七話「誰だって怪我はする」
コートの下から覗く左足は、何もない時と変わらず、紺色のズボンを穿いている。しかし、右足は紺色のズボンは見えず、白い包帯を巻き付けた状態だ。両足ともが包帯であったなら逆に気がつきづらかったかもしれないが、それぞれの足の状態が違っていたため、異変に気づきやすかった。
異変に気づいた私は、ジェネの瞳を見つめて問う。
「……何かあったの?」
するとジェネは、特に顔を動かすことはしないまま、「今日は丁寧語じゃないんだ」と返してきた。
問いの答えになっていない。
ただ、それによって丁寧語でないことを思い出した私は、彼の顔色を窺いながら「まずかったかしら」と言ってみる。
それに対し彼は、首を左右に動かして「気にしなくていいよ」と述べた。
「で、足のことだけど、これはただ少し怪我しただけだから。気にしないで」
「怪我……貴方も怪我なんてするのね」
幻想的な空気をまとっているジェネには、「怪我」なんて言葉は似合わない。
「おかしなことを言うね。誰だって怪我はするよ」
ジェネは呆れたように微笑する。
それから、少し空けて。
「ところでマリエ。話したいことというのは何なんだい」
ジェネはそう尋ねてきた。
自ら聞いてきてくれたということは、私の話に多少は関心を持ってくれているということ。そう思うと、何だかとても嬉しかった。
「聞いてくれるの?」
「先に、ね」
「先に……まぁいいわ。聞いてもらえるなら嬉しいもの!」
それから私は、ジェネに、カイとその結婚相手がどんな目に遭ったかを話した。そう、白蛇に掻き乱された件についてである。
その話を聞いたジェネは、少し楽しげに、ふふ、と笑う。
しかし、その時はまだ、彼の笑いの意味を私は知らなかった。
「それさ、僕だよ」
紅の瞳でこちらを見つめながら、ジェネはそう言った。
彼の発言を、私は、すぐには理解できず。暫し戸惑う外なくて。驚くほど深い戸惑いの海の中、私は彼を見つめ返す。
「どういうこと……? あの白い蛇、ジェネが飼っている蛇だったの……?」
「ううん、そうじゃなくて。僕がそれだってことだよ」
ジェネは何事もなかったかのようにさらりと述べる。
それは、ジェネがカイの結婚相手の女性を襲った白蛇だ、という意味の言葉で。だからなおさら、すぐには理解できなかった。
「そんなことあるわけがないわ。だって、ジェネは人間で——」
「人間になっているだけ、だよ」
「嘘よ! そんなこと!」
彼の言葉がまったく理解できず、つい調子を強めてしまう。
しかしジェネは、眉さえ動かしはない。
「嘘じゃない。本当のことだよ」
「……そうなの?」
「何ならここで変わって見せてもいいよ」
ジェネの表情は真剣で、しかしながら、どことなく余裕が感じられた。それは多分、発言が真実だからだろう。もし嘘をついているのなら、真剣な表情は作ることができたとしても、余裕を漂わせることは難しいはずだ。
「……嘘じゃなさそうね」
「信じてもらえた?」
「えぇ。けど、せっかくだから変わるところを見てみたいわ。私、不思議なことには興味があるの」
人の姿から蛇の姿に変わるなんて、もう立派な魔法だ。元々魔法関連に関心があった私としては、可能なら、実際に見てみたいところである。
するとジェネは「いいよ」と言った。
直後、ポン! と可愛らしい音がして、彼の姿が私の視界から外れる。
「え……」
「僕はここだよ」
声がして視線を下げると、岩場に白い蛇が一匹這っていた。
「蛇!」
「どう? これで本当に信じてもらえたかな」
人の姿から蛇の姿へ。
こんな奇跡、現実のものとはとても思えない。
でも、本当に起こった。私の目の前で、本当に。噂で聞いたのなら信じられなかっただろうが、この目で見てしまった以上信じないわけにはいかない。
「凄い! 凄いわ、ジェネ!」
書斎にあった魔法に関する本では、いろんな奇跡を読んできた。
植物の成長速度が二倍になる。様々なものに姿を変える。何もない空間から火を生み出す。人が負っている傷の痛みを消し去る。
本には、これまでに起こったと言われている奇跡が、本当に色々載っていた。
けれど、真に信じることはできていなかった。関心があり、好きであっても信じきれなかったのは、実際に奇跡が起こるところを見たことがなかったから。
でもそれは、今、一瞬にしてひっくり返された。
「ジェネ! 貴方魔法使いだったのね!」
白い蛇は岩場をするすると移動して見せながら返してくる。
「いやいや。魔法使いじゃなくて、蛇だよ」
魔法使いではなく蛇。
なんて夢のない。
「けど変身できるじゃない! もう魔法使いだわ!」
「僕が変化できるのはべつに魔法じゃない。ただの、代々受け継いでいる力」
「そうなの?」
「うん。そうだよ」
その数秒後、今度は岩場を這っていた白蛇が消え、人の姿のジェネが現れた。