20話
「三好の家紋は揚げてるんだな?」
権兵衛から報告を受け取った安吉は冷静であった。
状況を一つ一つ確認していく。
「はい、足利と三好。どちらも揚げております」
それを聞いてため息が出た。
敵の意図が読めない。
両家の家紋を揚げたこの船を攻撃すれば三好や足利から報復を受けることになるだろう。
「何か、内情があるのか」
安吉はそう呟いた。
この豊後水道をタダで通すわけにはいかない内情が。
「小春がおればよいのだが」
小春がいれば、すぐに解る。
だが彼女は大三島におり一々尋ねに行くことなどできない。
「権兵衛、突破は出来るか?」
「風がやや弱く……」
安吉の問いに権兵衛はそう答えた。
現状、それ程速度も出ておらず、関船が全力で追撃すればいとも容易く追いつかれるだろう。
「なるべく、狭い海域での戦闘は避けたい」
安吉は権兵衛にそう告げた。
狭い海域では帆船の大きさは仇となる。
出来ることならば広く、穏やかな海域で大友を迎え撃ちたい。
「しかしあまり陸岸に近づきすぎると河野を刺激することになるかと」
権兵衛の言葉に安吉は「それもそうだな」と頭を抱えた。
「兎に角相手の意図が解らなければどうしようもない」
安吉はそういうと、立ち上がった。
それを見て怪訝そうな顔をする権兵衛に安吉はこんなことを告げた。
「儂自ら行く、端艇を降ろせ」
「信号旗揚げ! 『船団停止!』」
「焦るな! ゆっくりでいい!」
「選抜紅衆5名は完全装備で船長に随行せよ!」
甲板上は世話しなく男たちの怒号が飛び交っていた。
或る者たちは船の舷側に積まれた小型のボートを降ろし、傍や火縄銃の手入れを行っている。
「1号艇要員は舷側に集合!」
端艇の乗員はおよそ15名。
小早よりもやや小さい程度であった。
「1号艇要員15名総員よろし」
点呼を終えた権兵衛が安吉にそう報告する。
安吉は「1号艇15名よろし」と答えると、端艇要員たちのほうに振り返った。
「これより我らは前方の船団に接近し、その意図を問いただす」
その言葉に端艇要員たちは息を呑む。
「諸君らはこの神風でも指折りの諸子であると自負を持て」
危険極まりない任務であった。
小早1艘て眼前の500を超える軍勢に近づくなど自殺行為にも等しかった。
「儂も供に行く、必ず生きて戻るぞ」
安吉の言葉に眼前の者たちは「応!」と応じた。
「乗艇! ゆっくり降ろせ!」
安吉がそう叫ぶと15名全員が端艇に乗り込んだ。
そして、甲板と同じ高さに降ろされていた端艇がゆっくりと水面に近づく。
神風の上では水夫たちが「えい、えい」と声を合わせながらゆっくりとロープを操る。
「水面まで残り3尺(1メートル)!」
その声に応じて降下していく速度がゆっくりになる。
「水面降下ぁ!!!」
「水面降下了解!」
安吉の言葉に応じるように甲板上から権兵衛の声が響く。
「綱、放て!!」
安吉がそう命じると水夫たちが素早く神風と端艇を繋ぐロープを解き放つ。
さらに、安吉は命令を続ける。
「左舷櫂出せ!」
その命令に応じるように左舷から5本の櫂が端艇から伸びる。
右舷には神風があるため、まだ櫂を出すことは出来ない。
「5枚、前用意! 前へッ!!」
彼がそう命じると水夫たちが「い~ち、に!」と声を合わせながら五回ほど前へと漕ぎ出す。
その間安吉は舵を右一杯に切り、何とか神風から離れようとする。
「櫂あげぇ!」
ある程度行き脚が付いたところで安吉が漕ぐのを辞めさせた。
そして、しばらく待っていると少しずつ舵の効果で端艇の船首が神風から離れていく。
「両舷櫂出せ!」
ようやく右舷も櫂を出せるようになった。
「前へ!」
一艘の端艇が静かに海面を進んでいった。
「1艘の小早が出て来たようです」
「……すさまじい大船だな」
その頃、若林鎮房は身の振り方を決めかねていた。
大祝家の軍船が豊後水道を通過すると聞いたときは義憤に駆られた鎮房であったが、帆船の巨大さを目の当たりにするとその意見は変わっていた。
「戦はしてはならぬ」
鎮房はそう命じた。
帆船の恐ろしさは良く知っていた。
河野と大祝の戦。
その時に鎮房は帆船の戦いぶりを少しばかり見た。
湯築城城下に砲撃を加えるその雄姿はまさしく海上の城であった。
今、目の前にいるのはその時よりも二回りも大きい。
「どうしたらよいのだ……」
彼は頭を抱えた。
何もせず座視すれば周辺諸国から侮られ、戦えば壊滅する。
「兎に角、あの小早は使者ぞ。攻撃してはならぬ」
鎮房はため息を吐きながらそう命じた。
「大祝安吉にございまする」
その言葉を聞いた鎮房は唖然とした。
まさか当主本人が乗り込んでくるとは思っていなかったのだ。
「わ、若林鎮房でございまする」
鎮房の返答を聞いた安吉は微笑んだ。
「引き上げていただき感謝いたす」
安吉はそう言って笑った。
現状、彼は鎮房の乗る安宅船に一人で乗り込んでいる。
「それにしても軽装ですな」
鎮房の言葉に安吉は笑みを浮かべるとこう答えた。
「武装する意味はあるのですか?」
その返答聞いて鎮房は驚愕した。
なんと肝の座ったことか。
「こちらは公方様、そして三好様からの命令で航行しておるだけ。戦になることなど」
安吉はそうわざとらしく笑った。
対して鎮房は苦笑いを浮かべるのが精いっぱいであった。
大祝家の正当性は重々承知している。
だが、こうして眼前で言われてしまっては彼らの航海を遮ることは出来なくなった。
それは三好と戦うことを意味する。
大祝を筆頭に能島村上家すら取り入れた三好に大友が勝てるはずもない。
「しかし我らもタダで通すわけにはいきませぬ」
鎮房は虚勢を張った。
三好と戦っても構わないという覚悟を見せつける。
それを聞いた安吉は「戦の意図はないのですね?」と鎮房を見つめた。
「タダで通せぬ。と申しているだけにございまする」
鎮房の返答聞いた安吉はニイッと笑った。
「ならば水先案内をお願いしたい。もちろん、銭も払いましょう」




