表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/17

四話「夜が明けたら」

「マリエ。夜が明けたら、すぐに家へ帰るんだ」


 甘い香りがするファヌシーベリーの汁がかかった葉を口へ運んでいると、ジェネが真剣な眼差しを向けてきた。魂が燃えているような瞳が、こちらをじっと捉えている。


 彼の言う通り、いずれは家へ帰らなくてはならない。


 でも、今はまだ帰りたくない。

 家へ帰れば、きっとカイとの話が出るだろう。だから、帰りたくないのだ。現実に戻るのは嫌だ。


「……帰りたくありません」

「駄目だよ。家族が心配する」

「それでも、帰りたくないんです。もう悲しい現実に戻りたくないんです……」


 すると、ジェネはきっぱり述べる。


「悲しみに向き合いたくないからといって、家族を悲しませるようなことをしたらいけないよ」


 分かっている。

 そんなことは分かっている。


 でも、嫌なのだ。


 現実から目を背け続けることに意味などない。現実逃避し続けても、何一つとして好転はしない。

 それは分かっているけれど。


「マリエ、君には勇気がある。あの崖から飛び降りることを躊躇わなかったくらいだから、常人を超越した勇気があるよ」


 ジェネはそう言った。

 その言葉は、私を確かに励ましてくれた。


「そんな君なら、悲しみくらい乗り越えられる」

「……本当、に?」


 私は彼に不安に満ちた視線を送る。すると彼は、ほんの僅かに口角を持ち上げた。


「もちろん。本当だよ」



 数秒後、気づけば私は、住んでいるミジーズ村の入り口付近に立っていた。


 既に夜が明けたらしく、空は明るくなりつつある。夜の名残の紫に日の光の暖色が混じり、絵画のような空が生まれていた。もしかしたら、今日の空が、生まれてから見た空の中で最も綺麗かもしれない。


 とはいえ、いきなりミジーズ村に帰ってきていたのは不思議な現象だ。何がどうなったのか、まずはジェネに聞きたいところ——だが、周囲を見回しても、もう彼の姿はなかった。


 私は一度深呼吸をして、心を落ち着かせてから、村の中へと足を踏み出すのだった。


「ねぇねぇ聞いた? ルルーナのお嬢さん、エッカルトの息子さんにふられたらしいわよ!」

「聞いた聞いたー。やっぱりーって感じだわー」

「こう言っちゃいかんかもしれんけど、あーんな田舎者がエッカルトに嫁げるわけないやんね」


 まだ早朝だというのに村には人がいて、しかも、私のことが井戸端会議の話題になっていた。ということは、婚約取り消しの件はここまで連絡が来ているのだろう。


 安心したような、悲しいような、複雑な気分。


「けど、取り消し料ガッポリ入るらしいわよ! ずるいわね!」

「えぇー。そんなのうちも欲しいわよー。うちだって、この前生まれた三つ子の孫の世話が大変なんだからー」

「こう言っちゃいかんかもしれんけど、あんな地味な娘じゃエッカルト家を守るんは無理やわね」


 失礼ね! あんな男、こちらからお断りよ!


 かっこよくそう言ってやりたいところだが、それはさすがに無理だった。私には、そこまでの勇気はない。


 しかし、私への嫌みを聞き続けるのも心が痛いので、速やかに家へ向かった。



「マリエ! 何があったんだ!」


 家へ帰るなり、父親からそう言われた。


 父親は青白い顔をしており、呼吸も乱れている。また、眉間には深いしわが刻まれていた。ここまで険しい顔をしている父親を、私は見たことがない。


 というのも、私の父親は基本優しいタイプなのだ。

 彼は、娘に向かってこんな言い方をする人ではない。


 恐らく、想定外のことが起こったことで混乱してしまっているのだろう。


「婚約を取り消されたらしいな!」

「そうなの……」


 私が帰ってこなかったことへの心配はないのね。

 正直、そこが一番ショックだった。


「確かカイくんと言ったか……お前は彼に、どんな無礼なことをしたんだ!?」

「私は何もしていないわ!」


 こればかりは声を大きくして返した。


 カイが私との婚約を取り消したのは、私が失敗したからではない。病弱だとかいう女が、カイをたぶらかしたからだ。


「何もしていないなら、なぜ婚約取り消しなど……」

「カイの心が変わったのよ。彼はそう言っていたわ」


 私は説明しようとするが、父親はちっとも聞こうとしてくれない。


「あり得ん! あの好青年が式前日に心変わりするなど、あり得ないことだ!」


 玄関先だというのに、父親は荒々しく叫ぶ。

 こんなやり取りが外に聞こえたら、村の女性たちにまた噂されることは間違いない。恥ずかしいとは思わないのだろうか。


「マリエ、今から謝罪しに行け」

「え!?」

「そして! もう一度お前が彼の妻となるのだ!」


 ……え、ちょ、何を言い出すの?


 それが今の私の本心だ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