魔女の弟子(1)
オルクス捜索の騒動から数日が経ち、目に見えて仕事が忙しくなった気がする。
「マリア先生、聞いてくださいよ! うちの旦那が――」
旦那の愚痴だったり。
「よー先生、先日はどうもな! 外に出るなら一緒に酒でも――」
特に意味のない世間話のためだったり。
「あ、あの……えっと……なんでもないです」
コミュ障全開で話の切り口が見えなかったり。
その中でも何件かは本当の困り事もあったり、いまは解決の糸口の見えないものもあったりしたが、これといったトラブルはないように思えた。
昨日来た高熱の娘を抱えた父親なんてわかりやすい。
俺は医師免許を持ったお医者さんじゃあないが、マリアの残したマニュアル――相変わらずゲームブック風でいちいちめんどくさい――をたどれば、栄養剤と代謝をあげる薬で経過観察するに至った。
一日経ったことで熱は下がり、高熱が続いたことで疲労が溜まっているのだろう、呼吸は落ち着いているがまだ眠っている。
けど、明らかに疲れてるのは俺もだ。
行列ができる相談所のように、予約外でも訪問する人が増えた。マタタビが時間内に済むように入り口でさばいてはくれているが、さばいているということは後ろにずれ込むということだ。マタタビが暇になるまではドンドン忙しさが伸びていく。
「……にしても、全然目を覚まさないな」
そろそろ父親が迎えに来る頃だろうが、一日寝てれば目を覚ますと言った手前かっこうがつかない。
「ゴシュジン。その娘のお迎えがきたニャ。どうするニャ」
噂をすればなんとやら。こうもタイミングよく父親が来たようだが、この状況、どう説明したものか。
「――なら目を覚ましたときに連絡をください。そのときにまた迎えに来ますから」
件の父親は状況を説明するとそれだけを口にしてすぐに帰っていった。娘の容態なのに淡白なこった。
「今日の仕事は終わりニャ。点滴の換え……置いとくニャ」
マタタビにも少し疲れがあるようだが、こちらの手伝いはそつなくこなしてくれる。良い助手ではあるが、マリアは何をしたからマタタビに嫌われたのだろうか。
数時間おきに水分と栄養補給を兼ねた点滴液を繋げ直す。これのおかげで昨日はぶつ切りの睡眠時間しか取れなかったからか、余計に疲れが残っているのがわかる。
「あー。女の肌ってすげぇな。カッサカサじゃん」
肌の潤いがバイタルサインとして顕著だ。もち肌ってこういうのだろうなって思っていたマリアの体だが、ここ数日の激務でものの見事に変化が起こっていた。
点滴を取り替え、正常に輸液が行われていることを確認する。医者の真似事も何度も繰り返せば手慣れてきて、手早く輸液速度を約一秒で一滴の速度に調節し、脈拍と体温を記録して部屋を後にした。
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「ゴシュジン。昨日もそうだったけど、美味しくにゃいかニャ……?」
進まない食事を見かねてか、しびれを切らしたマタタビに突っ込まれた。皿に盛られた緑色の麺状の料理だが、彼女の料理スキルは金を取ってもいいほどの出来だ。
俺の体調を考慮してか、味付けもあっさりしており、決して重いものではない。
「いや、うまいよ。マタタビの料理はいつもうまい。ただ、……疲れてるのかなぁ。食欲がわかないんだ」
夏の冷やしそうめんほどの食べやすさだが、ここ数日の疲労から、内臓が悲鳴を上げている。食材の色による食欲の刺激はある程度慣れた。
腹が減れば色なんて関係ない。うまけりゃ喉を通る。昆虫食も想像したくないほどの領域だが、極限状態なら迷わなくなるだろうなと思うほどだ。
けど、それを凌駕するほどの疲労感だ。唯一の救いは一日が長い分、少しは休む時間が取れることだが、それで疲れが取れているならここまできていない。
「疲れているのはわかるニャ。けど、食べにゃいと体力がもたにゃいニャ」
「わかってる。わかっているけど、何だろうな。ごめん。うん。弱音だ。俺、もう少し頑張ってみる」
自分の口から努力に関する言葉が出るとは思わなかったが、今の俺は前の俺とは違う。マリアの体になって、マリアとして生きると決めた。だから、変わらなくちゃあいけない。ヒトに何かを享受する立場になったのなら、自分自身が変わらなくては。
「……無理はしたらダメニャ。ゴシュジンが倒れては」
「わかってるよ。けど、今が俺の分水嶺なのかもしれない。だから、もう少しは頑張ってみる」
これは"無理"じゃない。本来ポジティブ人間ではない俺だが、そんな俺でも引けないことはある。これは男のプライドってやつなのかもしれない。
「……わかったニャ。けど、顔色は見たほうがいいニャ。ゴシュジン、最近寝れてにゃいんじゃにゃいかニャ? クマが出てるニャ」
目の下に触れる。ハリツヤの良かったマリアの肌だが、腕と同じように潤いがないのがわかる。さっき鏡を見たときは目の下がわずかに浅黒くなっていた。
「睡眠は取っているつもりだけど、血流が良くないのかな」
「なら今日は体を温めて早めに休むニャ。眠ってる娘はニャーが見とくニャ」
「え、ならマタタビはどうするんだ。休めないだろう」
「ネコは睡眠が浅いし休めるときには程よくサボってるから大丈夫ニャ」
時折姿が見えなくなるのはそういうことだったのか。こいつ、やっぱり図太いな。
「なら、今日はマタタビに甘えようかな。悪いな。この忙しさの波が落ち着いたら、なにか憂さ晴らししよう。その時は何でも言ってくれ」
「わかったニャ。覚悟しとくニャ」
先に少し楽しみができた。なら、これを乗り越える活力になるかもしれない。
マタタビの作ってくれた料理は全部食べることは出来なかったが、体を温めるために久しぶりに湯船に浸かろう。