23話
大内、大友、三好。
それぞれの勢力が蠢く中、安吉の船団は台湾への航海を続けていた。
陸岸沿いに南下していくため、宮崎県南端にある都井岬までは自らの位置を見失うことはなかった。
だが、そこから先は話が変わる。
志布志湾を右舷側に見て、種子島までの70km間は初めて陸地が一切見えなくなる。
僅か30分間程度のことではあるが、大祝家海軍にとって陸が一切見えない状態での航海は初めてのことであった。
「船長、都井岬が見えなくなりました」
「そうか」
ちょうど陸が見えなくなったころ、権兵衛が安吉の居室を訪れた。
「島風、春風はついてきているか?」
安吉の問いに「等間隔を保ちながらついてきております」と権兵衛は答えた。
それを聞いてまずは一安心であった。
今後はこんな風に陸地が見えない航海が続く。
「現在の針路は?」
「東風がいささか強いため針路をやや東に取り200度としております」
懸命な判断であった。
本来取るべき針路は210度。しかし東風によって流されるために針路を変えた。
「太陽の方位が170度を超えたら知らせてくれ」
現在は10時頃。
あと2時間もすれば太陽が南中するだろう。
その時に大三島との時差を計算すれば現在の大まかな経度が解るはずだ。
それから1時間と暫くすると上へと呼ばれた。
「現在、太陽は172度です」
上に上がると乗組員の一人が安吉にそう告げた。
安吉は「了解」と答えると、コンパスと太陽の方位を見比べた。
刻々と太陽の方位は変化していき、もうすでに174度を刻んでいる。
「故郷は恋しくないか」
ふと、安吉は隣に立つ乗組員の一人にそう尋ねた。
すると彼は照れくさそうにこう笑った。
「へい、寂しいのですが。嫁に金を稼いで来いをせっつかれやして」
それを聞いて安吉は「なるほど」と笑みを浮かべた。
結局、未来も今も財布の紐を握っているのは妻と言う事だ。
「大丈夫だ。この航海が終われば目も眩むような給料を払ってやろう」
「きたいしておりやす」
そう言って二人で笑い声をあげた。
何かと初めてのこと尽くしのこの航海で部下たちは疲弊している。
こうして他愛もない雑談を交わし笑い合うのも大事だ。
そうこうしているうちに太陽の方位は180度。真南を指した。
「12時3分30秒か」
安吉はそう言って手元のクロノメータを見つめた。
いま、安吉がいる地点で太陽が南中したと言うことで12時正時であるとする。
安吉のもつ時計は大三島での時刻を指し示すため、その時差は3分30秒となる。
時差というのは15度で1時間発生するため、大三島との経度の差は52.5”となる。
そして大三島の経度が東経133度であるため、現在の経度は132°7.5”。
「概算もいいところだな」
安吉はそう言って自虐的に笑った。
この計算は余りにも概算的過ぎた。
そもそも、いつでも12時正時に南中するわけではない。
おおよそ年間を通して30分ほど前後にずれるものだ。
これだけで誤差は7.5°も発生する。
距離で言えばもの675km距離だ。
今回は事前の調査でなんとか南中が正時になるように航海日程を調整していたが、今後はこうもいかない。
今になってGPSの凄さを実感していた。
「だが、これは大きな一歩だ」
安吉はそう呟いた。
今まで陸岸を辿るか、今までの経験だけで走らなければいけなかった。
だが、この測位方法が確立されて行けば理論的な航海術を創り上げることが出来る。
いずれ、太平洋を横断することだって夢じゃない。
「上手く行きましたか?」
「あぁ、だがまだまだ誤差は大きい」
安吉はそう言って余裕ありげに笑った。
「まだまだ、実用には程遠いがな」
その言葉に二人で笑った。
その後、船団は種子島北端の喜志鹿崎を視認。
針路を180度として、種子島沿岸沿いを南下。
種子島の海賊が出撃し、迎撃する構えを見せたものの、三好の家紋を見るや否や退散。
4時間ほど南下すると種子島南端の竹崎を確認。
そこから針路を220度としさらに南進。
時刻は午後4時を示していた。
出港から3度目の夜を迎えようとしていた。
「ここから12時間、再度陸地が見えない」
ちょうど、日が沈むころに安吉は乗組員たちを束ねる士官たちを集めた。
現在、操船指揮は権兵衛が執っており、彼には事前に今後話すことを伝えていた。
「夜間航海で、見知らぬ土地である。何が言いたいかわかるか?」
安吉の問いに士官たちは息を呑んだ。
「乗組員たちが不安になり士気が低下する恐れがある。風紀が乱れるかもしれない」
すでに船内では賭け事が流行している。
それ自体が悪いことではないがそれがきっかけで船内不和や暴力事件に発展する恐れがある。
「ほかの船でも同じことであるが本船は旗艦である。本船が機能喪失すれば船団全体が危険にさらされる」
士官たちはその言葉をかたずをのんで聞いている。
「乗組員200名の内、150名は航海に関係がない人員なのはわかっているな?」
神風の定員は200名。
内、水夫が50名で残りが紅衆20名に砲兵120名。
加えて司厨や事務を執り行う者たちが乗っている。
「作業が無くとも騒ぎすぎないように厳命しろ。水夫から騒音被害の苦情が上がっている」
その言葉を伝えると砲兵士官が苦々しい表情を浮かべた。
航海に関係のない150名はおおよそ日中仕事をしている。
砲の手入れであったり、応急処置の訓練であったりする。
だが、水夫たちは違う。
24時間交代しながら運行に携わり睡眠時間も日中であったり、夕暮れ時であったりする。
そんな中、砲兵達が賭け事で騒いでいるのだ。
「よいか、船に乗った以上我らは家族だ。職種の違いで区別するな」
安吉はそう言って声音を低くした。
その言葉に士官たちが「おう!」と力強く答えた。
「今言ったばかりであろうが」
士官たちの大きな声に安吉は苦笑いを浮かべた。
去っていく士官たちの後姿を見て安吉はどこかで安堵していた。
水夫など気にせずともよろしい。
そんな意見が出かねなかった。
村上海賊では兵に比べると水夫の地位は低く、酷使されている。
だが、この大祝家では許さない。
皆が平等であり、平等に士官の統率下に置かれなければならない。
そして、士官を絶対的権限で船長は統率する。
「難しいものだな」
安吉は静かにそう呟いた。




