40話
「ようやったぞ! 長虎ぁ!!」
安吉と長虎は見事殿を務めあげ、長逸の陣へと戻った。
戻って来た長虎の姿を見て長逸は抱き付いた。
「おやめくださいお父上!」
そう声を上げる長虎も、恥ずかしさで困った表情を浮かべているがどこか嬉しそうだ。
羨ましい、とは思いたくない。
人をひがんだところで、父はおらぬし義父は自らの手で殺した。
「この血濡れた手で子育てなどできるのか」
安吉はそう呟いた。
そして、山の中腹から敵の陣容を見渡す。
「陸の戦は規模が違う」
安吉がそう呟くと、紀忠が横に立った。
「なんだ、怖気づいたのか?」
そう茶化す様に尋ねる紀忠だが、手が震えていた。
初陣から何度も戦を経験した彼でも、陸上の戦は慣れず、恐怖が付きまとった。
「『人を殺してる』という実感に襲われるな」
安吉はそう言って笑った。
海戦では人を殺しているという感覚を感じずらい。
白兵戦となれば別だが、基本的には遠距離からの射撃戦か、近づいて焙烙を投げ込む程度だ。
だが、陸戦は違う。
自らの命令で鉄砲を放たせれば目の前にいたはずのてきが次々に倒れていく。
実際やっていることはなにもかわらないのだが、
「慣れなんだろうな」
紀忠はそう呟いた。
慣れぬ陸戦に紅衆の者たちにも動揺が広がっている。
今までは命じられた船に照準を合わせればよかったのが、今は人そのものを狙わなければならない。
心理的負担は余りにも大きいだろう。
「命中率も下がっている」
「わざと外していると?」
安吉の言葉に紀忠は眉をひそめた。
「叱りつけるなよ。人間として当然の心理だ」
その言葉に紀忠はため息を吐いた。
「お人よしめ」
彼の言葉に安吉はクスリと笑うと「嫌か?」と笑った。
「もう、諦めてる」
紀忠はそう答えると笑った。
安吉もまた、彼の言葉にニイッと笑みを浮かべると笑い声をあげた。
奇しくも、この会話を聞いた紅衆たちは戦意が上がった。
完全無欠の上司というのは、好ましくない。
どこかに弱さを抱えていた方が部下としては忠誠心が沸き立つというのものだ。
普段は船の上で凛とする若武者にも、戦が恐ろしいという感情があることを知った紅衆たちは一層の忠誠を心に刻んだ。
1551年4月17日。
「かかれぇい!!」
その昼の正午、六角定頼による総攻撃が始まった。
山の南東から攻めあがる定頼は先鋒に精鋭である蒲生定秀隊を置き、その後続には定頼の嫡男である六角六角義賢が続いた。
「お主はいかぬのか」
定秀の戦いぶりを後ろから見つめながら、定頼は隣に立つ髭面の男にそう問いかけた。
「できることなら、たたかいたかなぁでございますれば」
そう言って不自然な敬語を使う男に定頼は眉をひそめた。
この男、鉄砲衆の大将として雇ったはいいが、どうも出自がハッキリしない。
「まぁよい」
定頼はそう答えると、戦況を見つめた。
定秀と義賢はよく戦っている。
だが、問題はほかのところにあった。
「公方様は何をしておられるのか?!」
その問いに馬廻り衆の一人が「後陣にて日和見されておられる様子」と答えた。
彼の言葉に定頼は歯ぎしりした。
5000の兵を持って来たと言っても戦に参加しなければ何の意味もない。
こちらはまだ20になったばかりの嫡男を前に出しているのだぞ。と心の中で怒声を上げる。
「大祝の隊はでてきたかな?」
ふと、髭面の男はそんな声を上げた。
その直後、山から銃声が響く。
「来た来た」
髭面の男はそう嬉しそうに声を上げると、馬を走らせた。
「おい! まて!」
定頼がそう声を上げるが男は聞くそぶりもない。
それどころか、彼に続いて100ほどの鉄砲衆が続いて行ってしまった。
「根来の者どもは軍律という物を知らんのか!!」
定頼は怒鳴り声を上げた。
「木でも岩でもいい! 敵を叩き返せ!」
その頃、長逸は最前線で指揮を執っていた。
高地に陣取っている場合には下手に弓や槍で攻撃するより岩や丸太を転がして敵を妨害する方が有効なこともある。
「一心不乱に戦え! 恐怖心を棄てろ!」
定頼が山道を抑えた。
向かって右側にはなだらかな斜面が続き、敵はそこからも迫る。
だが、左側には崖があり、敵が迫ることは出来ない。
「定頼殿ォ!」
直後、崖の上から声が響いた。
安吉の声であった。
「放て!!」
彼はそう鋭く命じると、下の敵勢に銃弾が降り注がれた。
突然ことに敵は動揺するかに見えたが、流石は蒲生定秀の隊であった。
「弓を射かけよ! 鉄砲など当たらぬ!」
彼の言葉通り、鉄砲の命中精度は低かった。
これは士気に起因するものではなく、陸戦特有のものであった。
「殿ォ! 熱が籠り精度が落ちておりまする!」
その言葉に安吉は内心舌打ちを打った。
船の上なら飲み水や最悪海水があり銃身を冷やすことが出来る。
そもそも、これほどの長期間休みなく鉄砲を実戦で使ったことはなかったが故の問題であった。
「弾込めはまだできるか?!」
安吉の言葉に紅衆の一人は「まだなんとか行けまする!」と答えた。
「どうする」
紀忠は安吉にそう尋ねた。
一旦退き、川で鉄砲を冷やすべきか。
だが、今の戦況は芳しくない。
ここで紅衆が戦線を離脱した結果、前線が崩壊したとなれば後味が悪い。
「飲み水を掛けろ!」
安吉は決死の判断でそう命じた。
飲み水を安易に消費させれば長期戦闘能力が損なわれる。
だが、いまこの均衡した戦況でここを離れるわけにはいかなかった。
「紀忠、飲み水を確保してきてくれ」
その言葉に、紀忠は「いいのか」と不安そうな表情で訪ねて来た。
安吉は紀忠にニイッと笑うと「あまり侮るなよ」と紀忠を小突いた。
彼の返答を聞いた紀忠は「解った」と答えると馬を走らせた。
「大丈夫だ、大丈夫だ」
安吉は自らに言い聞かせるようにそう呟いた。
「大祝の奴らは崖の上か」
その頃、髭面の男が安吉の軍勢を睨んでいた。
「根来の力。見せつけましょうぞ」
「あまり侮りすぎるなぁよ?」
男はそう笑うと、配下の鉄砲衆に前進を命じた。
射程に入ると停止を命じる。
大祝の紅衆とやらはまだ、こちらに気が付いていない。
「この戦で根来の鉄砲が高く売れるようになるとええんだがなあぁ」
男はそう呟くと、鉄砲を構える。
照準の先には、若武者。
大祝安吉がいた。
「大祝の鉄砲衆と根来の鉄砲衆。どちらが優れているのか、勝負と行こうではないか」
男はそう呟くと引き金を引いた。
それに呼応して配下の鉄砲衆たちも引き金を引く。
およそ100発の銃弾が、紅衆を襲おうとしていた。




