1話
「父上。これで本当によろしいのでしょうか」
1551年の2月ごろ。
元久は他の兄弟たちを抜きにして一人で父、元就と将棋盤を挟んで対面していた。
「構わぬ。瀬戸内の安定は我らの益でもある」
元就は普段つまらなそうな顔で将棋を打つ。
だが、今日はどこか楽し気だ。
「村上家と三好の2つが東西に分かれれば瀬戸内は荒れますぞ」
元久はそういって駒を強く打った。
「攻めるのう」
彼の手を見て元久はそう笑った。
そして、元就は元久の隙を突いた。
「ぬぅ……」
攻め急いだばかりに元久の陣形に隙が生まれていた。
「お互いに太刀を首にあてがっておれば、戦は起きぬ」
まさしく元就は天才であった。
武吉と長慶が瀬戸内で対立することで起きる未来を正確に予想していた。
「さすらば、誰が得をするのかのう?」
元就は試す様に元久に尋ねる。
「大祝かと」
それを聞いて元就は「その心は?」と続ける。
「武吉も長慶も、睨み合うばかりで瀬戸内には平穏が訪れる。加えて伊予も弱体化した。さすれば大祝は大海へと乗り出すかと」
元久の言葉を聞いて元就はニイッと笑った。
不気味な、笑みであった。
「瀬戸内から大海へ出るには?」
「下関を通りまする」
元就の問いに元久は即答した。
瀬戸内の西端から南へ向かい、太平洋へと向かう航路もないことはない。
だが、太平洋に出たところで手に届く島は皆無に等しい。
それならば──。
「そののち、朝鮮、そして明へと向かうかと」
「そうじゃ、儂はそう思っておる」
元久の言葉に元就は満足げに頷いた。
「つまりじゃ、大祝は今後下関を治める者とは仲ようしたいはずじゃ」
元就の言葉に元久は「なるほど」と頷く。
今、下関を治めるのは大内家。
「儂らは大内を喰うぞ」
元就はそう言って眼光を鋭くさせた。
その言葉に元久は「まさか」と声に出してしまった。
「できぬか? 出来ぬことはないぞ」
何処か楽しげに元就は語る。
「いま大内は文治派が幅を利かせておるな」
長らく、大内家では武断派と文治派による内紛が起きている。
軍事的衝突には至っていないものの、水面下では猛烈な争いが繰り広げられている。
その一つが昨年起きた暗殺未遂。
文治派筆頭の相良武任の暗殺が企てられるという事件が起きた。
しかしそれを事前に察知され、首謀者の陶隆房は家中での立場を失った。
「いずれ、内紛が起こる」
元就はそう断じた。
「……まさか」
元久は驚いたような顔を浮かべた。
それに元就はしてやったりと笑みを浮かべる。
「目の前の大三島で内紛が起きた。そしてそれを治めたのは……?」
「圧倒的武力」
元就の問いに元久は即答した。
「武断派の陶隆房は大内家でも指折りの戦巧者、そして精兵も有している」
優れた太刀に優れた腕を持つ。
振るわずにはいられないだろう。
「大内はすぐに割れる。賭けてもよいぞ?」
元就はそう言って更なる一手を打つ。
「天下は望まぬが、せめて天下で五指に入りたいものよの」
「そういえば、上洛とかはしないのか?」
久々に訪れた平穏。
紀忠と安吉の二人は馬に乗って森をかけていた。
見渡しのいい崖の上に出ると武田は馬から降りてそんなことを尋ねた。
「あぁ。上洛なぁ」
彼の問いに安吉はそんな呑気な返答をした。
「関白殿下に長慶様に。伝手はいくらでもあるからなぁ」
安吉はそう言って腰を下ろすと天を見上げた。
京都の御所には彼の配下である紅衆の一部を配置している。
実質兵を伴って上陸したと言っても大差ないかもしれない。
「天下には興味ないからな」
安吉の言葉に紀忠は「そうなのか」と意外そうな顔を浮かべた。
「あぁ、天下には興味ないが。海を統べたいとはおもっているさ」
そう言って安吉はギラついた瞳を瀬戸内の海に向けた。
彼の言葉を聞いて紀忠は笑った。
「それじゃぁ、陸は三好にでもくれてやるか?」
「それは困るなぁ」
紀忠の言葉に安吉は笑った。
「三好殿は水軍をもっているからなぁ」
「少しくらいくれてやればよいではないか」
安吉の言葉に紀忠はそう言って笑った。
いま、大祝家が手に入れようとしている物に比べれば瀬戸内など庭浦の井戸にすぎない。
「だが、井戸に毒蛇がいるというのも恐ろしいだろう?」
安吉がそう言って微笑むと紀忠は「それもそうだ」と声を上げて笑った。
「今は、兄上と三好に瀬戸内は譲る。だが、いつかは全てを我が手中に」
安吉の瞳に『謙遜』の二文字はなかった。
野心に満ちたその瞳を見た紀忠はこう答えた。
「安舎殿も安心されるだろう」
紀忠はそう答えた。
「そうだといいなぁ」
安吉はどこか寂しげにそう呟いた。
「貞道よ。万事順調か?」
そのころ、武吉は能島城にて対三好のために策を練っていた。
「ハッ、塩飽諸島及び小豆島は我らに付くと」
そういって貞道は答える。
貞道の返答を聞いた武吉は満足げに笑みを浮かべる。
塩飽諸島、それは現在で言うところの瀬戸大橋周辺に点在する島々であり、三好配下の安宅氏有する淡路島とのちょうど中間点に位置する。
彼らがどちらに付くかというのは瀬戸内での勢力争いでは非常に大事なことであった。
「奴らは冷静なようだな」
武吉はそういって貞道に笑った。
彼らは今から遡ること20年ほど前までは能島村上家の配下にあった。
だが、その村上家は三好家とも友好関係を結んでおり、塩飽諸島もまたその恩恵を受けていた。
もしかすれば三好側につく恐れもあった。
「もし、三好戦争になれば800の兵を出すとのこと」
その言葉を聞いた武吉は眉をひそめた。
「800?」
「それが、限界とのこと」
塩飽諸島は決して大きくない。
800でも多い方だ。
だが、武吉は安吉の兵力を前に基準が狂っていた。
しばし額に手を当てるとその事に気が付き大きくため息を吐き出した。
「むぅ、仕方あるまい。小豆島は?」
「500とのこと」
貞道の言葉に武吉は頷いた。
合計で1300の兵が増えた。
「我らは1万を超えたな」
武吉はそう言ってニヤリと笑みを浮かべた。
もはや彼は瀬戸内海の三分の二を手中に収めていた。
その兵力は大大名と言っても差し支えない。
海上兵力だけで言えば三好より一歩前に出ている。
「三好に、見せつけるか」
武吉はそう言ってニヤリと笑う。
「日比に海賊衆がいたな」
そういって貞道に尋ねる。
日比、それは現在の岡山市南方に位置する港町で北は山に囲まれ、東西と南は海という好立地故に海賊が根城としている。
「ハッ、枯木元紀率いる海賊衆がおりまする」
「確か、三好方だったか?」
武吉はそう笑みを浮かべて尋ねた。
日比の付近は尼子氏や洲本氏の配下にあるが、枯木元紀はそれに従っていない。
それどころか、三好が味方を募る書状を各地に出した際に真っ先に反応した。
「三好と、俺たち。どっちが早いかな」
武吉はそう笑うと立ち上がった。
「5000の兵を用立てせよ! 塩飽に集え!」




