16話
「えぇい、まだか」
館の奥へと通された安吉はそう呟きながら右往左往していた。
彼の前には1枚の襖があり、その奥には小春がいる。
「男子か女子かなどどうでもいい」
彼はそう呟くと祈るように天を仰いだ。
「ただ、小春が無事であればそれで良い」
この時代、医療技術は未発展だ。
出産ともなればそれ相応のリスクを伴う。
焦る安吉。
だが、彼がいくら焦ったところで状況は変わらない。
暫くすると、幼子の泣き声が響いた。
またそれから少しすると静かに襖があいた。
そこには女中のみつがいた。
「生まれたか?!」
安吉の問いにみつは微笑むと「母子ともに、問題ございません」と答えた。
みつの言葉を聞いた安吉は良かった、と呟くとその場に座り込んだ。
「男子かお尋ねにならないのですか?」
みつの問いに安吉は思い出したかのように「どちらだ?」と尋ねた。
彼女はくすりと笑うとこう答えた。
「男子でございまする」
「これで安泰だな」
その日の夜、安吉と紀忠は今後の方策を練るべく議論を交わしていた。
小春は大事をとって今は寝ている。
「あぁ、育て方を違えてはならぬな」
安吉はそう言って笑った。
初めての子育てだ。
上手く行くかは自信がない。
しかも、大祝家の次期当主となるべくそれ相応の教育をしなければならない。
一体どうしたものかと頭を抱えていると一人の小男が現れた。
「おや、安正殿」
「男子が生まれたのならば私に教えてくださってもよいものを」
安正と呼ばれた小男はそうケラケラ笑うと腰を下ろした。
彼の名は大祝安正。
安舎から見て甥にあたり、安吉はからは従兄弟にあたる。
その小柄さと政の才が無かったことから早々に大祝家の当主候補からは外され、先の内乱でも一切矢面には立たなかった男である。
今は、政と軍事を安吉が担当し、大山祇神社の神主を彼が担当している。
「これは失礼をば」
安吉はそう言って非礼を詫びた。
「どれ、酒の一杯でも?」
安正はそう言って安吉に酒を差し出した。
しかし、安吉はそれを丁重に断った。
「失敬、もう酒は飲まぬと決めましたので」
「ほう其れは何故か?」
安吉の言葉に安正は興味深そうな表情を浮かべた。
「安舎様との酒を忘れぬために」
その返答を聞いた安正は「なるほど」と答えた。
決して何かを追求するわけでも一人納得して満足したようであった。
「安正殿、お願いがありまする」
「何なりと」
安吉の言葉に安正は酒をあおりながらそう微笑んだ。
「小春と、赤子を護ってくださりませぬか?」
その言葉に安正は驚いたような表情を浮かべた。
わざわざ、言うべきことなのかと安正が思案を巡らせる中、安吉は言葉をつづけた。
「これから拙者はこの大三島を離れることが多くなりまする」
だから、一門である安正に小春と赤子の過去五頼み込んでいるのであった。
「儂が謀殺するとは考えないのかな?」
安正は眼光を鋭くさせて安吉を睨んだ。
背中に冷や汗が流れるのを感じた。
だが、毅然と答える。
「安正様はそのようなお方ではないと信じておりまする」
安吉の返答を聞いて安正はにっこりと笑った。
「謹んでお受けいたしましょう」
彼の言葉に安吉は安堵するとそれからは他愛もない話をつづけた。
「愛おしいなぁ~!」
翌日の朝、安吉はようやく赤子と対面した。
いつもの表情は何処へやら、そこにはだらしなく表情禁を緩めた男がそこにはいた。
「あまり乱暴にしないでくださいよ?」
小春はそう言って心配そうな表情で安吉と赤子の二人を見つめた。
「名はどうしようか」
安吉の言葉に小春は「なにかお考えがあるんですか?」と尋ねた。
その問いに安吉は苦笑いを受けべた。
「父上の幼名など、どうでしょう」
「……なるほど」
小春の言葉に安吉は感心した。
こういったときでも思慮深い彼女はやはり頼りになる。
「お主の名は松丸だ!」
安吉はそう言って抱えた赤子を持ち上げた。
嫡男の名は松丸。
先代、安舎の幼名でもあった。
これは自らの正統性を示すとともに、安吉の期待が現れていた。
「安吉の世継ぎが無事生まれたそうだ」
世継ぎ誕生の知らせが最も早く届いたのは武吉の元であった。
「幼名は松丸ですか」
書状を見て貞道はそう言った。
それを聞いた武吉は面白くなさそうな表情を浮かべた。
「自らは村上家よりも、大祝家であると言いたげだな」
武吉の言葉に貞道は頷いた。
幼名など対外的影響は少ないが、家中への影響は大きい。
「それよりも、鉄砲組の修練は進んでおるか?」
武吉はそう言って貞道に尋ねた。
今後、鉄砲500丁を導入することになったため、村上家では急ピッチで鉄砲の訓練が進んでいる。
「暇している水夫たちに仕込んでおりまする」
貞道はそう答えた。
その返答を聞いて武吉は満足げな笑みを浮かべた。
武吉の軍勢は右肩上がりでその数を増やしているが、その速度よりも早く水夫たちの育成が進んでいる。
「よいよい。弓衆をわざわざ鉄砲に持ち替えさせることもあるまい」
鉄砲というのは誰でも扱えるというのが一番の利点だ。
わざわざそれ相応の技術がある弓衆に鉄砲を持たせるなど無駄極まりない。
「それで、大三島はどれほどの鉄砲を作っているのだ?」
武吉の問いに貞道は「2000丁の注文があったとは聞いておりまする」と答えた。
貞道の返答に武吉は目を見開いた。
「2000! 三好も買うのか」
その問いに貞道は頷く。
先の戦で鉄砲の優位性は武吉が示したところであった。
だが、三好がここまで本腰を入れるとは思っていなかった。
「火薬が足りなくなる」
武吉はそう呟いた。
その言葉を聞いて貞道もハッとした。
「どうにかして優先的に火薬を回してはもらえないだろうか」
武吉の呟きに貞道は唸った。
恐らく安吉のことだから一門だと言って融通するようなことはしないはずだ。
そうなれば……。
「金を積むか」
武吉はそうニイッと笑った。




