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魔女の弟子(7)


「……もう動いても大丈夫なのですかなのです?」


 自室にそびえる積本の間で、水色の髪をしたサキュバスが立っていた。


 目の下を黒く染め、焦点があっていない視線がこちらを見つめる。


「ええ。ネムのおかげで助かったわ。それと、後始末を押し付けてしまってごめんなさい」


 素直に頭を下げる。今回の騒動は、大方ネムのお陰で解決に向かっている。


 マタタビの話では、赤いアイブラスは医師であるリベンの管轄にて管理することにしたらしい。使い方を間違えれば今回のような問題は起こるだろうが、性質を今一度解析して今後の医療に役立てるんだとか。


 大事になりかけたことだけに、それらすべてを押し付けたとなれば無責任も甚だしい。


「ネムはネムができることをやっていただけですなのです。以前からも、眠りに関することは手伝っていましたからなのです」


 疲れが残る表情をしている。やはり長い時間看病をしてくれたのだろう。


「いまはゆっくり休んで、……って私が言う事じゃあないか。今回のことは本当にごめんなさい」


「いえ、もう謝らなくても大丈夫ですなのです……。あの……」


「ん?」


「……」


 沈黙が続く。何かを言いたいんだろうけど、視線を泳がして口を開かない。


「……」


「……」


 お互い、言葉が出なくて気まずくなる。けど、こちらから切るのもなにか違うし、どうしたものか。


「ん~~~~~~~~~~~~~」


 頭をひねるネム。それで少しふらついた様子で隣りにある積本に手をかけた。


「あ、危ない!」


 グラッと。ネムが手をかけた積本が横にズレる。それに合わせて、バランスを崩したダルマのように、高い位置にある本がネムの頭上に落ちてきた。

 

「いっつ……」


 思わずネムに覆いかぶさり、彼女へ墜落する本からの盾になる。一冊一冊はそんなに重くない本だろうと、角が当たれば流石に痛い。


「ネム、大丈夫?」


「……はい、なのです」


「ならよかった。けど、積本も程々にね」


 こうも何度も雪崩が起きていればそのうち生き埋めになってしまう。本の生き埋め、本の虫からすれば本望なのかもしれんが。


 押し倒す形になったネムの上から立ち上がろうとして、ネムが袖を掴む。




「あなたは、――誰なのですかなのです」




 赤い瞳は、こちらの瞳を射抜くほど真っ直ぐだった。


 誰なのかと問われれば、マリアではないとしか答えようがない。では、マリアはどこに、と新たな疑問が生まれる。俺の存在自体が異質で、ネムからすれば、マリアの姿をした他人に変わりない。


 ゆっくりと立ちがったネムが、二冊の本を取り出す。黒い表紙の本。一つは題名がなく、もう一つはメガネ越しで見ても題名を読めない。


「メガネ、外してくださいなのです」


 ネムに促されてメガネを外すと、そこに記された題名が眼に刺さる。


「……『絶望』」


 そう、――()()()で書かれていた。


「これは、この世界には読めない、存在しない言語なのです。だから、ネムのメガネ越しに見ると文字化けしてしまって読めないのです。ネムにもこの文字は読めないのに、あなたはこの文字が読めるのですねなのです」


「……ああ。読めるよ。私――俺には、その言語しかわからない」


 久しぶりだが、実に読み慣れた文字だ。


 表紙をめくると、黒い背景に水の入ったコップが描かれていた。それ以外に何もない。


 ページをめくる。真っ黒の見開きのページの真ん中に文章がある。はじめの文字が赤で大きく、続く文章は白でまとめられていた。




 あ いつがきた。むししよう。


 い つもひとりなのに、なんでいきてるの。


 う しろからけってやろう。


 え らこきゅうしてみろよ。


 お い。あっちにいけ。




 ページをめくる。次の見開きにはか行。ページをめくる。さ行。ページをめくる。た行。ページをめくる。な行。は行。ま行。や行。ら行で最後、この調子で文字が続いている。


 最後のページには絵が描かれ、水の減ったコップと大量の空ビンが転がっていた。


 絵本と呼ぶには救いがない。ページをめくるごとに、過去の記憶が呼び起こされる。


「顔色が良くないのです」


「大丈夫」


 うん。大丈夫だ。まだ事態を咀嚼できている。頭は周っている。絵本を作品として受け取ることができている。


 ネムの手が、本を開く俺の手に重なり、無理やり閉じられた。彼女の表情は、限りなく切なかった。


「大丈夫ではないのです。大丈夫なヒトは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()のです」


 赤い瞳が心を揺さぶる。その目には、明らかに感情があった。


「ヒトは嘘をつくのです。けど、夢に嘘はないのです。サキュバスは、その嘘のない夢を求める魔族なのです。だからこそ、ネムにはあなたの嘘に気付いたのです」


「俺の、嘘……」


 今の俺は嘘だらけだ。人格も性別も、立場も嘘だ。


 マリアはそれを受け入れて、心のリハビリをと言った。一度は捨てた命。それを半ば無理やり同期させられ、こうして夢のような世界で生きながらえている。それすらも嘘なのに。


