魔女の弟子(3)
村医者はリベン=マックイーンといい、彼の家系はだいだい都で診療所を開く家柄のようで、彼は研修も兼ねて配属されているらしく、知識こそはあれど、設備の乏しい田舎ゆえの技術を持ち合わせていないという。
彼が知る病気の中に、著しい倦怠感と高熱を伴った後に意識を失うものはないらしい。もちろん医者のマネごとをしている俺も知らない――つい先日まではだが。
「グリムの娘が似た症状だったと聞きました。その娘が治ったとも。先程すれ違ったのはグリムとその娘でしょう? どうか、ウチの娘のことも診てください!」
「落ち着いてください、マックイーンさん」
診察室で座るリベンの鼻息は荒い。彼の話はドルンの症状とよく似ている。昨日の夜に熱が出始め、昼頃まで続いたようだ。その後、意識を失い外部からの刺激に反応を示さない。
まるで、ただそこで眠っているかのように。
リベンが引いてきた荷台には、リベンの娘であるロロ=マックイーン――年齢は六歳ほど――と、隣の家にいる同い年ほどの男の子、サボ=スミスだった。
寝台に横たわる二人は、やはり寝ているようにしか見えない。
「他に変わったことはありませんでしたか? たとえば、普段と違ったことをしていたとか」
結果にはきっと原因がある。理不尽な通り魔ならばいざしらず、この二人はほぼ同時に発症している。なら、何かしらの原因があると考えるのが妥当だろう。
「わかりません。この子達は普段どおり、村の子たちと遊んでいたと妻から聞いています。遠くに行ったわけでもなく、村の近くの原っぱでです。それが、なんで……」
医療の知識とすれば、ヤブの俺と比べれば彼のほうが抜群に豊富だろう。その彼が、これほど危機感に苛まれているのは、この症状が不可解なものであると訴えかけている。
「先生、グリムの娘を治したように、うちの子とサボもお願いします」
切実な声に困惑する。ドルンは自力で目を覚ました。俺がしたことは、解熱と栄養と水分補給を兼ねた点滴だけだ。彼女が目を覚ましたきっかけは俺にだってわからない。
「マックイーンさん。私はあなたより優れた医者ではありません」
事実だけははっきりとしなければいけない。その場しのぎの変な期待は、結果として互いの身を疲弊させる。そんなのはゴメンだ。
「私はドルンの経過観察をしていたに過ぎません。目を覚ましたのは、彼女自身が回復したからです。私は、点滴くらいしか施していないのですから」
「そんな、ではこの子たちは……」
「原因がわからない以上、私にできることは限られています。熱も下がっているのなら、今は様子を見ましょう」
「栄養剤入の点滴の準備できたニャ」
マタタビが二人分の点滴パックを持ってきてた。自発的な呼吸はできている。耳をすませば、かすかに寝息を立てている。俺としては、最悪のケースとして考えたくは――ドンドンドンと、入り口のドアを強く叩く音がする。
すごく、嫌な予感が……。
「先生、助けてくれ! おれの息子が――」
///
「――なんてこった。まるで感染症じゃないか」
リベンの次に来たのは、意識を失った二人の子供を連れた父親だった。症状はドルンやロロ、サボと同じで高熱にうなされた後に眠るように意識を失っている。
さらに数十分後、追加で一人。同じく四人と遊んでいた子供。五つある寝台が一瞬にして埋まってしまった。
大人たちは騒ぐだけでうっとうしいからマタタビと協力して家に帰したが、明日になればすぐにでもまた来るだろう。そう考えれば、追い詰められてたとは言えグリムはドライすぎだな。
「マタタビ、点滴パックは足りるかな?」
「今夜の分くらいニャ。明日の昼前にはストックが切れるニャ」
それはまずいな。ドルンの状況を参考にすれば、丸一日分足りないぞ。リベンの診療所にはストックがあるだろうか。いや、点滴パックだけが問題じゃない。
柱時計が十二時を告げた。朝までおよそ十時間ほど。今できることは、子供たちの点滴をしながら、解決につながる何かを探し当てることだけだろう。
「マタタビ。点滴の輸液が完了したら、俺は少しネムの部屋に行ってきていいか」
図鑑や参考書の類も多かったはずだ。あの蔵書量なら、なにか糸口になる資料が見つかるかもしれない。
