交わらぬ縁
短編小説です。お願いします。
高速道路をトラックで走り回る。安アパートに誰かが待っているわけではないが、明日は休みだし予定以上に仕事が早く終わったから、どうせなら早く帰りたいものだ。といってもこのまま飛ばしても、仮眠についても留意すると、着くのは明日の朝6時ぐらいになりそうだ。それでも明日休みというそれだけで、全く変わり映えのしないコンクリートロードも少しは輝かしく見えてくる。
そういえば、高速道路に入る前、下の道はとても混んでいた。今日は花火大会だそうだ。40を超えてからそういうものには距離が開いてしまったような気がする。最後に行ったのはいつだったか。高校3年の時だろうか。
大学受験に力を入れていた夏休みのことだ。友達から1通のメールが届いた。
「今日、花火大会に行かないか。」
「勉強しろ」と送り返してやりたかったが、意味不明な数式に、抽象的すぎる文章に、異国の言葉に何かと頭を抱えていたところで、気分晴らしには丁度いいと思い、
「分かった。あの銅像の前でな。」
と送り返した。
すぐ家を出て、例の銅像前に集合した。その銅像は現代アートのようでつい3年前ほどにできたものだった。幾何学的なものが重ならないように、DNAのような一つの図形を形成しているようだということは分かるのだが、その他何か感じることはできなかった。芸術なるものは現代へと行くほどに難解になっていく気がする。兎にも角にも、その銅像は、今日に限定しては数学の問題を想起させるようで「うへぇ」とつい吐く息に乗せてしまった。
例年のように並ぶ屋台を、何の迷いもなく例年通りに買っていく。祭りに誘ったあいつは型抜きを買っていた。しかも二つ分。これは二つともあいつがする用で、不器用なくせに毎年買ってやがった。
「ああ!割れた!」
と例年通りの言葉をたれているのを見て、何とも言えない悲壮感があったことを覚えている。うちは進学校だったから、生徒のほとんどが大学へと進学するし、そのほとんどが外へと出ていく。もちろん俺もだ。そして奴も。こんな風に型抜きを毎年のように2枚とも失敗して、そいつを笑うという10年近くも続いた二人の日常、いや年常のほうがいいか、が来年から思い出となって語るしかないのはなんとも寂しいことだった。
花火は、知る人ぞ知る穴場へと向かって見上げていた。花火が終わった後、キレイだった、とか、今日は楽しかった、とか、そんな会話は一切なかったのを覚えている。二人で「またな。」と言って、銅像前で別れた。
その後、あいつは晴れて医学部へと受かった。担任にも称賛されいた。対する私は、すべり止めの高校だった。担任には慰めのような、あまり気の利かない言葉を受けた気がする。其の所為にはしたくないが、私は何がしたいか分からなくなって大学を中退し、トラック運転手へと就職した。あいつは、つい最近医学会で何かしらの賞を受けたと聞いた。それを聞いて、6年間学び続けたのだなと何故か安堵が零れていた。
思いを巡らせていると、パーキングエリアが見えてきたので入ることにした。そろそろ花火が上がる時間だろうか。そう思っていると、遠くの方で花火が上がったのが見えた。遅れて小さく音が聞こえる。望んでいると、大きな病院が目に入る。あいつはあそこにいるのだろうか。もしかすると窓を開け、あの花火を見ているかもしれない。あの日、二人で交わした約束はこうやって守られたのかもしれない。「またな。」と呟いておく。次果たされるのは来年か、はたまた数十年先か。どちらにしろ、今年のように遠いどこかで、お前の知らないどこかで花火を見たいと、そう思うばかりだった。