9話
「我こそは熊野水軍が長! 堀内信虎!」
「能島村上家、先鋒大将! 難波泰房である!」
遂に、戦場で相まみえた両軍の先鋒はそう名乗りを上げた。
総勢合わせて37艘の軍船が対峙するその情景は壮観な物であった。
「決戦の先鋒とは光栄の限り……ッ!」
泰房はそう呟いた。
難波家は武吉と共に隆盛し、家中の重臣格にまで成り上がった。
先の大内家との戦で父、難波泰典は戦死したがそれでも武吉の庇護下を受けた難波家は難なく当主交代を成し、遂に先鋒の大将を任じられるまでになった。
「嶋の倅殿が成長されるまでとはわかっていても……。嬉しいものだな」
古来より、能島村上家の先鋒大将は筆頭家老である嶋家であった。
「太鼓を鳴らせ! 一番槍はこの難波泰房である!」
泰房はそう言って声を上げると槍を掲げた。
奇しくも、両軍の先鋒大将が先頭の船に乗っていた両軍は激しい戦闘を繰り広げる。
かと、思われた。
「先鋒が敵勢とぶつかりました!」
後方の安宅船で腰を下ろしていた冬康の元に開戦の報が告げられた。
「戦況は?!」
飛びつくように兵に尋ねた冬康。
しかし、兵は何も答えなかった。
何か戸惑っているかのような、口に出せない様であった。
「どうした。早くいえ、押しているのか? 押されているのか?」
冬康はせかすように訪ねた。
すると兵は震える唇で戦況を告げた。
「ッ! 先鋒衆壊滅……!! 堀内信虎殿は敵に捕らえられました……」
兵の言葉を聞いた瞬間、冬康は青ざめた。
信虎の熊野海賊は指折りの精鋭部隊であった。
なにせ普段から海に生きている者たちで、唯一能島村上家に練度で勝っていると思っていた。
「敵は、無数の鉄砲と焙烙で信虎殿の安宅船を集中攻撃。まさしく鯱のようで近づくことすら……!」
口惜しそうに兵はそういった。
安宅船2艘、関船10艘の合計1000の兵が瞬く間に消えた。
「敵は? こちらに向かっているのか?」
冬康の問いに兵は「一旦、退いた模様にございまする」と答えた。
それを聞いて冬康は一筋の勝機を見出した。
恐らく敵の損害も相当であったのだろう。
でなければ、初戦に勝利した先鋒を下げる道理が無い。
「一存に使いを送れ! 儂と一存で敵を追撃する!」
敵先鋒の追撃を決意した冬康の瞳はギラリと光っていた。
「泰房は勝ったな」
その頃、武吉は自らの座乗船から遠くに見える戦を眺めていた。
使いが来るよりもそう断じた武吉に貞道は首を傾げた。
「何故わかるんですか?」
その問いに武吉は満面の笑みで答えた。
「俺たちが負けるはずないだろう?」
自身満々に武吉はそう笑った。
直後、先鋒の戦いを見て来た小早が戻って来た。
「先鋒衆大勝にございまする!!」
小早の船頭はそう声を上げると右手を振り上げた。
「応! いい知らせをありがとうな!」
武吉がそうニカッと笑う。
そして、自慢げな表情で貞道に視線を向けた。
「な? 勝っただろう?」
その言葉に貞道は「御見それいたしました」と笑った。
「さて、次の手を打つか」
武吉はそうニヤリと嗤うと采配を下した。
「堀田紀久の隊は右翼へ! 鎌田正則隊は左翼へ! 両翼を突き出すのだ!」
「……まさか」
その頃、日比の枯木兄弟は絶句していた。
「熊野海賊がこんなにも簡単に負けるのか」
元紀は信じられないものを見た気分であった。
それは本当に一瞬のことであった。
「鉄砲は、すごいな」
元泰はそう呟いた。
両軍は弓による射撃戦を行った後、村上家の小早が一気に距離を詰めた。
氏虎はそれを白兵戦ではじき返すべく、安宅船を前にだし壁を作ろうとした。
しかし村上家はそれをまるで解っていたかのようにいとも簡単に打ち破った。
それが、鉄砲であった。
「恐ろしいものだな」
この時代にもなれば鉄砲は近畿や中国地方ではある程度出回っている
「兄上、俺は鉄砲を買うぞ」
元泰は爛々と輝かせた瞳でそういった。
これほどの兵器、いずれ将来は戦場の主役になるだろう。
「すさまじい程の轟音。これだけでも敵を威圧できる」
弓を100発撃って1発しか当たらなければ、それは価値がない。
だが、鉄砲を100発撃って仮に1発も当たらなかったとしても価値がある。
凄まじい爆音とともに船体が弾け飛ぶ。
兵達は魔法か何かだと思うだろう。
そして、弾が見えない以上避けることもできない。
出来るとすれば仏に祈るくらいだ。
「この戦、村上の大勝で終わるやもしれんぞ……」
元紀は冷静にそう呟いた。
「難波泰房、ただいま戻りました」
その頃、武吉の陣で動きが有った。
先鋒の難波泰房隊が戻って来たのであった。
「氏虎を捕えたそうだな」
戻って来た泰房に武吉はそう声をかけた。
「はっ、安宅船が沈み海面でもがいているのを発見致しました」
泰房の返答を聞いて武吉は笑みを浮かべた。
この時代、敵の将を捕虜にするというのは値千金の価値がある。
「斬りますか?」
泰房は武吉を伺うようにそう尋ねた。
「いや、身代金を要求する。熊野海賊の頭領を見棄てることはできまい」
金で捕虜となった部下を取り戻せるのなら安いものだ。
そしてその金を元手に村上家は更なる繁栄を極める。
「泰房よ、よくやった。貴様はこのまま俺と共に行動しろ」
武吉の下知を聞いた泰房は「承知」と答えるとすぐさま自らの船へと戻った。
「この戦、負ける道理がない」
泰房は一瞬空を見上げるとそう呟いた。
「一存の隊は後ろに続け!」
その頃、冬康は反撃の為の一手を講じていた。
中央突破。
どうやら敵は両翼に部隊を出したようだが、それは愚策であった。
「狙うは敵の大将首ただ一つ!」
薄くなった中央を全軍で攻撃しようという腹積もりであった。
「包囲しようと、両翼を突き出す。よくある間違いだ」
冬康はそう断じた。
三好長慶の弟として各地の戦を見て来た彼は、数多の失敗を見て来た。
己が軍才に優れていると勘違いし、策に溺れていくものたち。
「確かに、包囲できれば勝利は揺るがぬだろう」
敵に囲まれた部隊というのは脆い。
時として死兵となり徹底抗戦することもあるが、大概の場合は希望も見えぬ戦いに絶望し、逃げ出す。
だが、寡兵でする戦術ではない。
圧倒的に兵力で勝る者にのみ許された戦術だ。
「策に溺れろ、武吉」