「先に行ってきていいニャ。こっちはニャーに任せるニャ」
「悪いな、何から何まで」
「いいニャ。その代わり、落ち着いたときのご褒美上乗せニャン」
やだ。マタタビ、恐ろしい子……。
///
ネムの部屋の前に到着すると、不思議なことに扉が開いていた。
「ドルンが帰る前に忍び込んで閉め忘れたのかな?」
忙殺でこういうことにも気付けないとは、やれやれ。ヘビーだなぁ。
そのままネムの部屋に入り、扉を閉める。扉近くにあったはしごが邪魔で引っかかったが、開きっぱなしよりはいいだろう。
「――あっ」
頭上から聞き覚えのない声と同時になにか気配がした。視線を向けると、――
「へちぶっ!?」
黒い影とともにヒト型の物体が降ってきた。
ほぼ顔面で受け止め、背骨を痛めるんじゃないかと思うくらい反らせて倒れ込んだ。ドルンによって発生していた本の雪崩の残骸が敷き詰められていることもあって衝撃を分散させてはくれたが、全身にかかる鈍痛に意識がとびかける。
「いっつっ……」
鼻も痛い。鼻が曲がったんじゃないかと思って触ってみたが、後か不幸か無事のようだ。
「――ネムは悪くないのです。ネムは本を取ろうとしただけなのに、はしごが意地悪したのです。マリア、大丈夫です?」
透き通る声が聞こえてくる。衝撃で霞んだピントが徐々にあってくると、――赤い瞳の少女が立っていた。
癖っ毛と思わせるほどウェーブのかかった水色のミディアムボブ。白い肌に眠そうな赤い瞳がよく映える。それでいて、見覚えのある大きな丸メガネが目に入った。
「まさか、……ネム?」
「? ネムはネムなのですよ」
マリアが言っていた三人の弟子の内の一人、サキュバスのネム。まさか、いつの間にか戻ってきていたのか。
「む。いくらマリアでも、ネムの本の上には座らないでほしいのです」
「あ、ごめん……」
ネムが差し出した手を掴んで起き上がる。
立ってみれば、ネムは小柄なことがわかった。といっても、マリアもそんなに大きな方ではないが。けど、それに比べても、マタタビよりわずかに大きい程度の背は、見た感じ子供のそれだ。
「謝ってばっかりのマリアは珍しいのです。何かあったのです?」
///
ネムに現在発生している集団眠り病について話す。
共通点は村の近くの原っぱで遊んでいた子供たちということしかない。皆一様に高熱にうなされ、熱が下がるにつれて眠るように意識を失っている。それ以外には特に原因となる要因は確認できていない現状だ。
「んー。なるほどなのです」
うんうんと頷くネム。終始眠そうだが、話にはきちんと耳を傾けてくれている。
「なにか、わかったの?」
「なにもわからないってことがわかったのです。あと、マリアの話はつまらなくなってネムいのです」
つまらないって、面白話をしたつもりはない。こいつ、マリアの弟子って割には使いものにならないんじゃあないか?
「でも、みんな眠っているんなら、直接読めば何かわかるかもしれないのです」
「どういう意味?」
まるで本を読むみたいな言い方だ。けど、相手は眠っている子供たち。子供たちを本にしようってことか? それこそどんな魔法だよ。
「ネムは夢魔なのです。夢の中を読むことは簡単なのです」
「だ、だから、読むって何のこと? 紙にでもするの?」
「そのまんまそうなのです。マリアは先から何を言っているのかわからないのです」
それはこっちのセリフだ。
ネムは部屋の奥から数冊の白い本を持ち出した。そのうちの一冊を開くと、そこには何も書かれていない、表紙も中身も真っ白のページだけが綴られていた。
「この本に夢を書き写すのです。ふゎ…………ぁぁぁ……。そろそろ……ネムいの……です」
おどろくほど長いあくびだ。メガネを外して目をこすっている。
「お、おい。大丈夫? フラフラしてる……」
「んにゃむにゃ……。ふぁい、……なのです……」
幽霊のような足取りでネムが出口へ向かっていく。途中で、床に落ちていた本に足を取られてズッコケた。
「ネムいのです……」
のっそりと起き上がり、本を拾うのも忘れて出ていった。
///
「ネ、ネム!? 戻ってきていたニャ!?」
