らかく、お尻には張りがある。やはり人形のように無駄がなく、扇情的な容姿は俺の男の部分を刺激する。
『私の体になったとはいえ、自分自信に欲情することはおすすめしません。もうあなたの体なので好きにすればいいですが、終わった後の虚無感は男性のそれの比ではないですよ』
「どぅわぁあああ!?」
不意打ちの声に驚いて倒れて尻餅をついてしまった。勢い余ってテーブルに置かれていた謎の液体を全身に浴び、白く綺麗な服に大きな染みが広がっていく。
『あ~あ。それ、私のお気に入りのパジャマでしたのに、もったいない』
「す、すまん……。けど、急に話しかけるなよ! びっくりするだろう!」
『私は忠告しただけです。魔女初心者ちゃんが後にさびし~思いをするのは忍びないので。あ、その薬品、はやく洗い流したほうがいいですよ。無味無臭無色透明の痺れ薬です。調合に失敗して――』
「いてててててててあつつつつついてててて!?」
『痕は残らないけど火傷のような痛みが出ます』
「はやく言え! てかそんなの処分しとけよ!! てか臭い!」
腐った卵みたいな臭いが鼻腔を刺す。いや、そんなことよりも顔から胸に掛けて広がる心地悪い熱さが広がる。毛穴が開くような、体の内側からこみ上げて全身に汗が浮かび上がった。
臭いといい、痛みを伴う熱さといい不快だ。
『浴室は一階の南東です。ほら、はやくはやく。急いだ急いだ』
バタバタと広い寝室兼作業部屋を飛び出し、いろいろと迷いながらようやく階段を見つけ、さらに迷ってようやく浴室に到着した。
「こっっっの……ベタついて脱ぎにくい! 女の服だからか!? いてててて!」
『もうそのまま入っちゃえばいいんじゃないですか。脱げない苛立ちより、はやく洗い流すことが大事なので』
「そういうのも、はやく言え!」
「いててててて」
結局ほとんど脱げず、着衣のままシャワーの蛇口をひねると、頭上から大粒の水が大量に降ってきた。
「いたいしみるつめたい! お湯お湯お湯どれ!? てか水滴でかいな!」
水で視界が霞む中、目の前に掛けられたシャワーヘッドを睨むも、――あれ、水が出てない。けれど全身を叩く水は無駄に水滴が大きい分、重みがある。
体の痛みはまだあるが、冷たさに押しつぶされそうだ。一度シャワーから離れ、冷えた身体を擦りながら浴室内を観察すると、――
「て、天井から水が落ちてる!? なんだコレ!」
『私自慢の天蓋雨です。どうです、すごいでしょう。なんせ全身を包むように水が降ってくるのでリラックス効果抜群です』
「ソウカスゴイネって言うと思ったか! 滝行かと思ったわ!」
『温度調整を間違えたのはあなたですよ。私のせいではありません。この家の浴室、あなたの世界のものを参考にしたんですよ。知りません? 高級宿にあるものです』
「俺、貧民だもん。知らないよそんな……」
滝のように落ちてくるシャワーを避けて、蛇口を調節してぬるま湯に整える。全身を一瞬で濡れ犬にした天蓋雨なるものを見ながら、なぜか体がスッキリしていることに気付いた。
「なんだろう。すこし気持ちいい……」
以前、こういう感覚に一度だけ浸った気がする。急な暑さと冷たさで自律神経を無理やり整えたような……。
「あ。サウナだ、これ」
体にかかった薬品で無理やり体温が上がって毛穴が開き、冷水で引き締め、そこから出たことで脳内麻薬的なのが溢れ出ていた。
『お。こころなしか肌の色が良くなりましたね。ふむ。失敗作でしたが、こんな効能があったなんて驚きです。コレは使えそうですね』
「おい。結果的に人体実験になってるぞ。……まあいいや。服を着たままってのも変な感覚だけど、どうでも良くなってきた」
……顔は見えないが、元魔女はきっとニヤついてるんだろうな。そんなこともどうでもいいくらいの心地よさに、好みの温度に調節されたシャワーを全身に浴び、体についた薬品を緊張とともに排水溝へと洗い流した。
程なくして体温も上がり、浴槽にもお湯を張って浸かることにした。
濡れたことで全身に張り付いた寝間着を脱ぎ、白い肌があらわになる。産毛すらないようなきめ細かい肌が水を弾き、指先まで滑らかな曲線で、その上で胸とお尻だけは存在感がある。
金色の猫脚がついた白い大きな浴槽に入り、手足を伸ばす。水面に浮かぶ二つのそれが嫌でも目に入る。今の自分の体なのに、自分じゃないみたいだ。
「……」
『あらあら。照れてるんですか? 初心ですね~。耳まで真っ赤ですよ』
茶化しの声にツッコめないほど、顔が熱いことがわかる。火照りとは違う感覚。
『コレ、もじもじしないの。あなたの股にはもうないものです。言ったでしょう、自分に欲情するものではありません』
「し、しないよ……。なんせ、お前が隣にいるんだ……」
『いなければするんですか?』
「バッ……しないって!」
思わず浴室のお湯を手で掬って外に出す。かける相手もいないお湯が浴室に飛び散り、排水溝へと吸い込まれていった。
『ふふふ。可愛いですね、ナカムラさん』
「……いま、その名前で呼ぶなよ」
『ふふふ。意地悪はコレくらいにして、私からアドバイスです。今のうちにこの体に慣れてください。どうせ体も洗うんです。すみずみまで触って、どんなものかきちんと確認しておいてください。なんせ、これから毎日を過ごすんですから』
「それが一番の意地悪だっての……」