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或るヴァンパイアの憂鬱

作者: 秋野トウゴ

「今日は4年に1度のスーパー・ウルトラ・プレミアムフライデーだから、飲みにでも行ってこい」


 夕日の差し込む小さな事務所。

 僕が黙々と伝票の整理をしていると、社長から突然声を掛けられた。


 今日が、うるう年だけにある2月29日で、しかも月の最終金曜日だから、『スーパー・ウルトラ・プレミアムフライデー』らしい。

 そもそも2月29日と金曜日が重なるのは、4年に1度ではないとは思う。

 だけど、社長は飲み代として5000円くれると言う。

 なら、余計な口を挟む道理はない。

 僕は黙ってその5000円を頂戴(ちょうだい)した。



 というわけで、僕はその日の終業後、『居酒屋だれやめ亭』ののれんをくぐった。

 4人掛けのテーブルが二つと、5人が座れるカウンターだけの小さな店。

 客層もいいし、料理もおいしい。それに値段も良心的とあって、すっかり通い慣れた店だ。

 僕の指定席はカウンターの右端。この日も、そこに座ろうと思っていた。

 だが、残念ながら先客がいた。


 ライトグレーのスーツに身を包んだ若い男性。短く整えられた髪は、銀色。

 髪の色からすると、真っ当なサラリーマンには見えない。

 家庭的な感じのこの店には不釣り合いな客にも思える。

 触らぬ神に祟りなしと、僕は一つ席を空けて座る。


「とりあえず生と、いつものセットで」

「はいよ」


 椅子を引きながらカウンターの奥にいる大将に注文すると、大将は元気に返してくれた。

 こんな風に明るい雰囲気も好きだから、僕はこの店に2年ほど通っている。

 カウンターで一緒になる常連客と軽い会話を交わすこともある。

 ただ、この銀髪の男性は見たことがない。

 これだけ目立つ見た目なら、忘れることはないはずだけど。

 なんて考えてると、


「はぁぁぁぁ」


 銀髪の男性が僕の方にチラリと視線を送りながら深いため息をついた。

 なんか気に障ることしたかな?

 分からないけど邪魔にならないように心掛けよう。

 僕は大将から、生ビールの入ったジョッキを受け取ると、スマホを取り出してツイッターのタイムラインをチェックし始める。


 だが、


「はぁぁぁぁ」


 再び聞こえる嘆息。


 面倒に巻き込まれるのは嫌なんだけどな。

 顔はスマホに向けたまま、目線だけ少し上げると、銀髪の男性が僕の方を向いているのを視界の端で捉えてしまった。

 今度は、体ごと僕の方を向いている。

 こういう時は店の人に対応を任せるのが一番だ。

 大将に「何とかしてよ」と目で合図を送る。

 でも、大将はこっちを見て「任せる」とばかりに親指を立てている。

 

 えぇぇぇ?

 

 せっかくの週末なのに。こんな面倒臭そうな人の相手をしないといけないの?


「はぁぁぁぁ」


 3度目のため息。

 仕方がない。このまま放っておいても、酒がまずくなるだけだ。


「どうしたんですか?」

「私の話を聞きたいのか? なかなか見どころのある若者だな」


 僕の声を聞いて、男性は目を輝かせる。

 よく見ると、その瞳は薄いブルーだ。

 だけど、やけに上から目線だな。

 見た感じ僕より年下か、せいぜい同い年ぐらいみたいなのに。

 はっきり言ってやった方がいいんだろうな。


「いや、別に聞きたくないですけど」

「まぁ、そう言うな」


 なれなれしく僕の右肩に左手を置いてくる。

 ちょっとイラっとする。


「若者なんてさっき言ってたけど、たぶん僕の方が年上なんだから、もうちょっと口の利き方に気を遣ってくれないかな?」

「いや、間違いなく私の方が年上だ」

「はい? 根拠は?」

「君は人間だろう?」

「は?」

「その反応からすると、人間で間違いないな。なら、私の方が年上だ」

「何を言ってるのかさっぱりなんだけど?」

「あぁ、先に言っておけば良かったね。私はヴァンパイアなんだよ」


 ――まずい。


 これは飲み屋で出会う人間の中でも一番関わったらいけないタイプの人間だ。

 酔ってるわけではなさそうだから、きっと変な妄想癖のある人間なんだろう。

 何も注文してなければ、さっさとビールを飲み干して店を出るんだけど、さっき注文したしな。

 どうしたもんかな、なんて思っていたのだけれど、男性は僕を放ってはくれない。


「そんなに緊張する必要はない。ヴァンパイアと言っても私は人間社会に溶け込んで数百年は暮らしている。もちろん、人間の血を吸ったりもしない」

「……大丈夫ですか?」

「おぉ、さっきのため息が気になるんだな。やっぱり私の話を聞いてくれるか?」


 その変な妄想は大丈夫ですかって聞いたつもりだったのに、勘違いをされてしまった。

 

 ゴトンっ――。


 その時、僕の目の前にビールのお代わりが置かれた。

 え? 頼んでないんだけどと、大将を見やると、僕を拝むように両手を合わせている。

 サービスするから相手しろってこと? 

