32話
「兵を集めよ! 六角を討つ!」
そう判断した長慶の動きは早かった。
方々に参集の命を出し、予想される総兵力は5万を超えると見込まれた。
当然、十河一存ら一門衆や重臣たち。
そして近年従属した別所家や赤松家にもそのような手紙は届いた。
加えて、安宅家、河野家を筆頭に海賊衆にも軍勢に加わるように命令。
六角と同盟関係にある北畠を攻撃するように命じた。
当然、その中には安吉が不在の大祝家も含まれていた。
「安吉様不在の今、下手に兵は動かせぬ!」
「だからと言って長慶の命に背くと言うのか!」
「我らは三好の家臣ではなかろう!」
「しかし殿は三好の命令で倭寇討伐に向かわれたではないか!」
その書状が届くやいなや、大山祇神社は荒れた。
残った家臣たちが議論を交わす中、安吉の名代である安正は頭を抱えていた。
「安香よ、どう思う」
窮した安正は重臣の一人にすがるような目で問いかけた。
彼の名は安香基次。
大内家との戦いでは能島村上家の一員として安吉の元で戦った。
当時は関船1艘の長であったが、大祝家では風鳴丸や海鳴丸の運用管理を任されていた。
その2隻は現在、堺と大三島を結んでおり公家たちが乗ることもあり、彼の働きは大変大事な役職であった。
「殿が、長慶殿の命令で動いておられる以上。我らは長慶殿の命令を聞く必要がありましょうなぁ」
基次の言葉は冷静であった。
だが、安吉から了承もなく安正が兵を動かす。というのもまた問題がある。
「海鳴丸と風鳴丸は無断で動かせませぬ」
形式上、両船の運行は安吉が決定していることになっている。
基次が細事を決定し、安吉が了承するという形での運用であるが、戦に使うとなればその手順を踏まなければならない。
「しかし、それ以外にまともな兵などなかろう」
安正はそう言ってため息を吐いた。
「手元にあるのは340ばかりの紅衆にございますか」
「そう、なるな」
500の紅衆から京都に展開する100を除き、さらにそこから60名の台湾遠征組を除いた数であった。
能島村上家などがそれ以上の兵を出すことが予想される中、大祝家だけが小勢では嗤われてしまう。
それでは安吉の威厳に傷がつく。
「何を騒いでおられるのですか?」
そこへ、松丸を抱きかかえた小春が現れた。
彼女の登場に家臣たちは驚き、今まで激しく口論を交わしていた者たちも静まり返った。
「三好から、派兵の要請が」
基次がそう言って手紙を差し出すと小春は「松丸を抱いているので、読めませぬよ」と微笑んだ。
それを聞いて基次は「これは失敬」と笑った。
「長慶様からの派兵要請ですか……」
小春はそう言って思案するとこう答えた。
「送ってしまえばよろしいかと」
彼女の言葉に基次と安正は驚いた。
送る兵が無いことは彼女が一番承知しているだろうに。
「いるではないですか、最近戦がなく暇をしておられる方が」
その言葉に基次はハッとした。
「来島殿ですか」
「旦那様とは血縁者ですし。兵力もそれなりに」
基次は感心した。
女子だと侮っていた節があったかもしれない。
「安正様、よろしいですか?」
小春の問いに安正は「任せる」と答えた。
2日後、来島から通康が大三島を訪れた。
安正は当主代理として通康に2000の兵を率いて京へ向かい、三好の六角攻めに参加するように命じた。
「通康殿、少しよろしいですか?」
安正から命を受けた通康が港へ戻ろうとうすると小春に呼び止められた。
「構いませぬが」
「こちらへ」
通康の返答を聞いて小春は微笑むと、ある一室に彼を通した。
そこは、安吉の自室であった。
怪訝そうな表情を浮かべる通康に小春はこう問うた。
「不服ですか?」
彼女の見透かすような瞳に、通康は一瞬言葉を詰まらせたものの、すぐに答える。
「なぜ、そう思われた?」
「通康殿は本来、我らを肩を並べられる家格故」
小春の言葉を聞いて通康はうつむいた。
本来彼は大祝家に臣従するような家柄ではない。
本来は対等な同盟者としてあるべき関係なのだ。
「不満があるのでは、と」
そう言った小春に通康はため息を吐いた。
「不満がない。と言えば嘘になりまする」
通康の言葉に小春はドキリとした。
彼の兵力は全力を出せば3000程だろう。
対して大祝家と言えば紅衆500に帆船の水夫衆と砲兵をあわせて1500程度。
総じて2000しかならない。
そう、大祝家は来島村上家に兵力の面で劣っているのだ。
「しかしですなぁ」
通康はそう言うと天井を見上げて、こう小春に答えた。
「殿は我らよりも秀でておられる」
「…………」
彼の言葉を、小春は静かに聞いていた。
「南蛮の船を超える帆船を次々にお造りになられる」
通康は安吉に対して聊かの恐怖の感情を抱いていた。
南蛮や明はこの日ノ本に比べて進んでいると聞いていた。
だがどうだ。大三島には南蛮の船よりもよっぽど優れた船がいる。
「拙者も殿の恩恵を授かりたく」
通康はそう言って平伏した。
それを見て小春は慌てた。
「私などに頭を下げないでください」
「殿を、支えておられるのは小春様であるときいております故」
通康は毅然とした態度でそう答えると、小春の目を見つめた。
「安正様に下知されるのは気に食わぬが、小春様の下知は殿の下知と同じく思いたく」
海賊衆の矜持、という物であろうか。
自らが認めた者以外の下知を受けたくないという思いがそこにあった。
今まで神主として本殿の奥でひっそりと暮らしていた安正如きに下知をされるのではなく。
安吉を最も近くで支えてきた小春に下知を受けたい。
そんな感情があった。
「……承知致しました」
小春は暫し逡巡した後、そう答える。
「村上通康。兵2000を率いて三好の六角攻めに参陣せよ!」
彼女の声は芯が通り、はっきりとしていた。
清々しい下知に通康は「応!!」と力強く答えると立ち上がった。
そして去り際小春にこう笑った。
「女子のくせに」
それに小春はニイッと笑うとこう答える。
「家臣のくせに」
すると二人は声を上げて笑った。
それから数日としないうちに村上通康は軍勢をまとめると京へ向かって発った。




