魔王のいないファンタジー世界(5)
『彼の耳、あれが奴隷の証です。奴隷商人は攫った亜人の耳をカットすることで目印にしています。私自身見るのも久しぶりですが、被害の噂は耳にしています』
なるほど。長い耳が特徴的だが、その先端を切り取られると更に目立つ。これならば一目で認識できるだろう。
「あの。僕はこれから、……どうすれば」
どうすれば、ってのは悩ましいな。このまま外に出せば、追ってきた奴隷商人に捕まる可能性がある。ずっとここに匿うわけにもいかないし、信頼できるところに繋げないといけないだろう。
「それは、んー。少し考えます。そうですね……」
『とりあえずは、数日は様子を見ましょう。彼は上の階にいてもらえば、それほど危険はないはず。あるとすれば――』
ドンドンドン。ドンドンドンドン。ドンドンドン。
玄関の扉を叩く音が聞こえる。ダイニングルームまで聞こえるとなるとかなり力強い。
『嫌な予感がしますね』
たしかに。時間外に慌ただしいのはだいたいがトラブルだ。俺の知る限り穏やかなものはない。それが本当に急を要するものであっても、それはそれで慌ただしい。
「ロロはここで待っていてください。少し様子を見てきます」
重く響くドアの音に体がこわばるロロに声をかける。一応窓から見えない位置にロロを誘導してダイニングルームを後にした。
「ドンドンドンドンしつこいニャ! ニャんニャのニャ!」
調理場にいたマタタビも怒り心頭である。それほどの異様さを覚える。ドアを叩く音に、焦りのようなものを感じない。直感的なものでこちらの警戒度も上がっていく。
廊下を歩くたびに床板が小さく軋んだ。作業場にたどり着き玄関へと近づく。ドアを叩く音は勢いはそのままに、ドアノブに手をかけた。カチリとドアノブが音を出したことで、ようやく叩く音が止んだ。
「オイコラ! いつまで待たすんだコラ!」
鍵が開いたとわかった途端に無理やりドアを開けられた。
見るからにチンピラ然とした風貌の男が入り口を塞いでいる。見た目はヒト種だが、背が高くて頭が鴨居ギリギリだ。その後ろにも何人かいるようだが、体が邪魔で見えない。
「なんの御用でしょうか。本日の業務は終了していますよ」
「あ゛? なめてんじゃねーぞコラ! ぶっ殺すぞ!」
会話になってね―よ。沸点低すぎだろ。
「おい、やめろ。いきなりすごむやつがいるか」
大柄の男の後ろから、小太りの小柄な男が声をかけてきた。身なりからして少し上のやつだろうか。小太りが声を出すと大柄の男は後ろに下がった。
外にいる男の数は3人。いや、4人か。少し離れたところに荷台と箱型の客室のような物がついた馬車があり、薄手の布で窓を覆っているが、人の影のようなものが見えた。
「先程も言いましたが、なんの御用でしょう。ここは魔女の館。無礼は呪われますよ」
「呪い、いいねぇ。人生の刺激にはちょうどいい」
Oh。渾身の脅し文句が全然効かねぇ。
「魔女先生、騒がしくしてすまないね。ちょっと聞きたいことがあるだけだ」
「ちょっと? それにしては物騒ではないですか。私も不親切ではありませんが、ご利用は時間内にお願いしたいものです」
「あ゛あ゛!? 生意気言ってんじゃ――」
長身男のすごみに小太りが鋭い睨みを効かせた。それだけで口を噤むなら、この二人のパワーバランスは明白だ。あとは、奥に立っているやつと、馬車にいるやつ。
奥にいるやつは後ろを向いているが、頭に角が生えていることから亜人だろう。かっちりとした服装をしている。下っ端の雰囲気はない。
「悪いね、魔女先生。若いもんは勢いだけで困ったものだよ。人生ってのは穏やかじゃあなきゃ苦労が絶えない。そう思わないかね」
「……そうですね。ここは喧騒から程遠い地。静かであることが最大の魅力です。ですので用があるなら早急に済ませてください」
「そう苛立ちをみせるなよ。聞きたいことってのは、ここいらでヒトを探していてね。亜人をみなかったかい」
「……さぁ。普段からヒト種も亜人種も出入りがありますので、どなたのことを仰ってるのかわかりかねます」
ヒトの裡を除くような目つきの小太り。下手にこちらから情報を出せばロロのことを感づかれる。できるだけシラを切らなければ。
「なあに。見れば一発さ。耳が特徴的でね。知らないかい」
「耳が? それはどういう意味でしょう。亜人種なら、耳長も大耳も様々ですが」
「いやいや、とぼけられても困るね魔女先生。あんたの後ろにいるような亜人さ」
「――」
小太りが俺の後ろ側に視線を移す。そこに誰かが立っているのを見つけたかのように。だが、――
「なんのことでしょうか。この館には、私と私の使い魔しかおりません。それに、彼女は私から指示された仕事の最中です。それをほっぽりさって、野次馬のように覗きなんてしませんよ」
この建物の廊下は、歩けば音が鳴るようにできている。だからこそ、マタタビやロロがこちらに来たのなら足音よりも先に建物が教えてくれる。まるで炭鉱のカナリアだ。
