36話
「魚鱗の陣形を組め! 敵の数が解らぬ以上全方位を警戒するのだ!」
長逸は焦っていた。
というのも、敵の先鋒2000に長逸の軍勢7000が押されていたからである。
「蒲生定秀、これほどまでに優秀だとは……」
その原因は敵将の巧みな手腕にあった。
弓衆を前に出して射撃戦を行おうとすれば騎兵が突入して来る。
騎兵を前に出して迎撃しようとすれば瞬く間に敵の騎兵は退いていき、槍衾が待っている。
槍衆で接近戦に持ちこもうとすれば敵は退きながら弓を撃つ。
本来なら指揮系統に乱れが生じ、陣が崩れるはずなのにそれが無い。
「守りを固めよ!」
結果、数で勝るはずの長逸は守りに徹することになっていた。
幸い敵の後続はかなり遠くにいるようで、まだ勝負を急く必要はない。
「どうする……」
長逸は虎視眈々と敵の隙を狙っていた。
こちらが守りを固めたことで敵は攻めあぐね、射撃戦に徹している。
「京の御所より、150程の隊がこちらに向かっているそうです」
その頃、不可解か報告がもたらされた。
「御所だと?」
「はっ、近衛家の家紋も確認されておりまする」
兵の言葉に長逸は首をかしげる。
わずか150で何をするというのだろうか。
「……目的を聞いて来い」
長逸の命令に「承知」と答えると兵はそそくさとその場を去っていった。
恩を売る腹積もりなのだろうか。
「えぇい、何もわからぬ」
長逸は苛立ちと共にそう声を上げた。
「貴殿らの目的をおたずねしたい!」
御所から長逸の陣へ急行する安吉達の前に三好家の騎馬武者が立ちふさがった。
「近衛様のご命令で三好殿に援軍として参った次第!」
目の前の騎馬武者は動揺した。
それは何も、前久の指図で安吉が来たからだけではなかった。
「京の紅衆をすべて、連れてこられたのですか?!」
「如何にも!」
騎馬武者はそれを聞いて目を見開いた。
紅衆の精強さは彼ですら聞き及んでいた。
わずか20秒足らずて装填を終える鉄砲衆はこの日ノ本でも比類なき精強さである。
ただ鉄砲の扱いが上手いだけではなく、多少の剣術を身につけ、規律も整っている。
御所を警備するに足る精兵である。
「しかし、鎧も身につけずに……」
騎馬武者はそう言って安吉達に心配そうな表情を浮かべた。
彼らの装束はまさしく軽装というべきであった。
民草が着るような直垂姿は戦場に立つにはいささかの不安があるように見えた。
「構いませぬ、では案内してしていただけますか?」
そう尋ねた安吉に騎馬武者は苦笑いを浮かべながら「承知」と答えた。
「三好長逸である」
「大祝安吉でござる」
十数分後、安吉は長逸の陣に辿り付いた。
「紅衆160。これより長逸様の援護をさせていただきまする」
その言葉に長逸は動揺した。
「大祝のご当主がそのような……」
「長慶様の従叔父がそのようにご謙遜なされるな」
長逸の言葉に安吉はそうきっぱりと断った。
そして、跪くとこう続けた。
「今は、手駒として扱っていただきたく」
安吉の言葉を聞いて長逸は「承知致した」と答えると、安吉の方に手を添えた。
「貴殿ら紅衆はどのように使えばよい?」
彼の問いに安吉はニイッと笑うと、紅衆の一人を呼び寄せると火縄銃を受け取った。
それを長逸に差し出す。
長逸は困惑しながらもそれを受け取ると興味深そうに眺めた。
「これが、鉄砲か」
「如何にも、拙者ら160名は全員がこれを装備しておりまする」
それを聞いた長逸は「どう使うのだ?」と尋ねた。
安吉がニコリと微笑むとまた一人、手招きして鉄砲を構えさせた。
「こうか」
見よう見まねで長逸がマネをする。
「如何にも、引き金を引けば筒口から鉄球が飛び出す仕組みになっておりまする」
「ふむ、難しそうだな」
長逸はそう言って銃口を覗いた。
好奇心が旺盛な人間だと感心する安吉をよそに長逸は「それで、戦にはどう使う?」と尋ねた。
「3列の横陣を組みまする」
安吉はそう言って地面に転がっていた枝を3つ横に並べた。
「一番前の列が放つと、最後尾が最前列に出まする」
彼はそう言って最後尾の枝を前に繰り出した。
それを見て、長逸は声を上げた。
「なるほど。今度は前に出た列が撃ち、また最後尾の列が前に出るというわけだな?」
「如何にも」
それを聞いて長逸は「できるのか?」と真剣な表情で尋ねた。
合理的な戦術ではある。
だが、実行できるかとなれば別であろう。
戦の混乱の中、このような複雑な運動ができるのか。
「これしき出来ねば鉄砲は扱えませぬ」
「なるほど」
安吉の言葉を聞いて長逸はニイッと笑った。
「安吉殿、貴殿に500の槍隊と50の騎馬武者を預ける。蒲生定秀の右翼、崩してはもらえぬか?」
長逸の提案に安吉は驚いた。
まさか、兵を預けられるとは思っていなかったのだ。
「貴殿は新しい戦をしようとしているようだ。それをみせてほしい」
長逸の言葉に安吉は平伏した。
「承知。総じて700の兵で敵の右翼を叩き潰してみせましょう」
安吉はそう答えた。
「できるのか」
三好軍左翼に移動している道中、紀忠は安吉にそう尋ねた。
今まで海上で戦ってきた安吉に陸上の戦がどのようなものかを知っているはずがない。
それは、紀忠も同じであった。
700の兵を操るだけの知識があるのか。
「小春殿に大方のことは聞いている」
安吉はそう苦笑いを浮かべた。
それを聞いて紀忠は「なっ」と声を上げた。
「だが、断る訳にもいかないだろう?」
安吉はそれに困ったような表情で答えた。
天を見上げると彼はこう続けた。
「期待されすぎるのも困ったものだ」
「今度からは自重するのか?」
紀忠の問いに安吉はにやりと笑った。
結局、やることは変わらない。
「そんなわけないだろう。俺はやりたいことをやるだけだ」
大祝安吉の名を棄てて彼は一瞬、無邪気な少年のような笑みを浮かべた。




