21話
「ならば水先案内をお願いしたい。もちろん、銭も払いましょう」
安吉の提案に鎮房は驚いた。
この豊後水道は水先案内を必要とするほど難しい海域ではない。
それに、その幅は余りにも広く通行する船に一々通行料を徴収することもできずにいた。
故に、彼の提案は予想外であった。
「タダで通せぬのでしょう。何やらご事情があると察しております」
安吉はそう言って頭を垂れた。
「ま、まぁそうでございますが」
わざわざ河野領が近い湯築沖まで出張って来たのだ。
何か内情があるに違いなかった。
「まさか、金を払うと申しているのに通して貰えぬのですかな?」
安吉はそう言って鎮房を睨んだ。
「ぬ……ぅ……」
鎮房は黙ってしまった。
確かにタダで通せぬとは言ったが、まさか金を払うとは思っていなかった。
多少刃を交える覚悟をしていたからこそ、金で解決するという事実に驚いていた。
「早く決めぬと河野水軍が出てきますぞ?」
安吉は鎮房を脅す様に笑った。
現状、大友水軍は河野家の水域を犯している。
「……承知仕った。豊後水道の安全は我が大友水軍が承ろう」
結局、鎮房はそう答えるほかなかった。
拒否する道は彼にはなかった。
「それはそれは、では航海が無事に終了し次第200両をお支払いいたしましょう」
それは現代にして300万円。
大友家の中にある地方領主には大きすぎる臨時収入だった。
「成功報酬ですな」
「このご時世、裏切らぬとも。限りますまい?」
鎮房の言葉に安吉はそう笑った。
この男には勝てない。
そう察した鎮房はため息を吐くと「承知仕った。豊後水道の安全は我ら若林家が保障いたしましょう」と答えた。
「と、言うわけだ。金200両を用意してくれ」
神風に戻った権兵衛にそう告げると彼は苦笑いを浮かべた。
「金で解決ですか」
その言葉に「不満か?」と安吉が問うと彼は率直に疑問を呈した。
「今後も1度通るたびに200両とられるのでは?」
「それはないだろう」
安吉の返答聞いて権兵衛は不思議そうな表情を浮かべる。
「次は、沈めるからだ」
そう笑った安吉に権兵衛もまた、笑みを浮かべた。
今回は、今後の航海に不安がある故穏便に済ませた。
だが、次回からはこうはいかない。
たとえ敵をなぎ倒してでも台湾に辿り付くだけの能力を得ているだろう。
「まだ、練度が足らぬ」
安吉の言葉に、権兵衛は少しばかり複雑な心境であった。
その後、大友水軍700のうち半数は先行し若林家の所領に戻り、残った半数が安吉の船団を護衛した。
豊後水道を抜けるまでの間、安吉は敵の操船術を観察していたが、中々に上手であった。
下手をすれば河野水軍を超えるかもしれないなどと観察しながら水平線を見つめる。
ここを出れば遂に太平洋へと出る。
そこから日向沖を南下していき、種子島を経由して、琉球の島々沿いに進んでいき台湾に迫る。
少しばかりの不安に苛まれるが、船長であり船団の長である安吉が情けない姿を見せるわけにはいかない。
そして、豊後水道を無事に航過した。
およそ17時間にも及ぶ慎重な航海が終わるころには出港から1日が経とうとしていた。
「感謝いたしまする」
別れ際に安吉は鎮房に対して250両もの金を渡した。
それを見て鎮房は慌てて「50両多くありませぬか?」と尋ねた。
「む? そうであったか! まぁ構わぬ」
と安吉はわざとらしく笑った。
大祝家にとっては50両など誤差にすぎぬと。
その言葉を聞いて鎮房は目を丸くすると「ありがたく、頂戴いたす」と答えるとそそくさと帰っていった。
「愉快愉快!」
それを見て安吉は満足げな笑みを浮かべるとそう声を上げた。
一種の嫌がらせであり、憂さ晴らしでもあった。
「それにしても良いのですか?」
「250両か?」
権兵衛の問いに安吉はそう答えた。
今回持って来た金銭はそれほど多くない。
「これで6分の1を失いましたぞ」
その言葉に安吉は唸った。
大三島から持って来た金銭は1500両。
今回でその6分の1を使ってしまった。
「食料を節約させますか?」
その問いに安吉は首を振った。
「否、食料は今まで通りにしろ。士気が落ちる」
海上で唯一の娯楽、それが食事だ。
食事の質を落とせば目に見えて士気が落ちる。
それは航海士時代に何度も見て来た。
「食事とは恐ろしいものだよ」
安吉はそう言って笑った。
食事が不味いという理由で目に見えて業績が落ちた船。
逆にシェフの恨みを買って殺された船長。
まぁまぁ、いろいろな話を聞くものだ。
「機会があれば琉球で食料を調達しよう」
安吉はそう笑った。
海に出た彼は誰よりも頼もしいものがあった。
だが、航海というのは得てして上手く行かないものである。
「帆を畳め!! それ以外の要員は船内へと退避せよ!」
夕暮れ頃、船団は嵐に見舞われた。
現在の宮崎市東方50km地点。
陸岸からは遠く、開けた南方から吹く風に船団は翻弄されていた。
「航海中止! 繰り返す! 航海中止!!」
権兵衛はそう叫ぶ。
彼の声に応じて兵の一人が慌てて信号旗を揚げようとする。
その直後、安吉の怒号が飛んだ。
「今、旗はいい! 風に流されてまともに揚げられぬ!!」
強風吹き荒れる中、旗を揚げようとすればたちまち縄は吹き飛ばされ、ムチの様に周囲を蹂躙する。
「操舵要員以外は船内へ入れ!!」
帆が畳み終ると安吉はそう叫んだ。
高波が船を襲い、甲板上を洗い流す。
「下に降ろせるものがあれば下層へと移動させろ!」
「承知!」
安吉の命令に権兵衛はそう答えると船内へと入っていく。
船がまるで、木の葉のようにいとも容易く揺れ動く。
「おうおうおう! コイツはマズイなぁ!」
現代の船と違い、まだまだ造船技術が未発達なこの船は復原性にいささかの不安が残る。
「船を波に立て続けろ!! 間違っても腹を向けるなよ!」
最早こうなっては前に進むことは諦める。
とにかく船が沈まないように努力しなければならない。
「権兵衛ェ! 砲の固縛はしかとしているか?!」
安吉はハッと思い出した。
戦列艦の砲というのは台車に大砲を乗せたような構造をしている。
これは射撃の時、衝撃をそのまま後退させることによって逃すための構造なのだが、これが仇になる恐れがある。
左右に激しく動揺する今、船内でこの砲が暴れている可能性があるのだ。
「もうすでにしかとしておりまする!!」
すぐに帰って来た権兵衛の返答に安吉は胸をなでおろした。
そして、空を見上げてこうつぶやいた。
「何とかなる、か?」




