うちにこい
俺 : 健一 主人公。男。
ウチ : 理恵 幼馴染み。女。
高校一年の春休みの午後。
二年への進級を間近に控えた、退屈な時間。
世情から、外に遊びに行くのも憚られ、友達とも会う機会があまりない。
通う高校は、校則ではバイト可能だが、学校側から『特別な事情がない限り不許可』と言われてしまっている。
両親も今は仕事でいない。
そんな中でやれることといったら、本を読むか、スマホをいじるか、あとは……。
スマホが振動。着信音は『鳥の囀り (ランダム)』なので、『コケコッコーッ!』と鶏の鳴き声音が鳴っていた。
高校入学に合わせて買い換えてもらった際の初期設定のメロディだったが、ランダムの割りに初めて聞く音になんというか、びびった。
ドキドキしながらスマホを操作すれば、メッセージが来ていたようだ。
相手は、隣の家に住む同い年の幼馴染み。名前は理恵。
俺と理恵は兄妹のように育てられていて、小学校の頃から『夫婦』と呼ばれるくらいずっと一緒に過ごしてきたが、何の用事だろうか? と本文を見てみれば。
『ウチに恋』
……? どゆこと?
文字そのままでいくと、理恵は自分のこと『ウチ』というので、理恵に恋、ということだが?
意図が掴めずしばらく首を捻っていれば、次のメッセージが。
『誤字。家に来い』
今度はさすがに分かる。
さっきのは間違いで、家……は、『うち』か。……って、命令形か!
ためしに、『どうした?』と返事をしてみる。
仮に、困ったことがあるとしたなら、すぐに電話してくるだろうし。
理恵からの返事が来るまで1分とかからない。さて、何と言ってくるか。
『ウチ狂う?』
『どうした!? ほんとにどうした!?』
狂うとあって、慌てて即返事したが、文面からは情報をほとんど読み取れない。
ハラハラしながら返事を待ちつつ、いっそ隣まで行ってしまおうかとも思う。
何かあった時のためにと、お互いの家の合鍵を持っているから、理恵の家に踏み込むことは可能だ。
自室から出て玄関まで行ったところで、返事が来る。
『誤字。家来る?』
大きく、安堵のため息を吐く。
何かあったわけではなさそうだ。しかし、安心した反動か、ちょっとイラッと来たが……。
『すぐ行く』
冷蔵庫に入っていたゼリーを手土産に、質問を装った命令に従うことにした。
家は隣同士といっても、外に出て玄関の鍵を掛けて、隣の家まで歩いて合鍵で玄関明けてとなると、二分はかかる。
そのわずかな時間にも、メッセージが届くわけで。
『葉焼く恋』
さすがにもう驚かない。早くこい、ね。
インターホンは鳴らさずに、合鍵でお宅訪問。
勝手知ったる我が家といった感じで、二階の理恵の部屋へ。
「おーい、理恵。入るぞ」
ちゃんとノックしてからドアを開ければ、
「うっ? ……おい、理恵? 何のつもりだ?」
腹に軽い衝撃。足元には理恵が愛用するペンギンの抱き枕。ベッドの上には投てきフォームの幼馴染み。
……なにやらよく分からんが、表情に乏しいこの幼馴染み様の考えがよく分からないのは、今に始まったことじゃない。
なので、特に気にせずペンギンの抱き枕を拾って理恵に届けてやれば、大事そうに受け取って抱き締めて、……なぜか、俺を睨んできた。
「ほら、ゼリー。冷えてるぞ」
「ん……」
我が家の冷蔵庫に常備している果肉入りのゼリーは、双方の家族みんなが好んで食べる味。
なぜか不機嫌そうだった理恵も、プラスチックのスプーンでゼリーを少しずつすくってゆっくりと味わっていた。
俺も理恵の隣に腰掛け、しばし、ゼリーを食べるだけの静かな時間を過ごす。
あっさり食べ終わってしまった俺は、なんとなく隣の幼馴染み様の様子を見てしまう。
肩にかかるくらいの髪、
普段からよく可愛いと言われる程度には整った顔。
常に眠そうな印象のタレ目。
男の俺より、肩幅も狭くて手足も細い。
成長期を経て、男の俺とはだいぶ違う育ち方をしている感じだ。
ふと、理恵と目が合った。
きょとんとした顔は、あどけなく可愛いと思う。
でも、年を重ねるにつれて、可愛いというよりは、なんというかその、『綺麗』の言葉の方が似合っているような、そんな気もして、少し、困る。
ゼリーを食べ終えた理恵は、満足したのか落ち着いた表情で、ペンギンの抱き枕を抱えてころんと横になる。
その、理恵の頭を指先でカリカリと掻いてやってから、頭を撫でて髪を指で梳いてやる。
指が触れた直後はビクッと震えるものの、撫でていけばすぐに体から力が抜けていくみたいで、面白いというか楽しいというか、大きな猫を撫でてるみたいだ。
そのまましばらく撫でていたら、急にさっきのメッセージを思い出す。
「なあ理恵? さっきのことだけど」
スマホを操作して、先ほどのメッセージを表示させる。
『ウチに恋』
「これ、どういうこと?」
ころんと転がって、こちらを向く理恵。
文面を見て、次いで俺の顔を見るその目からは、あまり感情はうかがえないが……。
ホッホゥ、ホッホゥ。
いきなりなんか変な音が聞こえたと思ったら、スマホの着信だった。
なんか変なタイミングで来たな。そう思ってスマホを見てみれば、メッセージが追加されているのが分かった。
『ウチに恋?』
「……どうした? 理恵? また、誤字か?」
「……ん……誤字じゃ……ない」
……ポソポソと、か細い声に、思考が、止まる。
「誤字じゃ、ない」
今度は、小さいながらもはっきりとした声。
ドキリと、胸が鳴った気がした。
「ねえ、健一。……ウチに、恋?」
問い掛ける声が、
言葉を紡いだ唇が、
揺れる瞳が、
見慣れたはずの、幼馴染みの顔が、
なぜか、俺の心をザワザワさせる。
それは、どういう意味か。
問い質したくても、口は動かず頭は空回り。
がちゃり。
玄関の方から、鍵を開けるような物音。そして、ただいまの声。
なぜか、ここにいてはいけないような気がした。
「なんかごめん。今日は帰る」
なぜか、理恵の顔が見れなくなってしまっていた。
お邪魔しました。と帰宅直後のおばさんの顔も見ずに挨拶して、逃げるように自宅に帰る。
玄関の鍵を掛け、自室に転がり込んで後ろ手に鍵を掛け、ドアを背に床にずり落ちて。
顔が、熱い。
心臓の音が、うるさい。
「明日、どんな顔して理恵に会えばいいんだよ……」
ひとり、途方に暮れていた。