18話
「大祝が倭寇討伐に乗り出すのか」
長慶は大三島から来た書状を見てそう呟いた。
それを聞いて冬康は「どこのですかな」と笑った。
「台湾、というそうだ」
そう言って頭を抱えた。
長慶の言葉に冬康は首を傾げた。
「琉球の更に奥にある島だと」
「それは知りませぬな」
冬康はそう言ってため息を吐いた。
「……明にも通達すべきか」
それを聞いて冬康は唸った。
琉球の更に奥となれば明の領域にも入りかねない。
迂闊に手を出せば明との外交問題にもなる。
「明と大祝が戦になれば、兄上はどうするのですか?」
冬康の問いに長慶は苦々しく笑みを浮かべた。
「まさか」
「万が一、億が一にもです」
確かに、今方針を明確にしておかねばならない。
しかも三好の名で倭寇討伐令を発したとなれば矢面に立つのは大祝でも何れ引きずり出される。
「明には勝てぬ」
長慶はそうこぼした。
国力の差が圧倒的過ぎる。
「明の船に手を出さなければよいのでは?」
冬康の言葉に長慶は「それが出来るなら」と答える。
「却下して大祝が拗ねても困る」
先の戦で海賊衆というのはどれほど扱いが難しいのかと言う事を実感した。
「対馬や壱岐程度だと思っていたのだがな」
長慶は自らの発言の軽率さを呪った。
だが、言ってしまったものはしようがない。
「『明との衝突は避けるように』と返答する」
「それしかありませぬな」
冬康はそう答えると頷いた。
「戦は絶えぬな」
長慶はさみしげに呟いた。
1551年3月末日
大祝安吉は帆船1隻とともに上洛。
三好長慶の傀儡である将軍から台湾に潜む倭寇追討令を下知される。
「然らば、足利様と三好様の旗印を頂戴いたしたく」
いけしゃあしゃあと公衆の面前で安吉はそう口走った。
将軍家、そして三好家の命令となれば旗印を借りるのが道理であった。
数々の家臣がいる中で長慶はそれを断ることが出来ず、震えた声で「承知仕った」と答えるのが精いっぱいであった。
しかし、これは対外的にしてみれば大祝が三好の軍門に下ったと言う事であった。
これと同時に安吉は瀬戸内守を辞任し、後任には武吉が就いた。
三好は瀬戸内海のほぼすべてを軍門に加えた。
これに追随するように瀬戸内海で去就を決めかねていた海賊衆が次々に三好へと下った。
三好家は、着実に天下統一の歩みを進めつつあった。
「いよいよ明日発つのですね」
4月の初め頃、京都から戻った安吉は小春と松丸との三人で夜を過ごしていた。
「ご武運をお祈りいたしております」
小春は静かにそう告げた。
安吉は月を見上げて「あぁ」と答えるだけだった。
「成功するだろうか」
ふと、そんな不安を口にした。
小春はクスリと笑うと「旦那様ならできますよ」と根拠のないことを言い出した。
「何故そう言える」
「勘、ですよ」
そう答えた小春に安吉は鼻で嗤った。
「勘か。そうか、勘か」
これから、誰も知らない歴史へと足を踏み入れる。
恐らく、今後の出来事は小春にも予想できない。
もっともそれが日本国内には大した影響にはならないだろう。
だが、世界的に見れば大きな変化になる恐れもある。
「ならば信じてみる」
安吉はそう小春に笑った。
それでもどこか自身無さげな安吉の姿を見て小春は一抹の不安を抱えていた。
「明日は早い、寝るとしよう」
安吉はそういうと、小春が抱えていた松丸を抱きかかえると寝室へと向かっていった。
「お主も早くねるのだぞ?」
安吉は振り返るとそう笑った。
一人残された小春は盃を飲み干すと、頬杖をついてこうつぶやいた。
「行かないでください。とは言えないよね」
「錨を揚げろ!」
「食料はどうなってる?!」
「まずは乗組員の点呼だ!」
翌朝、大三島の港は喧噪に包まれていた。
それもそのはず、40門戦列艦には200名もの人員が乗り込む。
3隻も同時に出港となれば乗組員だけでも600人に及び、それに見合った食料や水が必要となる。
「弾薬と砲弾は通常の半分でその分食料を積みこめ!」
「水も多めに積め!」
紅衆や航海訓練所で要請された者たちが音頭を取り、陣頭指揮を執っている。
「良いか、安全第一で行くぞ」
その頃、安吉たちは港に隣接された建物で最後の打ち合わせを行っていた。
ここには時計も設置されており、出航時刻は南中時の12時とされた。
「航行に不安がある場合はすぐに連絡し、撤退する」
「1隻でも問題があれば撤退するのか?」
安吉の言葉に紀忠は異議を唱えた。
3隻で出航するのだから、1隻が離脱しても作戦を継続することは可能だ。
しかも、途中で帰って来たとなれば体面もよくない。
「下らぬ誇りよりも実利を取る」
安吉は覚悟を決めた表情でそう伝えた。
仮に三好から罵られようとも、兵達を護るという覚悟を決めていた。
「先頭は旗艦である神風」
それは、安吉の座乗艦でもあった。
主に前方の索敵を担う。
「次に島風。これには紀忠が乗る」
「応」
続くのは島風。
島風の役目は先頭と最後尾の繋ぎ役。
戦闘となれば最も自由に動き回る。
「最後尾に春風を。これには赤松門右衛門が」
「承知」
最後尾は春風。
もし前方から敵が来た場合には主戦力となり、後方から攻撃を受ければ最前線で敵の足止めを担う。
「各々が重要な役目を有していると承知しているな?」
安吉は念を押す様にそう言った。
小早を100艘操るのとはわけが違う。
100艘もいれば、仮に1艘が仕損じてもどうにかカバーできる。
だが、今回は違う。
「各々が将棋の玉だと思い慎重に行動せよ」
安吉の言葉に二人は息を飲んだ。
「台風も予想される」
その言葉に、緊張感が走る。
まだ4月だが、あと1月もすれば台風が襲来する可能性もある。
「旗艦の信号を見落とさぬように」
安吉はそう厳命した。
今回の船団で、大洋航海の経験があるのは安吉だけであった。
故に、彼らからの命令を見落とせば右も左もわからなくなる恐れがある。
「よいな」
「応!」
安吉の問いに二人はそう答えた。
彼はニイッと笑うと二人にこう告げた。
「案ずるな! 皆には儂がついている!」
それを聞いて紀忠はこう笑った。
「大将の風格が出て来たじゃねぇか」と。