 視線だけで大将に尋ねると、「うんうん」と(うなず)いている。確かに、誰もこんな面倒な人の相手なんてしたくないよね。


「はぁぁぁぁ」


 この日4度目のため息は僕の口から出てきた。


「そう、この日はため息が出るんだよ」


 長い夜になりそうだと覚悟を決めて僕は、そう言う自称ヴァンパイアに向き合う。


「分かりました。話を聞きますよ。何でため息をついてたんですか?」

「あぁ、話せば長くなる」

「いや、短くしてください」

「そんなつれないことを言うな。あれは今から8年前の2月29日だった」


 あぁ、回想に入るんですね。そうですか。もういいです、どうでも。


             □  ■  □

 

 私はその日、付き合って半年になる彼女とデートの約束をしていた。

 もちろん女性を待たせるなんて無粋(ぶすい)なことはしない。

 だから、待ち合わせ時間の1時間前には、待ち合わせ場所に着いていたんだ。


 自分で言うのもなんだけど、私は見目麗しい方だからね、街に立っていると、どうしても注目を集めるんだよね。

 その日もそうだったね。

 けれどもその美しさゆえに近付くのはためらわれるらしくて、女性たちは遠巻きに私の方を見ていたんだ。

 私の前を歩く女性たちは「ほら見て、あの人、すごく美しいわ」とか「絵画の中から出てきたような紳士ね」なんてひそひそと言葉を交わしているようだったね。

 声は聞こえなかったけれど、間違いない。


 そうやって、私がささやかな自尊心を満たしていると、スマホが震えたんだ。

 彼女からの電話だった。

 焦らすようなことなんて私はしないよ。

 すぐに応じたよ。


「どうしたんだい? 何か問題でも?」

「ううん、大丈夫。さっき電車を降りて、今歩いてるところ。もうすぐ着くよ。でもね……」

「でも?」

「……少しでも早く声を聞きたくて」

「なんだ、そんなことか」

「そんなこと、なんてひどーい」

「ハハっ。相変わらず君はかわいいな」

「もうっ!」


 かわいらしく頬を膨らませている彼女の顔が目に浮かんだから、こう言ってあげたんだ。


「怒った声もかわいいよ」

「……」

「ほんとに、怒った?」

「……」

「ごめん、謝るよ。ほんとに悪かった。許してくれないか?」

「……な~んてね? 怒ってなんかいないよ。あたしばっかりからかわれるから、ちょっとは仕返ししようと思っただけだよ?」

「なんだ、心配させないでくれよ。君に振られてしまったら、私は生きていけないよ」

「ヴァンパイアって不死なんじゃないの?」

「肉体的にはそうだけど、精神はそうでもないのだよ」

「そうなんだ?」

「うむ。だから、私のことを捨てないでほしい」

「うん。こちらこそ、お願いします」


 私と彼女の会話はいつもこんな感じだった。

 相性は疑うことなく最高だった。



 電話で話しながら歩いてくる彼女の姿がやっと見えてきた。

 赤信号の灯る横断歩道の先。

 かわいらしく手を振ってくれていたよ。

 そこで、私たちは電話を切ったんだ。

 そして、信号が青に変わった。

 あのままずっと信号が赤のままだったら良かったのに、と今は思う。


 彼女は笑みがあふれるのがこらえられないという感じで歩を進める。

 大勢の人に囲まれていても、はっきりと居場所が分かるほどその笑顔は輝いていた。

 彼女が一歩近づくたびに、私の心臓はドクン、ドクンと、高鳴る。


 やっと、横断歩道を渡り終えた彼女。

 私のほんの数メートル先に立っていた。


 そう、立っていたんだ。

 私はすぐにでも彼女を抱き締めたくてたまらないのに、彼女は近付いてきてくれない。


「どう、したんだい?」


 問いに彼女は応えない。

 代わりにスマホを操作する。

 私のスマホに着信があった。彼女からだ。


「ありえない」


 先ほどまでと打って変わって、彼女の声は冷たかった。

 私はすっかり混乱してしまった。


「どうしたんだい?」


 自分で間抜けだと思いながらも、同じ質問は私は繰り返した。


「自分で分からないの?」

「あぁ、情けないことに分からないな」

「そう、なら、私たちの関係はこれまでね」

「……っ。待て、待ってくれ。何で突然そんなことを言うんだい?」

「はぁ。はっきり言うわね? ……あなた臭いのよ、ほんとにありえないぐらい」

「臭い?」

「そう、臭い。昼に何食べたの?」

「……昼はラーメンを食べた」

「ニンニク入れたでしょ?」

「……入れた」

「何で私とのデート前に、ニンニク食べるかなぁ?」

「だって、好きだから」

「ヴァンパイアのくせにニンニクが好きってありえない」

「なっ? ヴァンパイアがニンニクが苦手というのは迷信なんだ。信じてくれ」

「どうでもいい。じゃ、さよなら」


 彼女との会話はそれが最後だった。


             □  ■  □

 

「分かってくれたか? 私がこの日に憂鬱になる理由が」


 長い回想が終わったらしい。

 僕は既にビールを3杯飲み、セットの料理もすべて食べ終えていた。

 ついでに会計まで済ませていた。

 帰る準備は万端。

 けど、最後にもう少しぐらい愚痴を聞いてやるか。


「ええ、分かりました。十分に分かりましたよ。でも、数メートル離れても臭うって、どんだけニンニク食べたんですか?」

「二つだな」

「二つって欠片で?」

「いや、まるごと二つだ」

「……何でそんなに食べたんですか? デート前じゃなくてもありえないですよ」

「だって、2月29日だぞ?」

「だから?」

「だから、2月29日はニンニクの日じゃないか? 4年に一度しかないんだぞ?」


 ……


「大将、また来ます」


 カウンターの奥で苦笑している大将に告げ、僕は席を立った。


「4年に一度だぞっ!?」


 自称ヴァンパイアは、僕が店を出るまで何度もそう繰り返していた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] あらすじから二月二九日の理由を推察して、その設定の付け方に笑いました。 生き生きしてるヴァンパイアが素敵で、過去語りのあとにもう一度笑ってしまいました。 上手に予想を超えられました
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