「やーやーニャーちゃん、久しぶりなのです。ネムっているのはこの子たちなのです?」
子供たちの様子を見ていたマタタビの傍にネムが近寄る。みんな、ドルンのようにただ寝息を立てていた。
「あれ。本がないのです。あ、マリア、なんでネムの本を持っているのです?」
お前がさっき落としたんだろうが。なんなんだこいつは。
「とりあえず一人分やってみるのです」
最初に運ばれてきたロロの傍に椅子を持ってきて座ったネムは、膝の上に無垢の本を一冊置き、眠ったまま動かないロロの額に手を置いた。
「……」
ネムが目を瞑る。終始眠そうだったが、穏やかな表情のまま動かない。
「すぴー」
「寝てる―!?」
「ゴシュジンうるさいニャ。いいから静かにするニャ」
なんでマタタビはツッコまないんだ。ネムは数秒目を瞑ったかと思えば口を半開きにしてダラけた顔で眠ってしまった。
「ん。なんだこれ……」
ネムが寝息をたてて数分した頃、彼女の膝の上にある無垢の本の表紙が変化し始めた。真っ白の表紙の真ん中には、インクが染みていくように色が広がり、次第に箒にまたがる子供の絵になった。
「んにゃむにゃ……。ほっ!!」
「わぁ! びっくりした!」
突然目を見開いたネム。先程までの眠さが吹き飛んだと思うほど目がパッチリだ。
「朝には目を覚ますと思うのです。んじゃ次なのです」
新しく白い本を手に取り、次はサボの隣に座る。ロロと同じように額に手を置いて目を瞑ると、ネムはまた寝息をたて、しばらくすると今度は鎧を着た子供の絵が現れた。
///
「ふぃ~疲れたのです」
ページをめくれば、文字はないが絵だけが物語のように描かれている。それが五冊――目を覚まさない子供たちと同じ数の絵本が完成した。
「これってもしかして、この子達の『夢』?」
『ネムは眠っている相手の夢を本に変換して、それを読むという特異的なサキュバスです。夢の中に今回の眠り病の原因があると思ったんでしょうね』
サキュバスは夢に現れ、魅了や催淫で対象者の生気を奪う魔性の存在。ネムはそのあり方の亜種ということだろうか。
自らが夢に現れない代わりに、それをアウトプットとして本の形にしてしまうのは、それはそれで怖いかもしれないが。
「む~。子供の夢は願望が素直なわりには、やっぱり抽象的で掴みづらいのです」
ロロ=マックイーンの夢を描いた絵本は、黒いローブを羽織って箒に跨る女の子が空を飛び、色んなところに行くというものだった。赤い花が咲き乱れる場所に降り立つ場面で終わっている。
サボ=スミスの場合は、騎士のように鎧を着た少年による冒険活劇で、赤い花に覆われた城にすむ魔王を倒して奪われた財宝を村人に戻すという、なんとも桃太郎的な展開のようだ。
他の本は、――お菓子の森に住む少女が甘い蜜を出す赤い花を探したり、――雲にも届くほどの超弩級な赤い花の茎を昇って空の上にある屋敷を目指したり、――高い塔に幽閉されている赤い花の髪留めをした長い髪の少女を助けたりと様々だった。
その中で、一つ気になる点が出てきた。
「ぜんぶ、同じ花だ」
五冊とも、同じ様な見た目の赤い花が出てくる。葉の縁はギザギザとした、サルビアに似た赤い花。どの絵本を開いても、それが描かれていた。
「この世界にも似た花ってのはあるのか」
こちら側の世界に来てからは、俺が知っている植物や食材は全部が全部変わっていたためか、知見のあるものが出てくることに逆に驚きだ。
『う~~~~~~~~~~~~~~~ん』
頭の中でマリアの唸り声が長く響く。最近無視することを覚えてきたにしても、流石に少しうるさい。
「これは、何の花なのです?」
「ん~。アイブラスの花にも似てるけど、あれは黄色いニャ。こんにゃに赤い種は見たことがにゃいニャ」
『アイブラスはナカムラさんが思っているサルビアって花とほとんど同じ見た目の花です。いくつか花の色が違う品種はありますけど、赤いものは見たことがない』
どういうことだ。いや、夢の中だからって言われればそれまでだろうが、それなら五人とも同じものが登場するだろうか。
「この花、昨日いた娘の夢にも出てきていたのです」
「それってまさか、ドルンのこと? あの娘が目を覚ましたのって、ネムが夢を見たから?」
