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魔王のいないファンタジー世界(3)


 ボロボロの薄い布を羽織っているだけ隙間から下着も見える。露出した肌には切り傷やアザのようなものが全身に見え、額にも大きな傷がある。桜色の髪は乱雑に切られ、そこから見える耳はエルフよりも長い。


 だが、右側の耳の先端は刃物でV字に切られていた。


『これは、――奴隷ですね。どこからか逃げてきたのでしょう』


「奴隷、だと。……いや、それよりも」


 少年を見たことで、過去の自分を思い出した。他人に対して怯えよりも、信頼することを放棄している。


 全身の震えと決して合わせようとしない視線。耐え難い暴力を受け続け、助けを乞うことも抵抗することも諦め、それにより全身に傷を負っている。


「おねが、……みの、が……して」


 弱々しく立つ姿に詰まる声。恐怖か、それとも痛みか。みれば、左足首の皮膚がひどくただれていた。


『アレルギー反応ですかね。全身ではなくそこだけということは、金属か薬品が長時間付着していたのかも』


「マタタビ、下から痛み止めの軟膏を持ってきてくれ。あと体を拭くものと羽織るものも」


「わかったニャ」


 バタバタと足音が下の階へと移っていく。マタタビが離れたことで、自分の鼓動がうるさくなっていくのに気付いた。


 手がわずかに震える。この世界に来て忘れていたが、久々な感覚だ。


 目を閉じて深く息を吸う。体内に取り込んだ空気が肺を満たし、そのすべてをゆっくりと吐き出す。


 何度か繰り返したことで、手の震えが治まった。


「私はマリアと言います。あなたに危害は加えません。まずは、あなたの身の安全を証明したい」


 両手のひらを少年へと見せる。この意思表示は異世界共通だと信じたい。


「ひぃいい……」


 ええ~しっかり怯えてる。ホールドアップが通じないのか。


『何をしてるんですかナカムラさん。怯えてる相手に手を挙げるとか威嚇でもしてるんですか』


 こちとら熊かなにかか。じゃあどうしろというんだ。


『彼が求めているのは敵意の有無なのではなく安心安全です。あなたの動向は三の次ですよ』


 安心安全。当たり前のようでいてその実、抽象的という罠。


『野生動物に同じことをすれば逃げられるか襲われますよ。奴隷相手に怖くないよ~なんてのは裏のある悪党の常套手段です。相手を猫だと思ってください。安心安全を理解してもらうために必要なのは何だと思いますか?』


 他者に対して信頼を放棄している状態――俺はどうだっただろうか。一番安心する相手は、――




「……えっ。ゴシュジン、(ニャに)してるニャ?」


 戻ってきたマタタビの声がする。俺はというと――


 ――目をつむり、床に座ることにした。


 俺にとって、安心する相手といえば、距離を取って見守ってくれる人だった。


 見守る――その線引きはとても難しい。距離を取る人は、関わりたくないと思う人が圧倒的に多いからだ。


 言い換えれば、無関心でありたい。厄介事に首を突っ込むのは危機感がないアホか、子供の頃の夢から覚めてない自己愛と化した正義感。だからこそ、離れている人が信頼できる。


 いや、それは信頼ではなく。助けを求めることを放棄した過去の俺と、助けようとすら思わない過去の誰かの利害関係にほかならない。


 けれど、まれに物好きってのはいる。助けてくれる人はいなかったが、支えてくれる人はいた。


 子供の時分、年令に関係なく序列はいつだってある。インドのカースト制度やアメリカのスクールカーストのように、それが変動することはない。


 最下層はずっと最下層だ。その中での足の引っ張り合いってのは実に見苦しい蠱毒みたいなもので、上からはそれを蔑む声が聞こえる。


 助け合いなんてのは自殺行為だ。自分の身は自分で守る。だからこそ、だれかが標的のときは息を殺して時が過ぎるのを待つことができるやつから、地獄から脱出していく。かもしれない。


 それを理解できるようになるには、俺の頭は幼すぎた。


 だからこそずっと壺の底にこびりついた汚れのように最後まで残っていた。そのときに、唯一傷の心配をしてくれるやつがいた。


 俺がそいつを裏切った日まで。辛酸を舐めあった仲は、そいつが消えたことで終わってしまったが。


『ひどい遠回りで不正解ですが、見守るという点だけは正解です』


 頭の中でかすかに響くマリアの声。何が正解かなんて、過程はこの際意味がない。けれど、マリアが例えた猫ならば、距離を取って見守ることが最善だということを何かで耳にしたことがある。


「マタタビ。悪いけど、それを部屋の中においてほしい。あとは俺が対応するから下で待ってて」


 いいように使ってしまっているが、今この場に人数は少ない方がいい。奴隷の彼にとっては、ここは監獄も当然だ。不法侵入をした上に、家主側の二人に発見されれば針のむしろだろう。


 だからこそ、彼自身がこちらを信頼してくれるように、こちらができることはむしろ何もない。


 困惑したままのマタタビだったが、指示通りに薬と体を拭くための濡らしたタオル、治療用に使っている清潔な病衣を部屋の中に置いて下がっていった。


 去っていく気配と、距離が縮まらない二人の呼吸のトスだけが続いた。


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