39話
「小春、紅衆を京へ向かわせるらしいじゃないか」
門右衛門に京行きを命じたその直後、安正が小春にそう声をかけた。
その言葉に小春は小さく微笑んだ。
「ご不満、ですか?」
「いや、勘が優れるなと。感心した」
彼の言葉に小春は目を見開いた。
すると安正は小春を横目に縁側から空を見上げた。
「鶴姫を知っているか」
「私を助けていただきました」
小春の返答に安正は「そうであったな」と懐かしそうにつぶやいた。
「俺もな、昔遊んでもらった。俺から見れば叔母上でな、何度も小早で外に連れ出して貰った」
安正は懐かしむように空をみつめる。
「だが、戦で死んだ。大内とのだ」
彼はそう言って小春に視線を向ける。
彼女が死んだのは8年前にあった大内との戦であった。
「そして、次の戦で貴様の夫である安吉殿が見事大内を追い払った。だがな」
安正はそう言って小春の肩を掴む。
「安舎様は腕を失い、多くの民を失った。街も燃えた。戦は嫌だ」
子供の様にそう言った。
わがままを言うなと一蹴するのは簡単だ。
だが、小春にはそんなことは出来なかった。
「この戦で、安吉殿が死ぬやもしれない。俺は嫌だ、嫌だ。もう一門の者が死ぬのは嫌だ」
彼はそう言って小春にすがった。
「俺にも役目をくれ、神主だからと指を咥えてみているのはもう結構だ」
安正の言葉に小春は困り果てた。
この大祝家では神主を戦場に出さないという前例があった。
それは、戦で当主を失うという事態を防ぐためで、容易く変えられるものではなかった。
だが、こうまでして縋られてはどうにかしてやりたくもなる。
「戦の心得はない! だが、祈ることは出来る!」
「ここで祈るのではダメなのですか?」
小春の問いに安正は首を振った。
「戦場で仕事を貰いたい」
その言葉に小春はため息を吐いた。
だが、脳裏に一つの可能性が浮かんだ。
「怒られる時は二人一緒に怒られましょう」
小春はそう言って微笑むと安正は表情をパアッと明るくさせた。
「では、門右衛門殿頼みますよ」
小春の言葉に門右衛門は困ったような表情を浮かべた。
「京で戦など起きておらぬことを願うばかりですな」
「杞憂であればよいのです」
まだ、京が定秀の軍勢に奇襲を受けたことは伝わっていない。
二人はそう言って苦笑いを浮かべると安正の方を見た。
「それにてしても良いのですか。前例のないことでございまするぞ」
その言葉に小春はクスリと笑うと、諦めたようにこう笑った。
「大の大人に泣き付かれては仕方ないでしょう」
「山に登れぇ!!」
京では長逸が先導して山に登っていた。
「殿ォ! 敵の追撃を受けておりまする!!」
必死になって山を登る長逸にそんな報告がもたらされた。
殿は長虎と安吉の700ばかり。
「信じるほかあるまい! 儂らは登るのだ!」
中腹に金閣寺を持つこの北山は幸いにして水脈を持ち、陣を引くには最適であった。
15000もの大軍を前にした長逸にはこれしかなかった。
山にこもり、味方の援軍が来るのを待つ。
それ以外に勝機を見いだせなかった。
「長虎……。安吉殿を死なせてはならぬぞ」
彼は祈るようにそう呟いた。
「なぜ我らが殿なのでしょうな!」
その頃、長虎は槍を振るいながらそう愚痴をこぼしていた。
周りの家臣たちはその声に笑い声をあげると「我らはそれほど信頼されておるのですよ!」と答える。
「長虎殿ォ! 退けぇい!!」
背後林から安吉の声が響く。
それを聞いて長虎は一目散に林の中に駆けこむ。
彼の姿を見た家臣たちも我先にと林の中へと潜り込んでいく。
一見すれば崩壊したように見える。
敵は好機が来たとばかりに林に突撃する。
だが、これは罠であった。
「鉄砲隊! 構え!」
安吉の声とともに160名の紅衆が立ち上がる。
「姿勢を低くせい!」
紅衆の前にいた長虎は家臣たちに向かってそう叫ぶ。
立ったままなら射線上におり、味方の誤射を受けるが、身を屈めればその可能性は限りなく低くなる。
「放てぇ!!」
安吉がそう声を上げると長虎の頭上を銃弾が駆け抜けていく。
「立てぇ!! 押し返すぞ!!」
長虎がそう叫び、槍を手に敵中に躍り出る。
突然のことに呆然とする敵をよそに長虎は先頭の足軽の首を掻っ切る。
彼の様を見た家臣たちも口々に歓声を上げ、林から飛び出す。
「首は討ち捨てろ!! 兎に角押し返すのだ!!」
長虎の声に家臣たちは「応!」と応じ、敵の首など気にせず次々に迫りくる敵を討ち果たしていく。
「退けぇ! 退けぇ!!」
敵の大将がそう声を上げて太鼓を打ち鳴らす。
それからは早い物であった。
敵は堰を切ったかのように崩壊した。
「追うな! 追うな!」
敵を追おうとする家臣たちに長虎は努めて冷静にそう声を上げる。
ここで、彼ら700程度の兵が敵を追撃すればどうなるか。
後ろに待ち構える15000の兵に蹂躙されるだけだ。
またとない好機ではあるが、引き際もまた大事であった。
「勝ち申したな」
「やりましたね!」
安吉は長虎に歩み寄るとそう笑った。
それに長虎もまた、年相応の笑みを浮かべる。
二人は拳を突き合わせると笑みを浮かべた。
「追撃にでた三雲隊2000が敗走致しました!」
その言葉に定頼は激昂した。
「独断専行の挙句、敗走とは何事だ!」
定頼の言葉に伝令は震えあがった。
将軍を奉じ、挙兵させたところまでは良かった。
だが、一部の家臣が油断し勝手に敵の追撃を始めたのだ。
「まぁまぁ。その辺にしてくだされ」
激昂する定頼を諫めたのは、ほかならぬ将軍。義輝であった。
「むぅ。公方様がそう仰せられるのなら」
定頼はそう答えると「行け!」と伝令を去らせた。
「しかし、どうするのじゃ」
義輝の問いに定頼は暫し悩んだ。
敵は良い場所を選んだ。
北山となれば金閣寺をはじめ寺舎も付近にあり、迂闊に戦場を広げられない。
「時は敵に味方しておりまする」
その言葉に義輝は頷く。
「陣を整え、一挙に攻め落とすが最善かと」
定頼の言葉に義輝は満足げに頷くと立ち上がった。
「三好め、今に喰い殺してやる」
彼の瞳はギラリと輝いていた。




