26話
「紀忠、お前も来たのか」
島風から降ろされた端艇に紀忠が乗っていたのを見て安吉は笑みを浮かべた。
「俺が来ないとでも思ったのか?」
「いや、来ると思っていたよ」
二人で顔を見合わせると声を上げて笑った。
良い家臣をもったものだ。
紀忠は、安吉に付いて前線に赴く。
対照的に門右衛門は船に残り船団をまとめてくれている。
「連れて来たのがお前らで良かったよ」
安吉は思わずそんなことを口走っていた。
それを聞いて紀忠は得意げな笑みを浮かべると照れくさそう頭を掻いた。
「貞道もいればよかったんだがな」
安吉はそう言って同年代の男を思い浮かべた。
「……能島で頑張っているさ」
「あぁ、優秀だからな」
二人はそう言って空を見上げた。
「ゆっくりだ! 砂浜にゆっくり乗り上げるぞ!」
12艘の端艇が砂浜にゆっくりと近づいていく。
1艘に5名の紅衆と10名の水夫が乗り込み、紅衆たちは臨戦態勢をとる。
「火縄に火を入れろ。戦になるかもしれない」
紀忠は静かにそう命じた。
あまりにも不自然であった。
町に近づいているというのに人っ子一人出てきやしない。
伏兵がいる恐れがある。
「櫂あげ」
安吉が命じると水夫たちが漕ぐのをやめ、櫂先を水面から持ち上げる。
その直後、船が揺れる。
ズズズズと引きずるような音とともに船は止まった。
「上陸!」
安吉がそう叫ぶと紅衆たちが火縄銃を抱えたまま小早から飛び降りていく。
彼らが下りていくと今度は安吉が飛び降りる。
「船ごとに隊を形成し、端艇ごとに組を編成する!」
5人1組でそれが4つで隊を形成する。
これで20人となり戦闘単位とする。
「春風隊はここに待機! 端艇を警備せよ」
「応!」
20名をこの砂浜に残す。
こういうとき最も警戒しなければならないのは、ボートを敵に押さえられることだ。
ボートを失えば我々は孤立無援になる。
「神風、島風隊は続け!」
安吉がそう言って太刀を引き抜き、前に進もうとした瞬間、一本の弓矢が頬をかすめた。
「トマレ!!」
それと同時に少年の声が響いた。
一斉に紅衆が火縄銃を構え、安吉の周りを囲む。
紀忠も冷静な表情ではあるが、太刀を抜き今にでも斬りかからん勢いであった。
「日ノ本言葉が喋れるのか!」
「カエレ!」
安吉の言葉に少年の声はそう答えるだけであった。
どうやら、何処かに隠れて矢を放ったようだ。
「首長と話がしたい!」
その言葉への返答はすぐには帰ってこなかった。
暫くすると「首長ハ、イナイ!」と先程よりも怒気の籠った声が帰って来た。
「……どうするんだ」
紀忠は安吉を睨んだ。
紅衆60と水夫120名もいれば、この村くらいは制圧できるかもしれないが。
「いや、対話で行こう」
「優しすぎるな」
紀忠はそう言ってため息を吐くと太刀を鞘に戻した。
そして紅衆たちに火縄の火を消すように命じる。
「オマエラニ、ワタス物ハモウ無イ!」
少年の言葉に安吉は首を傾げた。
その物言いだと、一度でも物品を要求したことがあるような物言いであった。
もしかすると……。
「紀忠、当りだ」
「あ?」
安吉の言葉に紀忠は眉をひそめた。
「この村は倭寇に搾取されている」
その言葉に紀忠は「なるほど」と納得したような表情をしていた。
この時期の倭寇は2種類いる。
一つが日本国内に入ってくるような私貿易団たる倭寇。
これは母体が商人であるが故に、穏健な連中である。
もう一つが古来より続く、海賊たる倭寇。
彼らは貿易船を襲いそれにより財を成す。
そして、大抵の場合根拠地を持っており、その近くにある村々から農作物などを奪っていく。
「恩を売るいい機会だ」
「全く持ってそうだな」
これで、方針が定まった。
あとは情報だけが足りない。
「我らは、日ノ本の将軍より倭寇討伐の任を仰せつかった! 何か情報は知らぬか!」
安吉の声に少年はすぐさま「知ラナイ!」と答えた。
それを聞いて紀忠は眉をひそめた。
何かを口走りそうになっていたが、安吉は慌ててその口をふさいだ。
そして、海に向かい直すと紅衆たちにこう命じた。
「よし、一旦帰るぞ」
これ以上問答したってしょうがない。
安吉の言葉に水夫たちは安堵したような表情を浮かべる。
それとは対照的に紀忠や紅衆の面々は不満そうな表情であった。
「一体どういうことだ!」
神風に戻った紀忠はそう怒鳴り声をあげた。
今にも安吉に掴みかからんばかりの勢いだ。
「あれ以上は無駄だ」
「無理やりにでも口を割らせればいいだろう!」
その言葉に安吉は珍しく怒鳴った。
「この村は今後の拠点になるかもしれないんだ! そんなことできるか!」
安吉の言葉に紀忠は言葉を詰まらせた。
そして「悪かった」と吐き捨てると甲板上に座り込んだ。
「どうするんだ」
紀忠の問いに安吉は「俺も悪かったよ」と答えると向かい合うように腰を下ろした。
「普通なら、俺たちに情報を渡す」
「あぁ、そう思う」
紀忠はそう言って頷いた。
倭寇に搾取され、困っているのならこちらに情報を渡すはずであった。
「だが、そうしなかった」
「なぜだ?」
思慮の回らない紀忠に安吉はため息を吐くとこう答えた。
「首長を人質に取られているんじゃぁないか」
その言葉を聞いて紀忠は「まさか」と笑った。
首長なんぞを人質に取れば地元の者たちは狂ったように取り返しに来るだろう。
それを安吉に言うと安吉は苦笑いを浮かべた。
「瀬戸内や日ノ本ならそうだろうな」
恐ろしいことに百姓でも太刀を持っているような国だ。
確かに日本ならそうなるだろう。
「だが、ここは台湾だ。しかも矢を見たか?」
安吉の言葉に紀忠は首を傾げた。
「竹を削って先端を焼いただけだよ」
その言葉に紀忠は唸った。
矢羽根も無造作に細い蔦で結ばれただけで、よくもまぁ放てたものだと感心するほどひどい出来であった。
「俺たちとの接触が露見すると人質が殺されるかもしれない、ってことかよ」
紀忠はそう言って頭を抱えた。
情報が無ければ敵がどこにいるのかを知ることは出来ない。
だが、このまま指を咥えている訳にもいかなかった。
南への航海の中継点としてこの宜蘭は最適であった。
どうにかしてここに補給拠点を作りたい。
「漁民に潜り込む」
安吉の言葉に紀忠は目を見開いた。
「露見すればタダではすまぬぞ」
「わざと、捕まればいい」
その言葉を聞いて紀忠は目を見開いた。
「まさか……」
「わざと見つかれば、いつかはここの責任者に会えるはずだ」
安吉の言葉を聞いて紀忠は笑い声を上げた。
「やっぱり、面白い」
そう言う紀忠に安吉は得意げな笑みを浮かべた。