「はいなのです。ニャーちゃんも隣でぐっすりだったので面白い夢でも見てるのかなって思ったのです。なんてことはなかったのです」
「ニャ、まさか……」
「ニャーちゃんは頭ナデナデされて喉鳴らして喜ん……」
「ンニャー! これ以上はダメニャ! ネム、しーニャ!!」
マタタビに口を抑えられたネムがモゴモゴと言葉を濁した。楽しそうな夢見てんなぁ。頭の耳まで真っ赤にしたマタタビは置いといて、ネムはドルンの夢の絵本を取り出す。
けど、他の五人とは違い、ドルンの絵本には二ページ目以降は真っ白のままだった。
同じ様な真っ赤なアイブラスの花がびっしりと敷き詰められており、その真中でドルンに似た娘が眠っていた。
「内容がなかったのでおもしろくなかったのです。けど、六人とも同じ花なのです」
どういうことだ。父親同士のグリムとリベンは顔なじみのようだが、ドルンが他の五人と一緒に遊んでいる場面が想像できない。
五人とも、活発そうというか、肌は日に焼け、膝には転んで出来ただろう治りかけの傷がチラホラとあったが、ドルンはインドア派特有の肌の白さがあった。本好きがそれを物語っている。
もう一度ドルンの本に目を移す。空は高く晴れ渡り、群生する花の中心で横たわる少女。その表情は穏やかで、わずかに笑みを浮かべていた。
いうなれば、幸せそうな。幸福をまさに絵にしたもの。他の五人も、最後のページには満面の笑顔があり、夢そのものに満足しているように見える。
「そうなのです。マリアに聞きたいことがあるのです」
「何?」
「ネムの本が一冊ないのです。古い図鑑なのです」
あ。それなら、――
「ドルンが借りていったニャ」
「ごめんなさい、私が勝手に貸してしまいました」
あの蔵書量の中から一冊の本の行方を察するってことは、本に対する執着がすごいな。怒らせてしまったか?
「行き先がわかっているのならいいのです。ただ……いや、もう夜が遅いので今はいいのです」
怒ってはいない様子で安心したが、何か含みがある言い方だな。
「あの本、何かありましたか?」
「あれは絶滅したと思われている種子を書き記されたものなのです。単色本なのでわかるのは外見と性質しかわからない図鑑なのです。けど、アイブラスに似た花の種子のことがたしか書いてあったのです」
「本当!?」
「けど、色についての記載はなかったと思うのです。性質については覚えていないのです。図鑑だから、必要のときに見ればいいと思って覚える気がなかったのです」
それでも図鑑の中身は見たことがあって、それについても記憶があるってのはすごいことだ。その図鑑を開いてみれば、――
「あ」
だから『夜だからいい』と言ったのか。
柱時計は十三時――二十八時を告げた。朝になれば五人とも目を覚ますだろうし、子供たちを引き取ってもらってからグリルン家に連絡を入れよう。
「それにしても、勝手に本を貸してしまったのに怒らないんだね、ネム。いや、悪いことをしたなっては思っているんだけど」
本好きだし、自分のものを勝手に持ち出されるのはいい思いはしないだろう。
「あんな古い図鑑を好んで読むのは物好きか本好きしかいないのです。本好きはネムのお友達なのです」
うわぁ。なんとも心の広さに頭痛がする。怒らないんだと邪推してすいません。
「とりあえずネムのお陰でどうにかにゃりそうニャ。ゴシュジンは今のうちに休むニャ。明日は明日で夢と赤いアイブラスの調査ニャ」
「ふぁ~。ネムは疲れたのですぅ……。あ、こんなところに良い枕が」
そういうとネムが俺の胸に飛びついて顔を埋めた。
「ちょっ、ちょっと!?」
「……すぴー」
「寝るの早いな!? って力すご! 引き剥がせない!」
重くはないががっちり飛びつかれて降りる様子がない。
「ネムはマリアの胸でだけはちゃんと寝るニャ。がんばったんだし、そのまま寝かせるといいニャ」
「他人事と思ってないか……?」
「にゃんのことだかわからにゃいニャン。それよりもゴシュジンも部屋に戻って寝てくるニャ。こっちは任せるニャ」
「ありがとう。落ち着いたら――」
「ご褒美上上乗せニャン」
やっぱりマタタビ、恐ろしい子。