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19話

「出港用意! トモ・オモテ、単係留とせよ!」

 遂に出港命令が下されようとしていた。

 その号令と共に陸上の作業員が船から送られている係留索を放っていく。

「オモテ単係留よろし!」

「トモ単係留よろし!」

 そう報告がなされた時、船首と船尾から伸びている係留索は1本ずつになっていた。

 これが単係留。現代ではシングルアップという。

 いつでも出港できる状態であり、後は船長の下知を待つだけであった。

「信号旗揚げ! 『出港用意よろし』!」

 次々に現場の長達が命令を出していく。

 安吉はその光景を甲板上で眺めていた。

 現在、出航作業の指揮は安吉ではなく、彼に次ぐ副船長に任じていた。

 彼の名は榊原権兵衛。

 元は京都の衛門衆の一人であったが、紅衆としてこの船で副船長業務に就いている。

「よし、良いぞ」

 安吉は彼らの動きを見てそう呟いていた。

 風鳴丸、海鳴丸と訓練を重ねて来た成果がようやく発揮されようとしている。

「春風! 『出港用意よろし』の旗確認致しました!」

「おう!」

 見張りからの報告に権兵衛は力強く答えると次々に命令を出していく。

 何れ、安吉自らこの船に乗り込むことはなくなる。

 それに備えて、彼らだけで出港用意を終えられなければならない。

「島風! 『出港用意よろし』!」

 遂に待ち望んだ報告が来た。

「信号旗揚げ! 『まもなく出港する』」

 権兵衛がそう命じると水夫の一人がマストの元に駆け寄り信号旗を慣れた手つきで掲揚していく。

 最初はこれだけでも随分と時間がかかったが、慣れればどうと言う事はない。

 島風から上がった信号旗を確認した各船は「了承」の旨を告げる信号旗を掲揚した。

 これで準備は整った。

「船長、出港用意よろし」

 権兵衛の言葉に安吉は「出港用意よろし了解」と応じると、スルスルとマストの中部まで登っていった。

 この船で安吉が「殿」と呼ばれることはない。

 船長と呼ばれる。

 特に意味はないのだが、船乗り時代からの習慣かそう呼ばれる方が高揚感があった。

 マストの中部まで登るとそこには指揮台があり、ある程度の広さがあった。

 彼はそこに立つを甲板上を一望。

 そして、声を張り上げた。

「舫綱放て!」

 安吉がそう命じると皆が「舫綱放て!」と復唱をする。

 その直後から、皆慣れた手つきでロープを操り、船内へと収容していく。

 この瞬間から、この船は陸上殿交通手段を失った。

「帆を広げぇ!!」

 遂に、その時が来た。

 安吉の号令の元、水夫たちが各々の定められた配置に飛びつきロープを操り帆を広げていく。

「手すきの者は別れを告げよ!」

 そう告げると乗組員たちが急いで舷側に向かっていき、陸の者たちと別れを告げていた。

 今回の乗組員のほとんどは家族がいる。

 彼らを大三島に残して出港するのは心苦しいだろう。

 だが、耐えなければならない。

 船乗りというのはそういう物なのだ。

「小春はいないか」

 だが、それでも愛する妻の姿を探してしまう。

 この喧噪のなか、まだ乳飲み子である松丸を連れて現れるほど小春は阿呆ではない。

 どうせ今頃、大山祇神社からこの出港の様子を眺めているだろう。

 その直後、一発の銃声が山の中腹から響いた。

「小春、か」

 安吉はそうニイッと笑うと海へと視線を向けた。

 別れは一瞬でいい。

 どうせ生きて帰って来るのだ。

 それと同時に少しずつ船は行き脚を得て前へと進んでいく。

「さぁ、始まるぞ」

 安吉は、これから始まる大航海に胸を躍らせていた。


「お体に障りますよ」

 山の中腹、大山祇神社では小春が庭先に立っていた。

 それを心配そうに見つめるみつと、彼女に抱きかかえられた松丸。

「旦那様、どうか。どうかご無事で」

 彼女の手には一丁の鉄砲があった。

 それは、この大三島で造られたものではなかった。

 堺から二人で買って来た最初期の鉄砲であった。

 彼女はそれを抱きかかえたまま、みつと共に屋敷の中へと戻っていった。



 出航から4時間後、船団は湯築城沖に到達していた。

「現在、興居島北端1海里。次の変針点、由利島南端まで13海里ほど」

「ん、海図は使えているか?」

 その頃、安吉は船長室で休息をとっていた。

 現在狭い海域はあらかた抜け、広い伊予灘へと出ていた。

「はい、この辺りはまだ大祝の領域ですので」

 権兵衛の返答を聞いて安吉は「そうか」と答えた。

 現代と違って測量技術は未発達であり、聊かの不安があったがどうにかなっている様であった。

「暗礁がある可能性もある。十分に注意せよ」

「承知」

 権兵衛はそう答えると船長室を去っていった。

 それを確認すると安吉は小さくため息を吐いた。

「やはり、大分違うな」

 常々思っていたことがある。

 それは、未来の地形と現代の地形に差異があることだ。

 これを小春に聞いたら鼻で嗤われた。

「台風や地震の影響、か」

 地形が大きく変わるわけではないが、安吉の知らない暗礁などに出くわす可能性は十分にある。

「未来の知識をもってしても安心というわけではないか」

 彼がそう呟いた瞬間、何やら上が騒々しくなった。

 暫くしないうちに権兵衛が戻ってきた。

「どうした」

 安吉が怪訝そうな表情で尋ねると権兵衛は焦ったようにこう告げた。

「前方に、大友勢が!」

 その言葉を聞いた瞬間、安吉はハッとした。

 危惧していたことが、遂に起こってしまった。

「総員戦闘用意! 火薬を倉庫から出しておけ」 



「殿、前方に大祝家と思われる大型の軍船を確認致しました」

 由利島南西2海里。

 大友水軍の筆頭である若林鎮房率いる700の水軍衆が大祝家の船団を待ち構えていた。

「豊後水道は我らが海、やすやすと踏み荒らされては困る」

 そこには、大友氏のプライドとつらい内情があった。

 1550年、今からおよそ1年ほど前のこと。

 大友氏で内乱があった。

 彼らはまだそれから立ち直り切れておらず、周辺の諸勢力も切り取る機会をうかがっている。

 そんな時に、大友氏の領分である豊後水道を何事もなく大祝家が通過すればどうなるだろうか。

「大祝如き相手に迎撃しようという度胸も力もなくなった」と周辺から思われ、隙を与えることになる。 

 それどころか、国境地域の国人たちまで寝返りかねない。

「大友に余力有り、と見せつけなければならない」

 何もかも、上手く行くわけではなかった。

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