五話「それが真実」
なぜ。どうして。
理解できない。
私は何もしていないのよ。カイに嫌われるようなことをした覚えはないの。
カイが婚約取り消しをしたのは、私がやらかしたからではないの。
そんな思いを胸に秘めながら、私は父親と共に、エッカルト家のある街へ向かった。
まだ朝だというのに、街は既にお祭り騒ぎ。人々は慌ただしく行き交っている。
だが、当然と言えば当然だ。
この地区を治めるエッカルト家の息子カイが結婚するのだから。
本当なら、私は、このお祭り騒ぎの中心にいるはずだった。街を行き交う人々と同じように、慌ただしくも希望に満ちた時間を過ごしているはずだったのだ。
それなのに、今の私は……こんなにも惨め。
カイの妻になるはずだった人間が、一瞬にして部外者になってしまうなんて。こんな残念なこと、そう多くはないだろう。
そんな暗い心持ちだからか、今は何もかもが薄汚れて見えてしまう。
広場に設置されている舞台も、民家の屋根から屋根にかけて吊るされている紙の飾りも、綺麗だとは思えない。また、それらを見ても、楽しい気分にはなれなかった。楽しげだな、と、少し思いはしたけれど。
エッカルト家の屋敷——カイの家へ着いた時、私は見てしまった。
カイが女性といるところを。
屋敷の横の細い路地に、さりげなく、カイと女性がいて。しかも、親しげに身を寄せ合っている。
それはまるで、仲良しなところを私に見せつけているかのよう。
「見て、父さん」
私のすぐ隣にいるにもかかわらず、父親はカイと女性に気づいていないようだった。だから私は、小さな声で父親に向かって言葉を発する。
「何だと?」
「あそこ。カイが女性といるわ」
父親は、戸惑った顔で、私が示した方へ視線を向ける。
そして、目を見開いた。
「な……! 女と……!」
片手で白い頭を掻きながら、顔を強張らせる父親。彼は今、かなり動揺しているようだ。カイが私とは別の女性といるところなど、欠片も想像していなかったからだろう。
そんな父親とは対照的に、私は平静を保つことができた。
今、私の脳内は、快晴の空のように澄み渡っている。
正直、自分でも意外だったけれど。
「ほらね」
「なっ……ということは、お前の話は本当のことだったのか……?」
「そうよ。嘘なんかつかないわ。だって、そんなことをする意味がないもの」
父親も、さすがにこれで分かっただろう。
「そ、そんな……」
がっくりと肩を落とす父親。
そんな彼に、私は告げる。
「もう帰りましょ。あんなの、見る価値がないわ」
こうして、婚約取り消しが私のせいでないと父親に伝わったところで、カイの家を後にし——かけた、その時。
「キャアアアッ!!」
突如、悲鳴が響いた。
驚いて振り返ると、カイと身を寄せ合っていた女性に、腕ほどの太さの白いものが絡んでいるのが見えた。
最初は縄か何かでのいたずらかと思ったのだが、目を凝らしてよく見てみると、その白いものは動いていて。女性の体に絡みついたまま、ぬるぬると滑らかに移動している。
「ちょっとぉ! もぉ! どうして蛇なんかいるのよぉぉぉ!!」
それまでは大人しい令嬢のように振る舞っていた女性は、急に声を荒らげる。
……それにしても、白いものは蛇だったのか。
「ルイナ、お、落ち着くんだ……!」
「カイ! いいから早く、取りなさいよぉぉぉ!」
「な……」
カイがルイナと呼んだ女性は、桜色のドレスをまとった身を豪快に左右に振りながら、乱暴な言葉を放つ。
そんな彼女を目にし、カイは驚いたような顔をしている。
「君は病弱なんじゃなかったのか……?」
「うっさい! いいから早く取りなさいよぉぉぉ!」
結局、彼女が病弱というのは嘘だったのか。
カイはそれにまんまと騙され、私を手放した。
私は日頃は他人の不幸を喜ぶような質ではない。天使のように善良というわけでもないが、他人の不幸を望む悪魔ではないのだ。
……だが、今だけは思う。
いい気味!
「マリエ、信じてやれなくてすまなかった」
「いいのよ、父さん。分かってくれれば、それで十分だわ」
「あんな男に可愛い娘を渡さなくて良かった。今はそう思うよ」
こうして私は、父親と二人、村へと帰った。
カイに婚約を取り消しされてからずっと雲に覆われていた胸の内は、今は、ほんの少し晴れている。
ただ、ふと気になったことがある。
それは「あんなところに白蛇が現れるなんて変だな」ということだ。
私はカイの家へよく遊びに行っていたが、白蛇を見かけたことはない。いや、白蛇どころか、蛇さえ見たことがないのだ。
だから、あの辺りに蛇なんているわけがないのだが……。