3話
「殿! 沖に無数の船団が!!」
能島村上家の異変にいち早く気が付いたのは湯築城城主、河野冬長であった。
三好家から養子に入った冬長はひとまず内政と軍備の立て直しに勤しんでおり、とても戦が出来る状態ではなかった。
「兄上達に使いを出せ! 村上家が動いたと!」
冬長は慌ててそう叫んだ。
「まだ戦だと決まったわけではないぞ! 焦るなよ!」
続けてそう命じる。
まだ、能島の船だと決まったわけでもない。
それに、標的もわからない。
「ッ! 大三島に使いを送れ! 『これは瀬戸内守の下知か』と問いただせ!」
突然の事態を前に冬長は冷静だった。
湯築沖にいる不明の船団が来島に入ればそれは大祝家も関与していると言う事になる。
だが、そのまま真っ直ぐ能島に向かえば?
もしかすれば能島村上家が独断で兵を動かした可能性がある。
「後を付けさせますか?」
家老の問いに冬長は冷静に「いや、もう遅い」と答えた。
まだ、河野家の水軍は再建段階にある。
船を出したところで振り切られる。
「まずは一刻も早く使いを送るのだ!」
冬長の下知に家臣たちが「応」と力強く応じた。
「河野冬長様より使者が参られました!」
安吉が大三島に戻ってから僅か2時間ほどで河野家からの使者が大三島に辿り付いた。
「本殿にお通ししろ!」
小姓に安吉はそう命じる。
安吉が客人を出迎えるために使う部屋は複数ある。
主たるものが表情の間と本殿の大広間である。
前者は大祝家当主の大祝安吉として。
後者は大山祇神社の神主として使われる。
「大方、能島のことだぞ」
大広間に向かう安吉に紀忠はそう声をかけた。
「瀬戸内守として配下の管理ができていないと言われるにちがいない」
そう続けた紀忠は安吉に「どうするつもりだ」と尋ねた。
ドスドスと歩く安吉は歩みを止めると紀忠にこう笑った。
「知らぬ存ぜぬと答えるまで」
「この度は、突然のこと。誠、申し訳なく」
河野家からの使者は安吉を見るなりそう言った。
それに安吉は「よいよい、大祝家と河野家の仲であろう」と笑う。
この巨大な大広間にいるのは僅か2人。
護衛の者たちは外で待機させてはいるものの、河野家からの使者と安吉の二人だけであった。
「この度、能島村上家に不穏な動きが有りて。瀬戸内守様はご存じであられるか」
使者の問いに安吉は「なんと!」と声を上げた。
「兄上も困ったものだ、瀬戸内守の命に逆らい兵を集めるなどと」
「拙者は不穏な動きといっただけでして」
「よいよい、能島は兵を集めているのだろう?」
安吉は出来るだけ安舎の口調をまねた。
出来るだけ、余裕があるように見せる。
「こちらも能島には手を焼いておってな。申し訳ないが、なにも存じぬのじゃ」
安吉の返答を聞いた使者は険しい表情を浮かべた。
「しかしながら、大祝殿はあの者を治める義務があらせられるのでは?」
「うむ、そうなのじゃ。だが儂らにはあの者たちに勝る兵などなくてのう」
安吉はそうわざとらしく言った。
使者の者は要領を得ずにいる。
「河野殿が兵を出すのならば、我らも喜んで能島討伐に乗り出しましょう」
その言葉に、使者は目を見開いた。
大祝家は河野家が兵を出せる状況にないことを知っている。
「……承知仕りました。この件、三好に報告させていただきまする」
もはや勝ち目無しと諦めた使者はそう言い放つと立ち上がった。
「なんじゃ、河野は兵をださぬのか」
安吉はそう、嘲笑した。
「あんな態度でいいのか?」
怒りを表情に浮かべて去っていた使者とは入れ違いで紀忠がやって来た。
座るなりそう尋ねた彼に安吉は「大丈夫だろう」とわらった。
今回の件で河野家が一番気にしているのは大祝家が関与しているか否か。
帆船という戦略兵器が参戦すれば湯築城などいとも容易く落ちるだろう。
「そうか、それならいいんだがな」
何処かそわそわとしている紀忠。
「どうしたんだ」
安吉がそう尋ねると紀忠は照れくさそうに笑った。
「いや、俺も戦いたいなと」
「この戦好きめ」
紀忠に言葉に安吉がそう茶化すように笑った。
「殿、河野からこのような書状が」
それから4日後、安宅冬康の元に河野冬長からの書状が届いた。
「うむ、ご苦労」
冬康はそう答えると静かに書状を開いた。
その文面を見た途端、冬長は立ち上がった。
「能島から兵が東に向かっているだと……」
驚きとともに冬長はそう呟いた。
さらに読み進めるとここに来る道中で使者が書き足したであろう文面が続いていた。
「目標は枯木海賊、日比……敵勢は4000を下らず」
心のどこかで村上家を侮っていた。
所詮は海賊だろう。
無法者で統率などとれたものではないと。
だが、冬康はその認識を改めざるを得なかった。
「周辺の水軍衆に触れを出せ! 讃岐は中洲城沖にて兵を集める!」
それからの彼の動きは早かった。
「評定を開く! 家老を集めよ!」
彼の言葉に小姓が「はい!」と応じる。
書状が出されてから4日も経ってしまっている。
敵はもうすでに戦闘準備を終えているに違いない。
「枯木よ、耐えてくれ……」
冬康は祈るようにつぶやいた。
その頃、日比の枯木元紀は青ざめた顔を浮かべていた。
「能島が動いた、だと」
貨物船の乗組員たちが言うには無数の船団が塩飽諸島に向かっているという。
「兵は5000程か」
元紀はそう呟いて額に手を当てた。
それを見てため息を吐いたのは弟の元泰であった。
「やはり村上家に付くべきでしたな」
「えぇい、今更言うても仕方ないだろう」
元泰の言葉に元紀はそう答えた。
彼とて、海賊衆として村上家に付いたほうが良いということは嫌というほど理解していた。
だが、彼らの居を構えるのは備前国の海岸の一角。
南は海で、残りの三方は山に囲まれているものの、その奥には浦上家がいる。
そして、その浦上家が三好と同盟を組んだのだ。
今や、三好は播磨の別所家と赤松家も配下に入れ尼子家と睨み合っている。
そんな中で枯木家が村上家に付けばどうなる。
恐らくいとも容易く三好に捻りつぶされる。
それも、枯木家が得意とする海からではなく陸からで。
「安宅の援軍は讃岐で待機してるようだ」
元泰はそう言って地図の中洲城を扇子で指した。
その位置は小豆島の対岸。
「そこにおっても援軍には来れぬではないか!」
元紀はそう言って声を荒げた。
今、安宅家の援軍がいる中洲城は現在で言うさぬき市に位置し、直線距離でも25kmもある。
いざ戦となっても到着するのに数時間を要するだろう。
「しかも、小豆島が邪魔するだろう」
元泰はそう言って唸った。
「一体、どうすればよかったのだ……」
元紀はそう言って頭を抱えた。