「あなたの話を聞かせてほしいのです。今度は夢ではなく、あなたの言葉でなのです」


 その言葉には、嘘は感じなかった。


 ――ネムに俺がナカムラとしての今際と、その後のことを話した。


 俺にとっては過ぎたこと、耐えしのいだこと、そして、自ら命を絶つという過ちであり、その際にマリアに引き寄せられ、この体の権利を押し付けられたことを包み隠さず口にした。


 その言葉の一つ一つを、彼女は噛みしめるように聞き入っている。できるだけ表情に出ないようにとしているところはどこか可愛らしくも思ったが、それだけ真剣に聞いていることの証左だろう。


 彼女の中での所感がどうなったかは読み取れないが、マリアの突拍子もない行動については同情するように眉をひそめた。


「ネムはときどきマリアの夢を盗み見してたのです。いつものように見たら、マリアじゃあない何かを感じたのです」


『やだ、ネムったら……恥ずかしい』


「今思えば、あなたには初めから違和感があったのです。ネムのことを初対面みたいに接するし、口調もブレるし、本のことも知らないようでしたのです」


「あー。たしかに……」


 実際、マリアはネムのことをほとんど教えてくれなかった。それが裏目にでたんだろう。


「けど、マリアのいたずらかと思っていたけど、逆にあなたに興味が湧いたのです。マリアじゃない誰かが、どうしてマリアとして過ごしているのか、それが、ようやくわかったのです」


「受け入れて、くれるのか?」


「理解と納得は違うのです。けど、ネムの納得よりも、マリアはあなたのことを助けると判断したのなら、それを尊重するのです」


 恐ろしく出来た子だ。マリアの弟子っていうからにはかなりの曲者かと思ったが――実際曲者だが――、この不可思議な状況に適応してる。


「一番苦労しているのはニャーちゃんなのです。けど、ニャーちゃん的には、これはこれでよかったのかもしれないのです」


「どういうことだ? そりゃあ、マリアよりは懐いてくれていると自負しているが」


『こら、ナカムラさん。そこでマウントとらないでください』


「だって、ニャーちゃんの夢が……いや、それはネムの口から言うのは忍びないのです」


「ん??」


「そんなことよりも、あなたはこれからどうするのです? これからずっと、マリアとして生きていくつもりなのです?」


「それは――」


 確かに、俺にとっての人生はすでに終わっている。今の余生はアディショナルタイムでしかない。なら、いつかは終りが来る。それも、予期せぬタイミングかもしれない。


 きっと、その時はマリアにこの体を返すのだろう。


「……わからない」


 率直な気持ちは、これに尽きる。半ば無理やりとは言え、成り行きで魔女の生業を肩代わりした俺にとって、この生活には充実感を覚えている。


 けど、――それは偽物の日常だ。


 絵に描いたようなファンタジー世界で、亜人と呼ばれる人種とも過ごして、ましてや魔女とは名ばかりにほとんど医者のようなことをしている。やっぱりそれは俺には不釣り合いで、心との隙間を埋めるために、無理やり体を動かしている。


「……それでいいと思うのです。答えは急ぐ必要はないのです」


 ネムは、優しく口を開いた。その言葉は、晴れ渡る空のように澄んでいて、純粋なものだろう。


「そうなのです。この世界で生きるのなら、この本を読んでほしいのです」


 崩れた本の中から一冊の本を拾い上げる。それは、以前手に取った『魔王と三騎士』と銘打たれた絵本だった。


「魔王を主役にしたこの世界の童話集なのです。この世界の文化とかにやんわりと触れることができるのです」


 表紙をめくり、パラパラと中を伺う。数話からなるオムニバス形式のようだ。


「ありがとう。読んでみるよ」


「はいなのです。読書が苦手な人でも、比較的読みやすいものかと思うのです」


 なんか見透かされてるなぁ。たしかに俺は本を読むことはあまり得意ではない。興味があるものはある程度読めても、割とすぐに飽きる。だから冒頭だけ読んで、いきなりオチを読むことすらある。


 けど、これだけ俺の話を聞いてくれて、それでいてこの本を勧めてくれたネムの手前、チャレンジしてみよう。


「さて、心残りも解消できたのです」


「心残り?」


「ほんとはすぐにでも発つつもりだったのです。必要な本を取りに来ただけなのです」


 ネムが新たに拾い上げた本。タイトルは読めないが、鮮やかな装飾が施された大きな本だった。


『これは、南側の世界の古い魔導書ですね』


「南側?」


「これは、滅んだ世界の遺産なのです。かなり重要な魔法技術の集大成なのです。ただ、今の時代ではここに書かれている魔法を使えるヒトはいないのです」


 かなり貴重な本ということはわかった。けど、使える人がいないものが何の役に立つのだろうか。


「あ、そうなのです。ネムの今の依頼人は元勇者なのです。マリアに会いたがっていたのです」


『は? 嫌です。穀潰しに興味はありません』


「嫌らしいぞ。珍しくはっきりとしてる」


「そうだろうと思っていたのです。なので、ネムから丁重にお断りしておいたのです」


『さすが私の弟子です! ネムちゃん大好き! 愛してる!』


「なんかすごい喜んでる。マリア、うるさい」


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