27話
「船長! せめて小太刀くらいはお持ちくだされ!」
翌朝、権兵衛は慌てた様子で安吉に追いすがっていた。
「漁民は普通小太刀など持たぬであろう」
「しかし!」
それでも武器を持たせようとする権兵衛を安吉は振り払った。
身なりもいつの間にか見るからに貧しそうな格好に変わっていた。
「食料が尽きる前に琉球に戻れ」
安吉の言葉に権兵衛は言葉を詰まらせた。
この船に残っている食料は琉球で積んだ2週間分の食料と元から積んでいた分の残り。
総じて3週間ほどだ。
「それまでに戻ってきてくださると信じておりまする」
権兵衛の言葉に安吉は「さぁな」と笑った。
それだけは保証することは出来なかった。
「任せたぞ」
安吉はそれだけ伝えると端艇に乗り込んだ。
もうすでにそこには2名の水夫が乗っており、彼らは安吉と共に行動する。
さらに、魚の干物を1箱積んでいる。
「いいか、我らは琉球から来た漢人だ」
その言葉に水夫の二人は頷く。
先ずは中国人の漁師として宜蘭に潜り込む。
その後は場当たり的に行ける。
「船長! こちらで顔を覆われませ!」
権兵衛はそう言って黒色の布を投げて来た。
「ありがとう!」
すでに安吉の顔は向こう側に割れている可能性もあった。
安吉はその布で顔を覆うと「降下ぁ!」と命じた。
「你是谁(誰だ)!」
端艇でゆっくりと宜蘭に近づくと1艘の漁船が近づいてきた。
「我是渔夫(俺は漁師だ)!」
安吉が流暢な中国語で答える。
水夫たちはそれを聞いて驚いた。
「你来自何方(どこから来たのだ)」
「从与那国岛来(与那国島からきた)!」
安吉の言葉を聞いて漁師は何やら後ろの人間と会話を交わすと手招きして来た。
「跟着我(来い)」
猟師がそう言って船を進めていった。
それを見て勝利を確信した安吉は顎をクイッと動かして前進を命じる。
日中に船が見えないとでは思っていたが、どうやら早朝にかけて漁をしていたようだ。
「那艘大船是什么(あの大きな船は何だ)?」
「好像是倭人船(日本の船らしい)」
安吉の問いに両氏はそう答えた。
どうやら、船団の情報は回っているようだ。
「与倭寇不同吗(倭寇とは違うのか)?」
「好像不一样(違うらしい)」
詳細な情報は回って無いらしい。
「我知道了(成る程ねぇ)」
つとめて、興味がないようにふるまう。
まだ、宜蘭に上陸していないのだ。
下手に疑われては困る。
船を進めていくと砂浜に辿り付いた。
「在这里卸下行李(ここで荷物を降ろせ)」
「明白了、船该怎么办(解った、船はどうするんだ)?」
安吉の問いに漁師は「我把它藏在北港(北の港に隠しておく)」と答えた。
やはり、船は隠しているらしい。
「记下来(降ろせ)!」
そう言って水夫に手で指示を出す。
彼らは上手く察してくれたようで、端艇から木箱を降ろす。
「进行(乗れ)」
猟師はそう言って馬車の荷台に魚の入った網を投げ入れると飛び乗った。
安吉達もそれに続いて木箱を荷台に乗せると飛び乗った。
「它有利可图吗(儲かるのか)?」
安吉の問いに漁師は手を振って笑った。
「我没有利润(全く儲からないよ)」
「来这里失败吗(ここに来たのは失敗かな)?」
「有可能(失敗かもな)」
猟師の言葉に安吉は額に手を添えて愛想のよい笑みを浮かべる。
まさか目の前の人間が武士だとは誰も思わないだろう。
暫く馬車に乗ると、市場に辿り付いた。
「我应该在哪里卖(どこで売ればいいかな)?」
その問いに漁師は難しい表情を浮かべて何も答えなかった。
不穏な空気がその場を包む。
市場を通り過ぎ、農村部に出ると漁師は口を開いた。
「随分と漢語が流暢なようだな」
「ッ!」
突然発せられた日本語に安吉は身構えた。
「首長に会いたいんだろう?」
その問いに安吉は頷く。
どうやら、敵ではないようだ。
「一般人が馬車を持っているはずないだろう」
猟師はそう言ってケラケラと笑った。
「なるほど」
安吉はそう言って唇をかみしめた。
確かに言われてみればそうだ。
市場に行く途中に馬車と1度でもすれ違っただろうか。
「それより、その暑苦しいのを外してくれ。こっちまで熱くなって来た」
そう言って笑う漁師に「失礼仕った」と安吉は笑うと顔を覆っていた黒い布を解いた。
「この宜蘭を攻めようって訳じゃないんだろ?」
猟師の問いに安吉は「それなら、もう焼いてるよ」と笑った。
それを聞いて漁師は目を丸くすと大きな声で笑った。
そして、こう続けた。
「故郷が焼かれるのは1度だけでいいからな」
その言葉に、安吉は何も答えることは出来なかった。
「武静様、お客静にございまする」
猟師にと共にたどり着いた場所は田んぼの中に立つ、豪勢な一件屋であった。
大山祇神社には遠く及ばないが、農村の首長が住む場所としては十分な建物であった。
「欢迎(歓迎する)」
白髪交じりの初老の男が出迎えと同時にそう伝える。
「抱歉突然来(突然来て申し訳ございません)」
安吉がそう答えると、初老の男はニコリと微笑むと奥へと行ってしまった。
「あれが、先代の村長。武静様だ」
先代、その言葉が引っかかった。
やはり、倭寇が人質に取っているのだろうか。
すると漁師の男はズカズカと中へと入っていくと、居間のような場所で腰を下ろした。
「それで、要件は?」
「まだ、名も聞いておりませぬ」
猟師の言葉に安吉はそう言って首を振った。
それを聞いて漁師は声を上げて笑うと、こう答えた。
「河野家が家臣、相田克治」
彼の言葉を聞いて安吉は固まった。
河野家から落ち延びた人間が此処に居るとは思っていなかったのだ。
「……大祝、安吉である」
安吉は、そう言葉を絞り出した。
それを聞いて克治は目を見開くと「そうか。大祝様であったか」と俯いた。
恐らくこの相田克治と安吉は刃を交えたわけではない。
だが、主家を滅ぼしたそもそもの原因は大祝家にあるのだ。
恨まれていてもおかしくなかった。
「盛者必衰の理、河野が滅びたのも。時の定めにございましょう」
克治の言葉に安吉は安堵した。
彼にかける言葉が無かったのだ。
謝ることもできず、ただ彼の言葉を聞き入るほかなかった。
「して、要件は?」
その問いに安吉はホッと一息つくと、表情を結んでこう答えた。
「ここに我ら大祝家の拠点を作りたい」
安吉の言葉を聞いて克治は眉をひそめた。
宣戦布告と取られてもおかしくない物言いだったが、下手にこじれさせるよりは真っ直ぐ行った方がいい。
「大祝家は南へ向かう、その為の中継拠点をこの宜蘭に築かせてほしい」
そう続けた安吉に、克治はキッパリとこう答えた。
「お断り申す」




