5話
「夜戦か、中々に難しいな」
船を出港させ、敵勢と対峙した武吉はそう呟いた。
かがり火で敵の規模はおおよそ解るが、その詳細を把握するこが出来ない。
「貞道、どう思う?」
「ほぼ同数かと」
貞道の返答に武吉は満足げに頷く。
「関船が10艘に小早が10艘と見積もるのがよろしいかと」
「同感だ」
武吉はそう答えると、腕を組んだ。
威勢よく出陣したのはいいものの、現在1kmほど距離を取って船をその場に留めている。
「流されぬか、侮れぬな」
両陣営が布陣した場所は島と島の間であり、その潮流は激しい物だった。
だが、敵陣のかがり火を見る以上それが動いている様子はない。
対して武吉の軍勢は
「流されぬように舵を取れ!」
「船首を立てろ!」
「おい! 近すぎるぞ!」
等々、見知らぬ海域に翻弄されていた。
「幸い陣は崩れていませんが、時間の問題ですね」
貞道はそう進言した。
このままだと陣が完全に崩壊する。
それを防ぐためには機動し続け、敵を翻弄するほかない。
船に於いて、錨を使わずにその場にとどまるというのは非常に難しい物であった。
「やるか」
武吉は意を決したようにそう呟いた。
「このまま待っていれば、敵勢は崩れる」
その頃、元紀は敵の陣形を見てそう確信していた。
少しずつ崩れ行く能島村上家の陣形は余りにも無残な物であった。
「さすがに見知らぬ地の海流は読めないだろうなぁ」
元紀は敵を憐れむように笑った。
圧倒的技量と圧倒的武力の能島村上家と言えど、見知らぬ地の海流は知らない。
もしも敵に少しでも塩飽諸島出身の兵がいればこんなことにはならなかっただろうが、すでに塩飽の兵は元泰が南東へとおびき出した。
「敵が崩れた所に兵を突撃させれば敵は勝手に瓦解する」
だが、武吉とて崩壊を座して待つわけではなかった。
「殿! 敵が動きました!」
見張りの兵がそう声を上げた。
元紀もまた、その動向は確認していた。
「北へ逃げるか?」
現在潮流は北から南へと流れている。
つまりは潮に逆らうように敵は行軍を始めたようだ。
「解せぬ」
元紀はそう呟いた。
敵は安宅船を有し、軍勢全体の機動力は低い。
たとえ、小早を先行させて北へ向かおうと、足の遅い安宅船が集中砲火を食らうに決まっている。
「全体の速度を抑えるか?」
しかし全体の足並みをそろえれば今度は小早の軽快性が活かせない。
どちらにしろ、敵は下策を選んだ。
「我らも北へ向かう!」
元紀の下知に兵達は「応!!」と力強く応じた。
両軍の戦力は以下の通りであった。
能島村上家 村上武吉
安宅船 2艘
関船 5艘
小早 17艘
枯木家 枯木元紀
関船 10艘
小早 10艘
「敵は此方に並走しているようです!」
その頃、武吉は安宅船から東を睨んでいた。
「おう! こっちでも見えてるぞ!」
やはり敵は安宅船を有していないようだ。
自らの軍勢よりも早く北進する枯木の軍勢を見て確信した。
「恐らく、我々の頭を抑えにかかるかと」
貞道の言葉に武吉は頷く。
「貞道よ、小早10を預けてやる」
武吉の言葉に貞道は目を見開いた。
3度目の戦で、兵の一部を預けられるというのは非常に稀なことであった。
「かがり火を消し、隠れよ」
その言葉を聞いて貞道は「殿はどうなされるのですか?」と尋ねた。
「俺たちは反転して南に向かう」
武吉の返答を聞いた貞道はなるほどと合点がいった。
貞道の反応を見て満足げな笑みをうかべた武吉は一瞬天を仰ぐとこう声を上げた。
「小早10艘はかがり火を消し夜陰に紛れよ! 残りは反転し南へ向かう!」
ちょうど、敵の軍勢は左転し、武吉の頭を抑えようとしていた。
「酉の舵!! 敵の頭を抑えるぞ!」
武吉の軍勢よりも前に十分出たころ、元紀はそう下知を下した。
このまま左転することで北進する敵の頭を押さえ、丁字有利のような状況生み出すことが出来る。
だが、それと同時に敵は反転した。
「敵勢が南へ向かいます!」
その言葉を聞いて元紀はハッとした。
潮を逆らう際には小型船のほうがより速い速度を出すことが出来る。
だが、潮に乗る時はその逆である。
このまま潮に乗って南下して、距離が離れたころに西に向かわれては敵の撃滅が出来なくなる。
小豆島勢がいる以上長いこと日比を留守にはできない。
故に長距離の追撃をすることもできず、おずおずと城に戻るしかなくなる。
「追え! 全速力で追え! 多少隊列が乱れても構わん!!」
元紀は慌ててそう下知を下した。
ここで的戦力を撃滅できなければ日比に明日はない。
「逃がすわけにはいかん……!」
潮に乗って南へ進んでいく武吉の軍勢を睨んでそう呟いた。
「そう簡単に逃げられるとは思ってねぇよ」
その頃、必死に追いすがる元紀の軍勢を見て武吉はそう呟いた。
この戦いは武吉の思い描いた絵図通りに進行していた。
どうやら元紀はこのまま武吉が戦域を離脱すると思っているようだが、武吉はもとよりそんなつもりはなかった。
「ここで逃げたら家中に示しがつかん」
そう、今なお戦っているだろう塩飽衆500を見捨てて逃げれば、村上家が崩壊する。
能島村上家というのは圧倒的武力とその実績故に成り立っている海賊衆であった。
版図を見れば瀬戸内一体に手を伸ばす大勢力でも、そのほとんどは能島村上家に従属する小領主たちだ。
もし、武吉が塩飽衆を見捨てて一人逃げ帰ったとすれば?
恐らく家中のほとんどが離反するだろう。
「そんなことはさせぬ」
この不安定な統治体制にあってもなお、能島村上家が来島や因島よりも上にたち、多数の家臣を得られたのは勝ちつづけて来たからであった。
「そしてそれは、今後も続く」
武吉はそう呟くと、太刀を抜き放った。
能島村上家代々受け継がれてきた家宝ともいえるその太刀は人の血を吸ったそれはかがり火の元に艶めかしく光る。
彼の視線の先には少しずつ離れていく元紀の軍勢。
そして、距離が700メートルほど離れたころ。
武吉は雄たけびを上げた。
「全船停止! 矢を番えよ! 火縄に火を灯せ! 逃げるのはここまでぞ! 敵を叩き潰す!!」