「つれないねぇ。やっぱり一筋縄じゃあいかないものだな、魔女先生。そうは思わないかい」
これは、感づかれているのか。どうもこちらへの疑いが晴れていないように思える。
「いいさ。今じゃあなかった。邪魔したな、魔女先生」
軽く手を上げて小太りが扉から離れる。これは諦めてくれたの、か。
「――そうそう。そのガキ、重度の呪い持ちでね。見つけたら祓っておいてくれ」
『嘘ですね。彼にその所見はありませんでした』
カマをかけられてんだろうな。何を探ってんだこいつら。
馬車へと三人が戻っていく。後ろをずっと向いていた亜人は、赤い顔をした馬面だった。御者台に戻ったことから運転手のようだ。絵面がシュールすぎるだろ。
『これで馬が主食だったらお笑い草ですよね』
こんなときに笑わせようとするのやめろや。
小太りと長身男が客室にいる誰かと話をしている。ここは立ち去るまでは扉は閉めないほうがいいかもしれないな。
しばらくして誰かが降りてきた。客室の陰から姿を表したのは――
『――あれは。国王直属の憲兵ですね』
憲兵、てことは警察みたいなものか。そんなやつがチンピラじみた連中と一緒に奴隷を探して――
――やばい。こいつは、本物だ。
眼の前まで歩いてきた全身を金ピカの鎧でまとった憲兵の男を、その目を見て一瞬で理解した。
端正な顔立ちで、爽やかさとかっこよさを両立したイケメンを絵に描いたようなわかりやすさ。鍛え抜かれてがっちりしており、けれど無駄が一切ない肉体。ウェーブのかかった鮮やかな赤いくせ毛も様になっている。
けれど、この男の素性を知らなくとも、その内面は隠しきれないほどの本物のオーラがある。
『ナカムラさん?』
「人助けの魔女様とお見受けします。わたくし、憲兵騎士のグリコレス=サルバトールと申します。先程の不躾な男たちのことは忘れていただきたい。不愉快な思いをさせてしまい申し訳なく思う。お名前を伺ってもよろしいですか」
「……マリア、と申します」
「おお。やはり、噂は本当であったか。工房も持たずに辺境地で隠居生活をしつつも人助けを生業とする魔女がいると王都でも耳にする。過去に興味のない元勇者ですら名前を出す始末。どんな方かと思っていたが、これはこれはお美しい。このグリコレスをお見知りおきを、レディ」
グリコレスが片膝でひざまずく。騎士然としているが、その行為すら――おぞましい。
「……それで、わざわざ馬車から降りてこられて何でしょうか。亜人の人探しならば、彼らに話したとおりですが」
「いやいや。人助けの魔女様ならばと、正式に依頼しに来た次第。かの亜人は重罪人でして、護送中に逃亡されてしまったのです。彼らは監督人、罪人に舐められぬようにと悪人面になってしまっただけのこと。ですので、件の亜人を見かけても、言葉に踊らされぬよう願います。我々は近くの村にしばらく駐在しますので、なにかありましたら連絡を」
白々しくも、あくまでも善人であろうとするグリコレス。あげられた顔を見ても、その内面は隠しきれていない。
『どうしたんですか、ナカムラさん。バイタルがずっと乱れてます』
「どうしました、魔女様。顔色がよろしくない。まるで、悪いことでも思い出しているようだ」
――わかっている。こいつが言っていることと、俺自身が思い出していることは別のことだ。
こいつらは疑っている。すでにロロの動向に調べはついているのだろう。だからこそ食い下がる。だからこそこちらを揺さぶる。
それが、さっきのチンピラ程度なら揺らされることはない。あいつらは偽物。見た目と言葉の圧で相手をコントロールしようとしていることが見え見えだし、きっといままでそうしてきたのだろう。
そういう連中こそ、俺にとってはどうでもいい。別に恐怖もないし、心が乱されることはない。
けど、グリコレス=サルバトールは違う。こいつは本物だ。本物の悪党だ。たちの悪いことに憲兵騎士と来た。
自信に満ち溢れた風貌、圧倒的立場。体系的には善としてならなくてはいけないのに、こいつは悪意を悪意として認識していない。非人道的な奴隷取引すら、当たり前のように行ってきている。だからこそのグリコレス=サルバトールであり、今のこいつだ。
『……さん! ナカムラさん!』
頭の中で響くマリアの声でようやく我に返った。危ない。グリコレスの雰囲気に飲み込まれるところだった。ここはしっかりしなければ。
「心には止めておきます。けれど、私は基本的には助けを乞うたものを見捨てません。その子が助けを必要とするのなら、私はきっとそちらを助けるでしょう」
「ふむ。正しく人助けの魔女様といったところか。心得ました。では魔女様、今宵は良い日でありますよう。ところでわたくしと一杯いかがですかな」
「お声がけはうれしいのですが、多忙な身ですしご遠慮します。あなた方にも良き日でありますように」